幕間2

 眩しい光に目が覚めると、カーテンを開け放ったまま眠った腰高窓から燦燦と太陽の光が降り注いでいた。時計を見なくても、今が朝ではないことなど一目瞭然だった。

「嘘だろ……」

 スマホの画面を恐る恐るオンにすると、ディスプレイに表示されたデジタル時計が正午を示していた。

「なんでこんな……」

 今日は土曜日で学校がない。だから別に正午に起きようが、夕方まで寝ていようがどうってことないし、逆に休みの日に朝から起きている男子高生なんて部活をやっているか何か用事があるかぐらいだろう。前日の夜、夜更かしどころか明け方まで起きているなんて話しもよく聞く。

 けれど、凪人の場合は違った。昨日の夜も二十一時にはベッドに入った。寝ようと思ったというよりは、睡魔に襲われもう起きていられなくなったのだ。

 ここ数週間、ずっとこんな感じだ。疲れているわけでも夜更かしをしているわけでもないのに、夜は早くから朝は遅くまで眠ってしまう。それも休日平日問わずにだ。このままだと学校に行けない日が出てきてしまう。

 実際、先週のうち何回かは朝起きることができずに遅刻をして学校に行った。ここまで来ると自分でも、そして家族も何かがおかしいと思うようになっていた。

「……おはよ」

「おはよう。今起きたの?」

「……うん」

 昼食の準備をしていた母親が、手を止めて凪人に視線を向ける。

「昨日は何時に寝たの?」

「二十一時」

「そう……」

 十五時間近く眠ったことになる。寝過ぎて頭が痛いなんてことはないけれど、ずっと寝転んだままの体勢だからか背中が妙に痛かった。

 冷蔵庫を開け、ミネラルウォーターのペットボトルを取り出して喉の奥に流し込む。冷たい水が乾ききった喉に心地よかった。

「……ねえ、凪人」

 思い詰めたような母親の言葉に、このあと何を言われるかなんとなく想像がついた。

 ペットボトルを持ったまま食卓の椅子に座ると、返事をすることなく俯いた。

 ああ、どうしてだろう。さっきまで寝ていたはずなのに、まだ眠い。

 襲ってくる眠気に必死に抗おうと、冷たいペットボトルを頬に当てた。

「まだ眠いの?」

「……うん」

「ねえ、やっぱり一度病院に行きましょう? こんなに眠ってしまうなんてやっぱり変よ」

 

「変って言っても、いったいどこの病院に行くの? 寝ても寝ても眠いんです、なんて言われても医者もきっと困るよ。眠れないんです、ならまだしもさ」

「それは、そうかもしれないけど」

 自分でもこの眠気が異常なことはわかっていた。だからこそ余計に病院に行くのが怖かった。……詩月には、あれだけ病院に池と言っていたくせに、勝手なものだと笑ってしまいそうになって、けれど母親の心配そうな表情を見てなんとか堪えた。

「ね、一度診てもらうだけでいいから。それで成長期特有のものだとわかれば安心だし、そうじゃないなら……」

 言葉の続きを母親が発することはなかった。そうじゃないなら、治療をしなければいけないのか、それとも何かあることを覚悟しなければいけないのか。続けようとした言葉はどちらだろう。

「……わかった。じゃあ月曜日に起きられなかったら行くよ」

「約束よ!?」

 何としてでも起きて、学校に行かなければ。そう思っていたのに。


「……嘘だろ」

 二日前と同じ言葉を、凪人は目覚めた瞬間に呟いた。目覚まし三つとスマホのアラームを五分おきにかけ、スマホに至ってはスヌーズ機能まで使ったというのに、目覚めると正午どころか十五時。あと一時間ほどで授業も終わる頃だった。

 少し前までは二十一時まで起きていられたのに、今では十九時を過ぎると眠気に襲われ、二十時には完全に夢の中だ。それなのに目覚めるのが十五時では、起きている時間よりも眠っている時間の方が多くなる。

「こんなの、異常だ……」

 服を着替え、一階に降りると深刻な表情で母親がリビングのソファに座っていた。

「……おはよう」

「おはよう。今、起きたのね」

「うん」

「……起きて、よかった」

 母親の頬を涙が伝い、ローテーブルの上に小さな水滴が落ちた。

「もう、起きないかと……思った……」

「母さん……ごめん」

 自分が眠り続けることで、こんなにも母親を不安にさせているなんて思ってもみなかった。

「……病院、行くよ」

 今から行けるのかはわからなかったけれど、母親を安心させるためにも病院に行かなければと思った。

 そんな凪人に母親は、頬の涙を拭いながら口を開いた。

「今日の十六時に予約を取ったわ」

「え?」

「午前中、凪人が寝てる間にね。きっと起きてこないだろうと思ったし、もし起きてきてくれたとしても、もう取っちゃったからって言えば仕方なくでも病院に行ってくれると思ったの」

