第二章 お嬢様ご来店

 マルセンが来た翌日。アイリスにとって忘れられない出会いとなるお客が訪れる。


「イクト様~。またわたくしのお洋服を仕立ててもらいたいのですけれどお願いできますか?」


「いらっしゃいませ。仕立て屋アイリスへようこそ」


扉が開かれると上機嫌な様子の女の子が笑顔で店内へと入ってきた。アイリスは慌てて店の奥から出てくるとお客を出迎える。


「っ!?」


(可愛い女の子だな。服装からしてお金持ちの子かしら)


彼女の姿を見た途端女の子は驚いて目を見開く。そんなお客様を見ながらアイリスも心で思ったことを呟いた。


「あなた誰ですの」


「は、はじめまして。私はこのお店の店長を務めさせて頂いてますアイリスです」


先ほどまでの驚いた顔を一瞬で消すと睨み付けてくる少女へと彼女は慌てて自己紹介する。


「あなたが店長ですって? それじゃあイクト様はどうなったのよ」


「おや、お嬢様いらっしゃい。今日はどのような御用かな」


アイリスの言葉に慌てた様子で食いついてくるお客へと、イクトが店の奥から出てくると柔和な笑みを浮かべて言う。


「イクト様。この人が店長ってどういうことですの?」


「こ、これには理由がありまして実は――――」


不機嫌になるお客へと向けてアイリスは事情を説明する。


「つまりあなたが一年間このお店で店長を務めれるかどうか、ってことを見るために仮契約して店長として働いているということですのね」


「そ、そうです」


理由を聞いて理解はしてもらえたようだが女の子の顔はいまだ不機嫌そうなまま。アイリスは何か怒らせるようなことをしたのだろうかと思いながらお客を見やった。


「……そんなことわたくしは認めませんわ。このお店の店長であるべき方はイクト様だけよ。仕立て屋なんて他にも幾らでもあるでしょ。あなたはさっさとこのお店を出て他の仕立て屋で働けばいいわ」


「お嬢様。このお店で働かせるかどうかを決めるのは俺の勝手です。ですからお嬢様はこのお店のやり方に口出しするのはよろしくありませんよ」


鋭い口調で言われた言葉にアイリスが驚いていると普段穏やかなイクトも少しきつい言い方で諭すように話す。


「イクト様はご自分のお店を他の人に取られてもよろしいんですの? イクト様はこの街になくてはならない仕立て屋の店主です。それなのにこんなお針子見習いの子を店主にして大事なお店を取られてもいいんですの」


「お嬢様。なにか勘違いなさっていらっしゃるようですが、俺は先代がやってきたこのお店を守りたくて受け継いだだけにすぎません。ですから俺の他にこの店を好きになり働きたいと思ってくれる人がいるのはとても嬉しいことなんです。俺はアイリスにゆくゆくはこのお店を任せたいと思っている。分かって頂けますね」


女の子の言葉に彼が説明するように話すと有無を言わせない口調でそう尋ねるように言う。


「分かりました。これ以上お話ししていても仕方がありませんわ。あなたにわたくしのお洋服を仕立ててもらいます。その代わり明日までに仕上げられなかったり、わたくしが満足できなかった場合、あなたはこのお店から出ていってもらいますわ」


