17.4 会議を踊らす



「厳密にいえば、これは交渉ではありません。通告です」


「どういう意味かな、エパメノインダサさん?」


「どうぞそのまま、素直に受け取ってください。あなたがた人類の否諾にかかわらず、わたしたちは今後一切の侵略行為をやめます」


「われわれが兵を退かなくとも、ということですか」


「はい」


「わからないな。そんなことをすれば、今度はあなたたち魔物がいっぽう的に被害を受けることになる」


「いいえ。やめるのは侵略行為であって、戦闘行為ではありません。戦闘はやめられない。殺しあいはわたしたちの本能ですから」


「ちがいはどこにあるのかな」


「マァ、アンタたちにしてみればちがいはないかもしれないね。相変わらず、人類は魔物に殺されつづけるわけだし」


「おそらくちがいは数となって表われるでしょう。兵士の死亡者数は減るはずです」


「民の生命は?」


「同じです。総数としては激減する、と申しあげて差しつかえない」


「そもそも一切の戦闘をやめるように命じることはできないのか?」


「できません。はっきりいいましょう。わたしたちは烏合の衆です。あなたがたが思いつく限りの、最もタチの悪い野盗の群れを想像してください。想像できましたか? 彼らはどんな非道な行いをしていますか? できるだけくわしくお願いしますよ。ハイ、けっこうです。さて、端的に申しあげて、わたしたちはそれ以下です。わが魔王のおことばを拝借すれば、わたしたちにはアホ、アホ、アホしかいません」


「ひゃっは」


「指揮系統などあってなきようなもの。あなたがた人類の組織と同じと考えてもらっては困ります」


「これは参った、エパメノインダサさん。あなたと話しているととてもそんなふうには思えないけれど」


「もうひとつ、ぶっちゃけましょう。この会議に参加している魔物でほとんどすべてなのです。これがわたしたちの虎の子。いわゆる対話などという悠長なやりかたを、まがりなりにもあなたがたがしているように模倣できるとしたら、それはここにいるわたしたちをおいてほかにいません。これを基準にしてもらっては困ります。いま、この瞬間は、わたしたち魔物と、あなたがた人類の、真に貴重な相互接触の場とお考えください」


「フフフ。つまり、エパメノインダサさん。あなたはご自分が魔物の中で最も傑出した知性の持ち主であるとおっしゃるのだな」


「知性なるものを持っていることは、魔物にとって決して誉れではない。わたしたちは対話ではなく、殺しあいによって相手をより深く理解するのです。もちろん、そのときには相手が死んでいることも多々あるわけですが」


「なんだか哀しい生き物」


「それは価値観の相違というものです。こうお考えください。あなたがたは視覚や触覚、すなわち五感を使って目の前にいる相手を理解しようとしますね。それでどの程度、理解できますか? 半分ですか? もうすこし多い? しかし相手を完全に把握できたと信じることはまれなのではないですか? どうしても隠されている部分があるのではないか、と疑ってしまう。ですからこのような会議が、されど進まずとなるのも無理からぬことです。しかしわたしたちはちがいます。暴力に関する特別な感覚受容器が発達しているのです。殺しの瞬間、魔物は相手を完全に把握する、ほとんど彼我の境界がなくなるくらいまで。だからわたしたちには対話の必要がない。それよりもっと優れた交感の手段があるのだから」


