壮二君の行方

 松野君の語ったところによりますと、結局、賊は次のような突飛な手段によって、まんまと追手の目をくらまし、大勢の見ている中をやすやすと逃げ去ったことが分かりました。

 人々に追いまわされている間に、賊はお庭の池に飛び込んで、水の中に潜ってしまったのです。でもただ潜っていたのでは呼吸が出来ませんが、丁度その辺に壮二君がおもちゃにして捨てて置いた、節のない竹切が落ちていたものですから、それを持って池の中へ入り、竹の筒を口に当て、一方の端を水面に出して、静かに呼吸をして、追手の立ち去るのを待っていたのでした。

 ところが、人々のあとに残って、ひとりでその辺を見廻していた松野運転手が、その竹切を発見し、賊のたくらみを感づいたのです。思いきって竹切を引張ってみますと、果して、池の中から泥まみれの人間が現れて来ました。

 そこで、闇の中の格闘が始ったのですが、気の毒な松野君は救を求めるひまもなく、たちまち賊のために組み伏せられ、賊がちゃんとポケットに用意していた絹紐で縛り上げられ、猿轡をされてしまったのです。そして、服をとりかえられた上、高い木の股へ担ぎ上げられたという次第でした。

 そう分かってみますと、壮二君達を学校へ送って行った運転手は、いよいよにせものときまりました。大切なお嬢さん坊ちゃんが、人もあろうに、二十面相自身の運転する自動車で、どこかへ行ってしまったのです。人々の驚き、お父さまお母さまのご心配は、くどくど説明するまでもありません。

 先ず早苗さんの行先、門脇女学校へ電話がかけられました。すると、意外にも、早苗さんは無事に学校へ着いていることが分かりました。では、賊は別に誘拐するつもりではなかったのだなと、大安心をして、次には壮二君の学校へ電話をして尋ねますと、もう授業が始っているのに、壮二君の姿は見えないという返事です。それを聞くと、お父さまお母さまの顔色が変ってしまいました。

 賊は罠を仕掛けたのが、壮二君であることを知ったのかも知れません。そして、足に受けた傷のふくしゆうをするために、壮二君だけを誘拐したのかもしれません。

 サア、大騒になりました。中村捜査係長は直ちにこのことを警視庁に報告し、東京全市に非常線を張って、羽柴家の自動車を探し出す手配を取りました。幸い自動車の型や番号は分かっているのですから、手掛りは十分ある訳です。

 壮太郎氏は、ほとんど三十分毎に、学校と警視庁とへ電話をかけて、その後の様子を尋ねさせていましたが、一時間、二時間、三時間、時は容赦なくたって行くのに、壮二君の消息は、いつまでも分かりませんでした。

 ところが、その日のお昼過になって、一人の薄汚れた背広に鳥打帽の青年が、羽柴家の玄関に現れて、妙なことをいい出しました。

『あたしはお宅の運転手さんに頼まれたんですがね。運転手さんが、何だか途中で急に私用が出来たとかで、頼まれて自動車を運んで来たのですよ。車は門の中へ入れて置きましたから、調べて受取ってほしいんですがね。』

 書生が、そのことを奥へ報告する。ソレッというので、主人の壮太郎氏や支配人の近藤老人が、玄関へ駈け出して、車を調べてみますと、確かに羽柴家の自動車に相違ありません。しかし、中には誰もいないのです。壮二君はやっぱり誘拐されてしまったのです。

『オヤ、こんな妙な封筒が落ちていますよ。』

 近藤老人が、自動車のクッションの上から、一通の封書を拾い上げました。その表には『羽柴壮太郎殿必親展』と大きく書いてあるばかり、裏を見ても、差出人の名はありません。

『なんだろう。』

 と、壮太郎氏が封を開いて、庭に立ったまま読んでみますと、そこには左のような恐ろしい言葉が書きつらねてあったのです。



 昨夜はダイヤ六確かにちようだいしました。持ち帰って、見れば見るほど見事な宝石、家宝として大切に保存します。

 しかし、お礼はお礼として、少しお恨があるのです。何者かが庭にわなを仕掛けて置いて、僕の足に全治十日間の傷を負わせたことです。僕は損害を賠償してもらう権利があります。そのために御子息壮二君を人質として連れ帰りました。

 壮二君は今、拙宅の冷たい地下室に閉じ込められて、暗闇の中でシクシク泣いて居ります。荘二君こそ、あの呪わしい罠を仕掛けた本人です。これ位のむくいは当然ではありますまいか。

 ところで、損害の賠償ですが、それには、僕は御所蔵の観世音像を要求します。

 僕は昨日計らずも貴家の美術室を拝見する光栄を得たのですが、その立派さに驚き入りました。中にもあの観世音像は、鎌倉期の彫刻、あんの作と説明書がありましたが、如何いかにも国宝にしたいほどのもの、美術好きの僕は、欲しくて欲しくてたまりませんでした。その時、どうあっても、この仏像だけは頂戴しなければならないと、かたく決心したのです。

 ついては、今夜正十時、僕の部下のもの三名が、貴家に参上しますから、黙って美術室に通して頂きたいのです。彼等は観音像だけを荷造して、トラックに積んで運び去る予定になって居ります。人質の壮二君は、仏像と引換えに貴家へ戻るよう計らいます。約束は二十面相の名にかけて間違いありません。

 このことを警察に知らせてはなりません。又部下のトラックの跡をつけさせてはいけません。しそういうことがあれば、壮二君は永久に帰らないものと思し召し下さい。

 この申出は必ず御承諾を得るものと信じますが、念のため、ご承諾の節は、今夜だけ、十時まで正門を開け放って置いて下さい。それをじるしに参上することに致します。

二十面相より

羽柴壮太郎殿



 何という虫のよい要求でしょう。壮太郎氏を始め、こぶしを握ってくやしがりましたが、壮二君というかけがえのない人質を取られていては、どうすることも出来ません。残念ながらこの無茶な申出に応ずる外に手だてはないように思われます。

 なお、賊に頼まれて自動車を運転して来た青年を捕らえて、十分せんしましたけれど、彼はただいくらかお礼をもらって頼まれただけで、賊のことは何も知りませんでした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る