「お嬢様」


お客の無理難題な注文にイクトが注意する様に声をかけるが女の子は頑として譲りそうにない。


「……分かりました。私お嬢様のお洋服を仕立ててみます」


「じぁあ、頼んだわよ。明日の朝取りに来るから。もしできなかったりしたらその時は約束通りこのお店から出ていてもらいますからね」


これ以上イクトと女の子の間に嫌な空気が流れないようにとアイリスはお客の注文に了承する。女の子は少しだけ満足そうに言うと店から出ていった。


「……」


「アイリス大丈夫? 本当はお嬢様はあんなに誰かを傷つけるような事を言うような子じゃないんだ。だけど今日のお嬢様は一体どうしてあんなことを……」


少し放心状態の彼女へと彼が優しく声をかける。


「イクトさんが経営するこのお店の事が好きなんだと思います。だから私がこのお店の店長をしていることが気に入らなかったんだと思います」


「アイリス……」


その声に反応し笑顔で答えるアイリスだったがイクトは何とも言えない気持ちで彼女を見た。


「大丈夫です。私やれるだけのことはやってみます。でも、もしお嬢様の納得のいく品を作れなかったらその時は……」


「……俺も手伝うよ。お嬢様の服の型ならあるし、それを使ってアイリスが思う服を仕立ててみるといい」


「はい」


心配してくれているのが伝わりアイリスは精いっぱいの笑顔で話すが途中で言葉を失う。泣き出しそうな顔の彼女を見てイクトが優しく声をかけ励ます。


アイリスは返事をすると無理難題な注文に挑むため作業部屋へと向かった。


「イクトさんお嬢様はどんな服が好みですか?」


「可愛い服が好きみたいだよ。だけどそこはアイリスが見たお嬢様に似合う服を作ってあげればいいと思う」


「私が見た……お嬢様に似合う服」


イクトの言葉に彼女は考え込むと頭の中にお嬢様の姿を思い出す様にイメージする。


(お嬢様はとても可愛らしい方だった。でも……それだったらきっと……)


「何か名案が浮かんだようだね」


笑顔になったアイリスの様子に彼が声をかけた。


「はい。早速生地を選んで作ってみます」


「うん」


彼女は返事をすると沢山ある素材の中から思い描く服に使う生地を探し始める。


「あった。アルホンドルの絹布に金のバフォールの糸」


「……」


目当ての素材を見つけるとアイリスはさっそく型紙を布に当て印をつけると裁断を開始した。そんな一生懸命頑張る姿を優しい目で見つめながらイクトは部屋から出ていく。


「ここにリボンをつけて、それで胸のあたりにはレースとギャザーをいれて……腰のコルセットで締めてスカートはふんわりとするよう余裕を持たせて……うん、できた」


夕日が差し込む作業部屋でアイリスは仕立て終えた服を見詰めて笑顔になる。


「お疲れ様。うん、とっても素敵な服が出来上がったね」


「お嬢様はとても可愛らしい方だったけど、でもただ可愛いだけじゃないと思って。確り者って感じの雰囲気も漂っていたのでこの服ならきっと似合うんじゃないかと思います」


紅茶とクッキーの入ったお皿を作業台の上へと置き労うイクトへと彼女も笑顔で答えた。


「俺もそう思うよ。お嬢様はセイシル家のご長女であらせられるからか、幼いころから色々な教育を受けてお育ちになられたんだ。だからきっとただ可愛いだけじゃないんだと思う。だがお嬢様はご自分でそれをご理解していないのか、見た目ばかりを気にして派手でお洒落な服ばかりを選ぶ傾向があった。だから俺がお嬢様に似合う服を今まで仕立ててきたたんだ」