「でもそんなの一回きりじゃない。相手が死んでしまったら意味がない」


「そもそもそれは生き残った側のみがいいえる理屈だ」


「まあまあ、みなさん。相互理解の方法については、ひとまずおいておきましょう。われわれ人類が、その最良のやりかたをいまだ知らないというのは事実なのだから」


「こちらこそ、ですぎたことをいいました。どうか謝罪を受けいれてください」


「(のーのー、女騎士ちゃん。あの冷静沈着を絵に描いたようなダンディーな紳士は何やつぢゃ?)」


「(マクリシミアン・ドーゾ。サーシュ海軍のいちばん偉いかたじゃないかな)」


「(軍人のトップがきているのかや?)」


「(それだけあの国がいれこんでいるってことだろ)」


「以上のことを踏まえた上で、人類にお願いしたい。わたしたちには探しているものがあります」


「『繭』、でしたかな」


「ハイ。わたしたちには魔界に帰る手段がない。ひとつ確実なのは『繭』です」


「それに乗ってきたんだから、それに乗って帰ることもできるってワケだ」


「しかし、『繭』は手段にすぎません。何かべつの方法があるのならそれでもかまわない。わたしたちは協力を要請します。知性と想像力を発達させてきたあなたがただからこそ、わたしたちには及びもつかない手だてを考えつくかもしれない。どうか、わたしたちが在るべき場所へ、帰る手助けをしていただきたい」


「人間と魔物の共同作業か。字面だけ見れば、なかなか魅力的な提案じゃないか?」


「だがそれが嘘ではないという保証は?」


「とおっしゃると?」


「たとえば、その『繭』がわれわれを滅ぼす切り札になるとしたら? 笑い話にもなりませんぞ。まさしく自分で自分のくびを絞めるようなものだ」


「『超古代兵器まゆ』とゆーわけぢゃな。うおおーっ、滾ってきた」


「失礼ながら、わたしたちが人類を絶滅するのに切り札は必要ありません。いま持っているものだけでじゅうぶんです。ただ、完遂までには時間がかかる。すでにご説明申しあげたとおり、魔物が自由に行動するには瘴気が必要です。そのためにはこの地上を汚染しつくさなければならない。わたしたちの試算によれば、それまでにはこの地上の時間の尺度で二五〇年かかる。わが魔王はそれを長すぎる、とお感じになりました」


「だから退く、と?」


「ハイ」


「地上侵攻というこの一大事業を途中でほっぽりだして?」


「ハイ」


「こどもか!」


「よくおわかりですね。わが魔王は、あなたがた人類の五歳児となんら変わるところがありません」


「ホメんなよう、オラ、野原しんの――」


「ほめてません。しばらくお黙りください、わが魔王」


「ハッハッハッ。日頃のご苦労がしのばれますな、エパメノインダサさん?」


「だが、それでも、わが魔王はわが魔王です」



 バタン!



