ユウレイさんには夜が長すぎる

東雲ココ

プロローグ


 気がついたら足が宙に浮いていた。

 

 つま先を伸ばしてみても、絶妙に地面に届かない。意地になって靴の中にある指先が丸まるほどに力を入れていると、いつものように土踏まずを攣ってしまった感覚を覚えて、慌てて足首を直角に戻した。

(……えーと?)

 まるで寝起きのように頭が働かない。意味を成さない言葉を脳内で呟いてから、自分の置かれた状況を少しでも把握しようと足元から視線を上げて辺りを見渡した。

(……どこ?)

 目の前に広がるのは、雑踏。

 通勤途中のサラリーマンたちが、駅に向かって足早に歩道を歩いている。もうすぐ春とはいえど少し肌寒いらしい。目に映る人々が一様に肩を竦めて俯きがちに歩く様子を眺めながら、当の自分はその寒さをまったく感じていないことに気がついて首を傾げた。

 そういえばついさっき攣ったと思った土踏まずも全く痛くない。それどころかいつもなら常に重怠い肩回りも何故かすっきりとしている。――次々に浮かぶ違和感が疑問となって頭の中を埋め尽くしていく。それに為すすべもなくひたすらに傾げた首の角度を深めていれば、寒さに身を竦めた一人の男がいきなりこちらに突っ込んできた。

「わっ……」

 思わず目を瞑って受け身を取るように腕を構えるも、想像していた衝撃は一向に訪れない。不思議に思って恐る恐る目を開けると、突っ込んできたはずの男はすでに目の前から消えていた。後ろを振り返る。先の男の後ろ姿が延長線上に見えた。

 何かが、おかしい。

 眉を顰めたまま足元に目を落とした。相変わらず足は地面から浮いている。そればかりか、よく見ると足は浮いているだけではなく、うっすらと透けているではないか。

(まさか……)

 一つの推測に顔を上げた。いや、地面から浮いた足を見た時から本当はずっと分かっていたのかもしれない。

 深呼吸をして、地面を蹴るように空を蹴った。浮いた足を歩くように動かして、意を決してこちらに向かいくる人々の前に躍り出る。

 携帯に目を落としながら歩くラフな格好をした男の半身が、髪をひとつにくくった女が身に纏うトレンチコートの裾が、自分の身体をすり抜けていく。推測は確信に変わり、まるで葬儀にでも出られそうな真っ黒なスーツを着た男の全身が自分の身体をすり抜けていったところで、身体から力が抜けてその場にへたり込んだ。尻もちをついても相変わらず身体は地面からは浮いたままだ。

 ――どうやらユウレイになってしまったらしい。

 頭に浮かんだ答えに、しばらく正面をぼうっと見つめてから、上体を倒して雑踏の中を寝転んだ。行き交う人々の隙間から見える空は笑ってしまうほどに雲ひとつ無い快晴だ。今ならば、あの青に手が届くまで飛んでいけるかもしれない。よく目を凝らさなければ見えない空の動きを眺めながら、今ならなんでも出来るじゃん、なんていっそポジティブな考えが頭に浮かんで、少し心が軽くなった。

「ん~……」

 誰からも見えていないのを良いことに、上体を倒したまま大きく伸びをする。綺麗に晴れた空を眺めていると、まあこの自由を楽しむのも良いかもしれないなんて、次第に気持ちも前向きになってきた。

 とりあえず自由への第一歩として雑踏の中央で眠ってしまおうか。大胆な考えに口元を緩ませると、私はさっそく目を閉じた。

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