 用意周到すぎて笑ってしまいそうになる。けれど、それほどまでに心配だったのだと思うと笑うことなんてできなかった。

「わかった。……十六時ってことはもう出る? どこの病院?」

「駅前の大学病院よ。この辺だったらあそこが一番大きいから」

「あ……」

 そこは詩月が定期検査でずっと通っている病院だった。

「凪人?」

「あ、ううん。わかった。じゃあまだ少し時間あるね。軽くご飯を食べたいんだけど、何かある?」

 凪人の言葉に母親は、カウンターに置いてある弁当箱を食卓に置いた。もしも凪人が起きてきて学校に行っても大丈夫なように、作っておいてくれていたようだ。

「……ごめん」

「なんで謝るの。別に凪人が悪いわけじゃないでしょ」

 そうかもしれないけれど、謝らずにはいられなかった。


 作ってもらっていた弁当を食べて、十五時四十五分頃家を出た。病院までは車で十分かからない。予約時間の少し前に病院に着くと、受付をし待合室の椅子に座った。

 夕方からの診療が十六時スタートらしく、待合室にはすでにたくさんの人がいた。少し待つと凪人の名前が呼ばれ、診察室へと向かった。

 真っ白な診察室には、男性の医師が机に向かって座っていた。白衣についているネームプレートには『広瀬』と書かれていた。

「はじめまして。今日はどうされましたか?」

「あの、えっと……最近凄く眠くて」

 話しながら、だんだんと恥ずかしくなっていく。眠いぐらいで来るなよと思われたらどうしようと不安になる。けれどそんな凪人の思いとは裏腹に、広瀬は真剣な表情で続きを促す。

「いつもはどれぐらいに寝て何時ぐらいに起きてたの?」

「前までは二十三時ぐらいに寝て、七時ぐらいに起きる感じだったんですけど。最近は十九時とか二十時には眠くて仕方がなくて、そのまま寝て目が覚めてたら昼とか……」

「そう……」

 机の上のカルテに凪人が話したことを広瀬は書き込んでいく。

「あの、眠くてとこの子は言いましたけど、まるで気絶するように眠りにつくんです」

 しびれを切らしたように母親が口を挟んだ。

「今日だって朝目覚ましが鳴り続けているのに全く起きなくて。私も何度も声をかけて身体を揺すったのに、それでも……。息をしていなければ、死んでいるのかと思うぐらいに反応がなくて……」

 誇張して言っているのではないことが、母親の口調でわかる。そしてこの話で凪人が起きたときの母親の態度に合点がいった。もう二度と目覚めないのではないか、そんな不安を抱えたまま凪人が起きるのを待ち続ける時間は、母親にとって恐ろしくて仕方がなかったのだろう。

 凪人と母親の話を聞き、広瀬は少し考え込むようにしたあと、二人の方を向いた。

「検査をしてみないことにはわかりませんが、もしかすると凪人くんの睡眠時間が長くなっているのには、何か病気が隠されているのかもしれません」

「やっぱり……」

 広瀬の言葉に、母親は心配そうに、けれどどこか安心したように言った。病気なら治るとそう思ったのだろう。それは凪人も同様で、治療すれば治るのであればそれでよかった。母親にもう二度とあんな表情をさせたくはなかったから。

 けれど広瀬の表情が厳しいことに気づき、不安になった。

「病気ってことは、治るんですよね」

 凪人の問いかけに、広瀬は眉間の皺を深くする。

「……たとえば、思春期特有のものであれば成長するにつれて落ち着くこともあります。ナルコプレシーのような過眠症であればお薬を出して生活リズムを整えていくことで改善することも可能です」

「そうではない可能性が、あるんですか?」

 含みのある言い方をする広瀬に、凪人は思わず問いかけた。

「……それを調べるために、次回は脳波を取って調べたいと思います。そのあとは可能であれば一泊二日で入院していただいて、実際に眠っている状態を見させてほしいのです」

「脳波に入院って……」

 そこまでのことになると思っていなかった凪人は動揺を隠すことができなかった。けれど。

「わかりました。よろしくお願いします」

 凪人に病院へ行くよう促した母親は、覚悟をしていたのか広瀬の話に頷き、そして頭を下げた。

「まだ何が原因かはわかっていません。ただ原因がわからないことには治療を始めることもできませんので、頑張って調べていきましょう」

「……よろしくお願いします」

 母親に倣い、凪人も頭を下げた。

 会計を済ませ、車に乗って母親と一緒に自宅に帰る。こんなことになるなんて思っても見なかった。気持ちが重くなるし、塞ぎ込んでしまいそうになる。

 六年前のあのとき、詩月もこんな気持ちだったのだろうか。それとももっと苦しかったのだろうか。

 どちらにしてもこんな気持ちを乗り越えた詩月は凄い。そういえば、今頃詩月は何をしているだろうか。金曜日、学校を休んでしまったからもう四日も会えていない。

「……会いたいな」

「何か言った?」

「なんでもない」

 思わず口をついて出た言葉を慌てて隠すと、窓の外を見つめた。

 明日は遅れてでも学校に行こう。眠る時間が足りないのであれば、起きられるようにもっと早く寝よう。そうすれば、詩月に会いに学校に行くことができるのだから。

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