「なんだ、会議中だぞ!」


「いやー、遅れてすまんくそ。寝坊しちゃった」


「どなたかな?」


「あンれー? ここって魔王軍と大メス王国が話してる場所じゃなかったっけえ」


「それはまだ始まっておらん。いまはサーシュ王国との交渉の時間――」


「おっ。しめた。遅刻しないですんだんだ」


「わかったなら、とっとと退出願おう」


「ふーん。あのさあ、もしかしてここに魔王っている?」


「いいからでてゆけ!」


「おるぞい」


「ゲェーッ。ナニそれナニそれ、人間じゃん。しかも激マブ!」


「わらわの美貌にひざまずくがよみ!」


「ははーっ。くくくクツをお舐めしてもヨヨヨよろしいですかーっ?」


「うンむ。くるしゅうない」


「わが魔王」


「そなたも控えよ。ここをどこだと思っている?」


「劇場かな、人生という名の。きらりんこ」


「なんか、シンパシーを感じる。の、の。女騎士や、この者は誰じゃ?」


「知るかっ」


「おれの名前はマリクシード。マリクシード・ル・ボン。世界最強の魔法使いさ。うん、となりの娘さんもなかなか悪くない。あと三年経ったらおぢさんのところへきなさい」


「マリクシード!」


「あの伝説の?」


「世界最強の魔法使いが、こんなに若いはずがないっ」


「いや、三十五はまだ若いよ。他人を年寄りみたいにいわないでくれっか?」


「三十五? いや、確かに十代の頃からすでに伝説の名を恣にしておったな」


「本物なのか?」


「本物かどうかはともかく、只者ではないことは確かなようですよ。で、その世界最強の魔法使いどのがなんの用かな?」


「とっつぁん、つってもわかんねえか。メスのサバイ将軍に頼まれてやってきた。魔王の実力を測ってくれってさ」


「な、なんと」


「そなたごときに測れるのかや、わらわの実力が?」


「わかんね。でも、おれにできないならこの世の誰にもできないだろーね」


「吹くな、人類。なんならアタシが相手になってやろうか?」


「厭だよ。おれだってきたくてきたんじゃない。引きこもり生活が長くってね、余計な体力は使いたくないの。とっつぁんにはひとつ重大な借りがあって、魔法使いにとってそーゆーちょっとした気がかり、ってゆーか浮き世のしがらみみたいなモンは、あとになって過誤の因になりかねねーんだわ。それをここで返上できんなら、おれとしてはぜひとも熨斗つけておかえしておきたいってわ・け。だからして、べっぴんさんのお誘いはとてもとても嬉しいんだけンども、いまは魔王との逢瀬を優先させたい。てゆーか魔王軍ってのは、またの名を美女軍団とでもゆーのかい? わー、ステキステキ、おれもいっぺん魔界に堕ちてみたいワ」


「いずれにしてもいまはわれわれの番だ、あとにしてもらおう」


「いいのかい、それで?」


「何がだ」


「大メス王国だよ。あちらさんが何を考えているか知らんけど、おれを呼ぶってことは、自分でゆーのもなんだけど、平穏無事にすませるつもりがないってことじゃないかしらっぺ?」


「マリクシード・ル・ボンといえば、騎士と、少女と、魔法使い、そのたった三人で、帝政ゲルトに宣戦布告して、勝利に導いた男」


「十年前、オブリガード無双艦隊をひとりで十日間足どめしたとかいう話もありましたな」


「何がいいたいんだい、きみは?」


「おれが頼まれたのはそこの魔王の底を突きとめることだけだ。交渉そのものに参加しろっていわれてるわけじゃない。そもそもメスの人間じゃないしな。おれには本来なんの利害関係もないんだ。だけど実際に交渉の場に立ち会うことになれば、そうもいってらんねえ。とっつぁんの手前もあるし、やくたいもないいいがかりをつけられて黙っていられる性分でもない」


「あの国以外の人間が会議をだいなしにしたとしても、メスには責任がないといいはるつもりか!」


「その人間がマリクシード・ル・ボンとなれば、表だって文句をいえる人間など皆無」


「それをわかっていながら、きみはメスの求めに応じる、と」


「さっきもいったとおり、おれには借りがある。なんなら誓約といってもいい。魔法使いにとってそーゆーものを反故にすることは、魔力の根拠にかかわることだ。他人にゃいくら嘘をついてもかまわねェが、自分に嘘をつくことは、ばあいによっちゃ致命的な結果に結びつく。てめえを信じられねーやつに魔法は使えないからな」


