恐怖美術館

 早苗さんは、本船からボートに乗り移る際に、厳重な眼かくしをされたままであったから、ボートがどこへ着いたのか、上陸してどこをどう歩いたのか、ここは地上なのか地下なのか、全く想像さえつかなかった。

「早苗さん、ずいぶん窮屈な思いをさせたわね。さあもういいのよ。潤ちゃん、すっかり自由にして上げるといいわ」

「黒トカゲ」の親切らしい声がしたかと思うと、猿ぐつわや両手の縄が順次にほどかれていって、眼界がパッと明かるくなった。長いあいだ暗い眼かくしに押さえつけられていた彼女の眼には、まぶしいほどの明かるさであった。

 そこは、天井も床も、左右の壁も、コンクリートで固めた、長い曲がり曲がった廊下のような場所であった。天井からは、華美な切子ガラスのシャンデリヤが下がっていた。そのキラキラとまぶしい光に照らされて、左右の壁ぎわにズラリと並んだガラス張りの陳列台。その中には、あらゆる形状の宝石が、シャンデリヤの光を受けて、無数の星のようにきらめいていた。

 早苗さんは、あまりの美しさ、豪華さに、捕われの身をも忘れて、思わずアッと感嘆の声を上げた。日頃宝石類はあきあきするほど見なれているはずの大宝石商の娘さんが、声を立てて驚いたのだ。そこに集まっていた宝石の質と量とがいかにすばらしいものであったかは、くだくだしく説くまでもないであろう。

「まあ感心してくれたのね。これあたしの美術館なのよ。いいえ、美術館のほんの入り口なのよ。どう? あんたのお店の陳列とくらべて、まさか見おとりはしないでしょう。十何年のあいだ、命をかけて、智恵という智恵をしぼり、危険という危険をおかして、収集したんだもの、世界じゅうのどんな高貴のお方の宝石蔵にだって、これほどの数は集まっていないと思うわ」

 黒衣婦人は誇らしげに説明しながら、大切そうに抱えたハンド・バッグをひらいて、例の大宝玉「エジプトの星」をおさめた銀製のばこを取り出した。

「あんたのお父さまには、ちっとばかりお気の毒だったけれど、これ、あたしの長いあいだの念願だったのよ。きょうこそ、それがこの美術館へおさまることになったのだわ」

 パチンと小函のふたをひらくと、シャンデリヤの光を受けて、五色のほのおと燃え立つ大宝石。「黒トカゲ」は、さもうれしげに、それを眺めていたが、やがてハンド・バッグからかぎたばを取り出し、一つの飾り台のガラス戸をひらき、銀器の蓋をひらいたまま、その大ダイヤモンドを中央に安置した。

「まあ、なんてすばらしいのでしょう。これであたしの美術館の名物が、一つ増えたってわけだわ。早苗さん、ありがとう」

 皮肉をいったわけではないのだが、早苗さんに、どう答える言葉があろう。彼女は悲しげに眼を伏せたままだまっていた。

「さあ、ではもっと奥へ行きましょう。あんたに見せるものが、まだまだたくさんあるんだから」

 それから、地底のかいろうを進むにつれて、古めかしい名画を懸け並べた一郭があるかと思うと、その隣には仏像の群、それから西洋ものの大理石像、由緒ありげな古代工芸品、まことに美術館の名にそむかぬ豊富な陳列品であった。

 しかも、黒衣婦人の説明によれば、それらの美術工芸品の大半は、各地の博物館、美術館、貴族富豪の宝庫におさまっていた著名の品を、たくみな模造品とすりかえて、本物の方をこの地底美術館へおさめてあるのだという。

 もしそれが事実とすれば、博物館は模造品を得々として展覧に供し、貴族富豪は模造品を伝来の家宝として珍蔵していることになる。しかも、所有者はもちろん、世間一般も、少しもこれを怪しまないとは、なんという驚くべきことであろう。

「でも、これでは、よくできた私設博物館というだけのことだわね。少し頭のはたらく、資力のある賊ならば、だれだってまねのできることだわ。あたしはこんなもので自慢しようなんて思っていやしない。早苗さんにぜひ見てもらいたいものは、まだこの先にあるのよ」

 そして、彼女らが、廻廊の角を曲がると、そこには、これまでとは全く違った、不思議な光景がひらけていた。

 おや、これはろう人形ではないか。だが、なんとよくできた蠟人形であろう。

 一方の壁が、長さ三間ほど、ショウ・ウインドウのようなガラス張りになって、その中に、西洋人の女が一人、黒ン坊の男が一人、日本の青年と少女とが一人ずつ、つごう四人の男女が、全裸体で、ある者は立ちはだかり、ある者はうずくまり、あるものは寝そべっているのだ。

 節くれ立った腕をくんで、仁王立ちになった、けんとう選手のような黒人。しゃがんだひざの上に、両ひじをもたせて、ほおづえをついている金髪娘。長々とうつぶせに寝そべって、黒髪を肩のあたりにふさふさと波打たせ、重ねた腕にあごをのせて、じっとこちらを見つめている日本娘、円盤投げの姿勢でからだじゅうの筋肉を隆起させている日本青年。それらの男女はことごとく、ようぼうといい肉体といい、比べるものもないほど、美しいのである。

「ホホホホホ、よくできた生き人形でしょう。でも、すこうしよくでき過ぎていはしなくって? もっとガラスに近寄ってごらんなさい。ほら、この人たちのからだには、細かい産毛が生えているでしょう。産毛の生えた生き人形なんて、聞いたこともないわね」