「そうだったんですね。だから今日着て見えた服はお嬢様に良く似合っていたんですね」


彼の言葉に今朝見た女の子の姿を思い浮かべながらアイリスは呟く。


「うん。だけど俺が作る服はお嬢様の可愛らしさを際立たせはするが、お嬢様らしさと言うものが全く出せていないんだ」


「そうでしょうか?」


思ってもいなかった言葉が返ってきて驚いて目を瞬いた。


「お嬢様にふさわしい服をまだ仕立ててあげられていない……そう思っている」


「イクトさん……」


自分の仕事を謙遜するイクトへと彼女はなんて言葉をかければよいのか迷う。


「だけどきっとアイリスが作ったこの服ならお嬢様が本来持っているお嬢様らしさを自然と際立たせる事ができると俺は思っているよ」


「そんな私なんてまだまだ……私の作った服とイクトさんが作った服とを比べるなんて」


笑顔で言われた言葉にアイリスは恐れ多いと言った感じで慌てて手を振って答える。


「アイリス。君は俺が見てきたどの職人よりもお客様のためを思い、お客様だけのオリジナルの服を仕立てる事ができるそんなお針子さんだと俺は思っているよ」


「イクトさん……」


イクトの期待に自分はちゃんと答えているのだろうかと不安を覚える。そして彼が自分のことをそんなふうに見てくれていたのだと知れて嬉しくも思った。


「大丈夫。君は自分の仕事に誇りを持つべきだ。君が自信がなさそうな顔をしていたらお客様だって不安になるよ。だから、ね」


「はい」


微笑み諭すように言われた言葉にアイリスは小さく頷いた。


そして翌日。約束通り開店と共に女の子がお店へとやって来る。


「出ていく覚悟はできていて」


「……アイリス」


きつい口調で言われた言葉にイクトがアイリスを見やった。


「お嬢様。まずは私の仕立てた服を着てみて下さい。それからご判断を」


「まあ、いいですわ。さあ、あなたが仕立てたっていう服を持ってきて頂戴」


彼の言葉に頷くと彼女は緊張でこわばる身体をごまかすかのように話す。


女の子の言葉に棚からドレスを取り出すとお客の前へと持ってくる。


「こちらです」


「……まあ、地味な色です事。こんな地味な色の服をわたくしに着ろっておっしゃるの」


服の色を見た途端不機嫌そうな顔をすると着るまでもないといわんばかりにつっぱねた。


「お嬢様、服を試着してから決めてはもらえませんか」


「イクト様がそうおっしゃるならしかたありませんわね」


イクトに促されしかたなく試着室へと入っていく。


「どう、でしょうか」


「……」


試着室に入ったまま出てこない女の子へとアイリスが声をかけるがそれに返事はなかった。


「お嬢様?」


「これ……本当にあなたが仕立てたんですの?」


返事がないことを不思議に思いイクトが声をかけると、試着室から出てきた女の子が興奮した感情を抑えるような口調でそう問いかける。


「はい。お嬢様に似合う服をイメージしながら作りました。……どう、でしょうか」


「その……こんな地味な色わたくしには似合わないって思ってましたけれど、着てみたらわたくしの肌や髪の美しさがより美しく見えて、それにお洋服もとても可愛くて、でもそれだけじゃなくセイシル家の長女であるにふさわしい風格もかもし出していますわ。それにこの服の風合い気に入りましてよ」


不安と緊張で動悸が早まる中アイリスは尋ねる。


それに照れた顔で笑顔を浮かべた女の子が答えた。


「! ……気にいって頂けて良かった」


「実はわたくしあなたがこの店で働くって事が気に入らなかったの。だってイクト様とずっと二人きりでお店にいるんだって考えたら嫉妬してしまって。でもこんなに素敵なお洋服を作れるんですもの、あなたがこのお店で働くことをわたくしは歓迎いたしますわ」


「お嬢様……」


お客の笑顔に安堵する彼女へと女の子がようやく穏やかな口調になってそう話す。その言葉にアイリスは嬉しくて涙ぐむ。


「それに初めて会った時はわたくしより可愛いって思ってましたけど、針で手を怪我するほどのドジな方にわたくしが負けているはずありませんものね」


「へ?」


お客の言葉に彼女は驚いて自分の手を見やる。店を追い出されるかもしれないという無理難題な注文をこなすために頑張っていて気付かなかったのだが彼女の手は針で刺した後がいたる所にあった。


「気付いていらっしゃらなかったの? あなたの手怪我だらけですことよ」


「ほんとだ。血も出ている。ばんそうこうを持ってくるからちょっと待ってて」


不思議そうに話す女の子の言葉にイクトもアイリスの手を見て奥から救急箱を持ってくると告げて駆けて行った。


「まったくあなたってドジなんですのね。せいぜいイクト様の足を引っ張らないようお気をつけあそばせ」


「は、はい……」


呆れる女の子へと彼女は苦笑するしかなくて空笑いで返す。


「その……まだわたくしの名前を教えていなかったわね。わたくしはマーガレット・セイシル。名前で呼ぶことを許して差し上げますわ。それからこれからもあなたがイクト様の足を引っ張っていないかどうか見るために時々様子を見に来ますからね。そのおつもりで」


「はい。マーガレット様。これからもごひいきによろしくお願いします」


照れた顔を明後日の方向へと向けて話すマーガレットにアイリスは嬉しくて笑顔で答えた。


「ふ、ふん。せいぜいわたくしが失望しない様頑張ることね」


「はい」


その笑顔から逃げる様に顔をそらしたまま言う。そんなお客へと彼女はおかしくて小さく笑いながら返事をする。


お嬢様の無理難題な注文を無事に終える事ができこのお店で働けることに安堵しながら、また新しいお客様と知り合いになれてアイリスは嬉しさを覚えたのだった。

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