「わが魔王。お控えください」


「まだ何もゆってないじゃん、〈副官〉ちゃん」


「ではなぜ服を脱ぎだすのです」


「暑いから?」


「嘘おっしゃい。お願いですから、これ以上事態をややこしくさせないでください」


「べーだっ。こんなところで魔物VS.人類の頂上決戦がおっ始められるとは思わなんだ。さあ、アップアップ」


「いまのわが魔王はただの人類でしょう?」


「力を解放する。〈副官〉ちゃんの魔法で、そおぢゃな、成層圏くらいまで運んでおくれ。マリクシードとやらも、それでかまわんであろ?」


「がってんしょーち。やらいでか」


「息ピッタリだね、魔王たち」


「悪夢です。あんなのはこの世に二匹もいらない」


ブラックアウト




 ピカッ。



「――あ、流れ星」


「神さま、どうか世界に平和ガ訪レマスヨウニ平和ガ訪レマスヨウニ平和ガゥ」


「咬んでる」


「ああーん、三回いえなかったようっ」


ブラックアウト




「わが魔王、ご無事ですか?」


「をー、すご。身体のかたちに沿って地面がえぐれてるよ、ガッチリめりこんでる。しかもナゼか全裸。こんなことってあるんだ」


「あの高さから落下すれば、ふつうは全身の骨はバラバラ、軟らかい肉と内臓はグチャグチャになって四散するはずですものね」


「おーい、魔王。生きてるかあ? つんつん。というか尻ぷりっとしすぎじゃないか? ぜんぜん垂れてないっ」


「ええ。見ていると女としてくびをくくりたくなる領域の美尻ッ」


「……おまえらふたりとも、そんなことでいちいち語尾にちいさい『つ』をつけるな。いま驚くべきところはそこぢゃないであろ」


「あ。生きてた。そんなことより前、隠せ、前っ」


「お帰りなさいませ。わが魔王」


「勝った、のか? マリクシードどのが」


「われわれの、勝利?」


「イヤ。負けだ負け。おいらの負けェー」


「し、しかしマリクシードどのは無傷。対して向こうは満身創痍ではござらんか?」


「魔法使いにとって魔力は生命力と密接に結びついてる。それがいまやすっからかん、だ。おれが立っていられんのはこの派手な鎧のおかげさ。大小あわせて八十八の『魔法結晶』が嵌めこんであるかんなァ、ある意味八百長なのヨ。それに比べてあっちは裸一貫でありとあらゆる魔法を防ぎきった。惑星落としの魔法を剣でいなした熱血バカならひとり知ってるけど、さすがに素手ではない。二百五十六連結界を拳圧と衝撃波で破るやつなんてはじめて見た。てか、おれもきょうはじめて使ったんだけどネ、二百五十六連。いままでその半分もありゃどーとでもなったから。装備がぜんぶハジけ飛んでいやーん、バカぁん状態になってンのも不可抗力っつーか、本人がやったんだワ、すごいよ、アレ。あんだけキレーな表情してて、くびから下だけ筋肉ムキムキなんだもん、ありゃあ、バケモンだ。ちげーか、その名のいい表わすとおり、魔王以外の何ものでも、ない」


「では、世界最強の魔法使いどのから見た魔王の実力は?」


「すべて緑。ヤ、人類にとっては赤っていうべきなのか? どっちでもいいや。なんにしろ間違いない、アンタらが後生大事に信じてる勇者のことは知らないが、およそヒトには太刀打ちできるもんじゃない。穏やかに話しあいを続けることをオススメするね。あのさ、悪いんだけど、魔力が回復するまで二、三日寝床を貸しちゃいただけね?」


「すぐ手配しよう。わが国が責任を持ってきみを保護する」


「魔王、全力だしたのか?」


「んなわけあるかい。宇宙空間にも瘴気は存在せんかったからの。いちおー、〈殿下〉を空の上に待機させておったから、そこから瘴気の供給を受けて、三〇パーセントとゆったところか。世界最強は大ボラぢゃが、人類最強の称号ならくれてやってもよみ。おそらくまだ奥の手のひとっつやふたっつ、隠しておったよーぢゃし」


「わが魔王相手に余力を残すとはずいぶんとフザけた人類もいたものですね」


「あやつの人生において、わらわはなんとしてでもみずからの手で倒すべき敵、とゆーわけではなかったとゆーことであろ?」


「それはともかく、もうすこしまともなご帰還はできなかったのですか?」


「しかたがないじゃろ。魔物モードのまま地上に戻ったら、辺りいちめん、瘴気の海と化しちまうではないか。だから途中で瘴気を吐ききって人類の躰になったら、人類って空飛べないのな? わらわ、忘れとったわ」


「星になって帰ってくるって。それはそれで、魔王らしいけど」


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