幕間6

 祭りから帰っていて、詩月は病室へと、凪人は――広瀬の待つ部屋へと向かった。事前にここにいるから、と言われていなければ入ることを躊躇したと思う。

 静かな廊下でふうと息を吐き、扉をノックをする。「はい」と聞き覚えのある声が聞こえて、凪人は一人中に入った。

 広瀬は何か手元にある書類に何かを記入していたようで、そちらから凪人の方へと顔を向けた。

「あれ? 服、着替えちゃったの? 見たかったのに残念だな」

「当たり前でしょ」

 母親が用意してくれた浴衣から、元々着ていた学生服へと着替え直した凪人に、広瀬は残念そうに肩をすくめて見せると思いだしたように尋ねた。

「お母さんは?」

「……先に帰ってもらいました。どうせ俺はあと帰るだけですし」

「そう。……それで」

 広瀬の言うそれで、が詩月の手術のことと――それから、凪人自身のことに対する問いかけなのはわかっていた。

「どっちの話から聞きたいですか」

「いい話から聞きたいね。……あれば、だけど」

「ありますよ、いい話」

 苦笑いを浮かべる広瀬に、なんてことないような口ぶりで凪人は言った。

「詩月、手術受けるそうです」

「そう、か……!」

 凪人の言葉に、広瀬は勢いよく立ち上がった。そのせいで、キャスター付の椅子は背後の壁にぶつかって大きな音を立てた。

「あ、いや。申し訳ない。そうか……けど、よかった」

 椅子を元の位置に戻すと座り直し、安堵したように息を吐いた。

「そうと決まれば明日、さっそく日取りを決めて……ああ、日程を押さえなきゃ。いつなら大丈夫かな」

 広瀬が慌ただしくする中で、凪人は「あのさ」と声をかけた。

「俺、詩月の手術が終わるまで起きてたいんだ」

「それ、は」

 手を止めると、広瀬が凪人の方を向く。そして凪人の言葉が意味することを確認するように、口を開いた。

「詩月ちゃんが目覚めたら起こすのではなく、ってことかな」

「起きて待ってる。そう約束したんだ、詩月と」

「けれど、それでは……。先日も言ったとおり、これ以上の服薬は君の身体に負担がかかりすぎる。このままだと次に薬を飲まずに眠れば、もう二度と目覚めない可能性だって――」

「それでもいい」

 広瀬の言葉を遮ると、凪人はポケットに入っていたものを取りだし、手のひらを広げて見せた。

「これ、は……」

 中身のなくなった錠剤のシートを見て、広瀬は顔色を変えた。

「薬、もうないんだ」

「もうないって……」

 一回一錠、一日一回まで。そして、薬の効果が切れたら必ず眠ること。そう言われて出された二週間分の薬を、一週間と経たずに飲みきってしまっていた。

「あれほど決められた時間と回数を守るようにと……!」

「けどそれじゃあ、詩月との時間が作れなかった」

「そりゃあ、凪人くんのおかげで詩月ちゃんが決断できたことはたしかかもしれないけど、でもだからって……」

「違う」

 凪人は広瀬の言葉を遮ると、ギュッと自分の拳を握りしめた。

「俺が、最期の時間を詩月と過ごしたかったんだ」

「凪人くん……」

「だから、先生。ごめん。詩月の手術が終わって、目が覚めるまでだけでいいんだ。そのあとはちゃんと言われた通りの生活をする。どんなに眠っている時間が長くなっても文句だって言わない。お願いだから」

「なんで、それほど」

 凪人の言葉は、自分の命よりも詩月との時間を優先しているように聞こえて、広瀬には理解ができなかったのだろう。広瀬の疑問に、凪人は笑みを浮かべた。

「そんなの、詩月と約束したからに決まってるじゃん。起きたとき、そばにいてって言われたから、俺はその約束を守る。もう二度と、詩月との約束を破らないって誓ったから」

「……その結果、命が短くなったとしても……? ご両親が――」

 そう言いかけて、広瀬は口を噤んだ。そんな広瀬に、凪人は微笑みかける。わかっていた。自分の決断が、どういう結果をもたらすかを。そしてそのせいで両親を、そしてきっと詩月をも悲しませることも。でも。

「これは俺のエゴなんだ。だから、誰にどう思われてもいい。……本当は誰のことも悲しませたくなんかないけど、でもどちらかを選ばなくちゃいけないなら、俺は詩月を選ぶ。それで詩月と一緒の時間を過ごせるなら、俺は自分の残された命を精一杯生きたってそう思うんだ」

「……そうか」

 凪人の言葉に、広瀬は少し悲しそうな表情を浮かべ、それから凪人を見つめた。

「それじゃあ僕の仕事は、君のそんな気持ちを無碍にしないように、ちゃんと手術を成功させること。それから」

 続く広瀬の言葉は、思いも寄らないものだった。

「君が一日でも長く、詩月ちゃんと笑い合える日々を作るのも、僕の仕事だよ」

「俺が、詩月と」

「そう。目覚めた詩月ちゃんのそばにいて、それで終わりなんて絶対にさせない。時間はかかったとしても、必ず」

「……っ。医者が必ずなんて言っちゃっていいんですか?」

 ツンとなる鼻を擦って、わざと茶化すような言い方をする。そうじゃないと涙声になってしまいそうだったから。

 そんな凪人の返答に、広瀬は頭を掻いて笑った。

「本当は言っちゃいけないんだけどね。君にならいいかなって、そう思ったんだ」

「……駄目だよ、約束はねすると守れなかったときに凄く後悔が残るんだ」

「でも……!」

「けど、嬉しかった。ありがと」

 守れない約束はするものではない。どちらもに後悔が残る。だから。

「俺、先生が主治医で本当に良かった」

 凪人にできるのは、詩月の命を守って欲しいと頼むことだけ。それ以上のことは凪人のため以上に、広瀬のためにしてはいけないことを知っていた。

「ありがとう」

 微笑む広瀬に頭を下げると、凪人は部屋を出た。

「でも本当はその言葉を、もっと違う場面で聞きたかったよ」

 閉めかけたドアの向こうから聞こえた広瀬の呟きに、聞こえなかったフリをして。

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