 早苗さんは、ふと好奇心をそそられて、そのガラス板に近づいた。彼女自身の運命の恐ろしさをも、つい忘れるほど、その人形たちには一種不思議な魅力があった。

 まあ、ほんとうに産毛が生えているわ。それに、この肌の色、細かい細かいしわまでも、こんなに真にせまった蠟人形なんて、あるものかしら。

「早苗さん、これ、蠟人形だと思って?」

 黒衣婦人が、薄気味のわるい微笑をふくんで、じらすようにたずねる。その言葉が、なぜか早苗さんをドキンとさせた。

「どことなく、人形とは違った、恐ろしいようなところがあるでしょう。早苗さんは、はくせいの動物標本を見たことなくって? ちょうどあんなふうに人間の美しい姿を、永久に保存する方法が発明されたら、すばらしいとは思わない? それなのよ。あたしの部下のものが、その人間の剝製というものを考案したのよ。ここにいるのは、その人の試作品なの。まだ完全というところまではいっていないけれど、でも、蠟人形なんかのような死物ではありませんわ。生きているでしょう。中身はやっぱり蠟なのだけれど、皮膚と毛髪とは、ほんとうの人間なのよ。そこに人間の魂がつきまとっているんだわ。人間のにおいが残っているんだわ。すばらしくはなくって? 若い美しい人間を、そのまま剝製にして、生きていればだんだん失われて行ったにちがいないその美しさを、永遠に保っておくなんて、どんな博物館だって、まねもできなければ、思いつきもしないのだわ」

 黒衣婦人は、われとわが言葉にこうふんして、いよいよ雄弁になって行った。

「さあ、こちらへいらっしゃい。この奥にはもっとすばらしいものが陳列してあるのよ。これはいくら真にせまっても、魂を持っていても、動くことはできないのだけれど、この奥には、ピチピチと動いているものがあるのよ」

 みちびかれるままに、また一歩角を曲がると、今までの静的な風景とはガラリと変って、そこには、動く美術品が陳列されていた。

 太い鉄棒の、か虎のおりのようなものがあって、その中に、赤々と燃える電気ストーヴといっしょに、一人の人類がとじこめられているのだ。

 それは日本人であったが、Tという映画俳優によく似た、二十四、五歳の水ぎわ立った美青年。それがスッキリと、均整のとれた肉体を丸はだかにされて、一匹の美しい野獣のように檻の中に入れられている。

 彼はふさふさとした頭髪を、両手でかきむしるようにして、檻の中をイライラと歩きまわっていたが、黒衣婦人の姿を見つけると、動物園の猿のように、銑棒をゆすぶりながら、大声にわめき出すのであった。

「待て! 毒婦! 貴様はおれを気ちがいにしてしまう気か。いっそ早く殺してくれ。おれはもう一日も檻の中なんぞで、生きていたくはないんだ。コラ、ここをあけろ。あけてくれ……」

 彼は白い腕を鉄棒のあいだからニュッと突き出して、女賊の黒衣をつかもうとした。

「まあ、そんなに怒るもんじゃないわ。美しい顔が台なしじゃないの。ええ、お望み通り、今にやがて、息の根をとめて上げますわ。そして、このあいだまでこの檻の中に同居していたK子さんと同じように、永遠に年をとらないお人形さんにこしらえてあげますわ。ホホホホホ」

 黒衣婦人が残酷にちようしようした。

「え、なんだって? K子さんが人形になったって? 畜生め、それじゃ、とうとうあの人を殺したんだな。そして剝製人形にしたんだな……だれが、だれが人形なんぞになるもんか。おれは貴様のおもちゃじゃないんだ。ちっとでもおれに近づいてみろ、どいつこいつの容赦はない、片っぱしからみ殺してやるぞ。のどぶえに嚙みついて息の根をとめてやるぞ」

「ホホホホホ、まあ今のうちに、せいぜいあばれておくといいわ。お人形にされちまったら、石のように動けなくなるんだから。それに、あたしは、そうして美しい男の子のあばれているのを見るのが、この上もない楽しみなのよ。ホホホホホ」

 黒衣婦人は、青年のもんを享楽しながら、さらに新らしい恐怖に説き進んだ。

「あんた、K子さんがいなくなって、さびしいでしょう。どこの動物園へ行って見ても、猛獣の檻には大ていおすめすとがお揃いでいるものだわ。あたし、もうせんから、あんたにお嫁さんをお世話しなけりゃと思って、いろいろ心がけていたのよ。そして、きょうやっと、その花嫁さんをお連れ申したってわけなの。ごらんなさい。美しいお嫁さんでしょう。どう? お気に召さなくって?」

 早苗さんはそれを聞くと、ゾーッと悪寒を感じて、顎のあたりがガクガクふるえるのをどうすることもできなかった。

 今こそ、「黒トカゲ」の邪悪なたくらみの全貌が明らかになった。女賊は、美しい早苗さんをまるはだかにして、この檻の中へ投げこむために、それから、頃を見て、彼女の生皮をぎ、恐ろしい剝製人形として、悪魔の美術館を飾るために、あれほどの苦心をして、彼女を誘拐してきたのだ。

「あら、早苗さん、どうなすったの? ふるえているんじゃないの? あしの葉のようにふるえているわね。わかって、あなたの役割が。でも、このお婿さん、まんざらでもないでしょう。それともお気に召さないの? お気に召しても召さなくても、あたしは、もうちゃんと、そういうことにきめてしまったんだから、我慢してね」

 早苗さんは、あまりの無気味さ恐ろしさに、もう口をきく気力もなかった。立っているのがやっとだった。頭の中がスーッとからっぽになって、フラフラとくずおれそうであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る