第26話

「ねえ、いつまでスマホいじってるの?」

「んー」


 放課後。私は瑠璃と電車を待ちながら、スマホをいじっていた。

 この前のデートの時は驚かせるつもりが色々あってそれどころじゃなくなってしまった。だから今日こそはと思って色々調べたんだけど、あまり参考にならない。


 恋人をドキドキさせるテクニックとか、そういうのを見てもどうもしっくりこないし。


 前に私からキスした時だってあまり驚いたって感じじゃなかったし、うーん。何をすれば瑠璃の余裕っぷりを崩すことができるのか。


 いっそいじけたフリでもして、どんな反応をするか見てみるか。

 いや、それも無理な気がする。私はそんなに演技が得意じゃないのだ。


「はい、没収」

「あっ、ちょっ」


 スマホを見ていたせいで返事が適当になっていたからか、国光は私のスマホを奪ってバッグに入れてしまう。


「駄目でしょ、二人でいるのにスマホばっか見てたら」

「二人でいてもスマホ見るくらい普通でしょ」

「じゃあ、言い方を変えよう。私が気に入らないから、ちゃんと私を見ること」

「む」


 あんまりじっと見つめ合いながら話をするのもおかしい気がするけれど、瑠璃がそれを求めるなら仕方ない。

 私は彼女を見つめた。


「これでいい?」

「うん、いいよ。……お、電車来た。乗ろう」

「あ、うん」


 瑠璃はそう言って、私の手を握ろうとしてくる。

 私はそれをひらりとかわして、電車に乗り込んだ。


「心望?」

「私のこと子供扱いした罰だから」

「……あはは。やっぱり、お子ちゃま」

「いちいち手を繋ぎたがる方がお子ちゃまですぅー!」


 無視するとかいじけたふりをするとか、そういうのは難しい。でもこれくらいならできるから、せめてもの抵抗としてやってみるけれど。


 案の定瑠璃は全く気にした様子を見せない。

 呆れるほどいつも通りだ。


 別にいいけど、恋人としてこうして一緒にいる期間も長いことだし、そろそろ瑠璃の余裕を失った姿も見てみたい。


 うーん、そのためにできることは何かあるだろうか。

 考えてみたけれど、わからない。私は小さくため息をついた。





 秋も本番を迎えたということで、街路樹はすっかり色づいてきている。

 今日のデートは特にプランも決めていないし、ただ都会の街をのんびりと歩いているだけだ。


 それも嫌いじゃないな、と思う。

 完璧なプランに従って一日を過ごすのもいいけれど、仲良い友達となら無計画に過ごしても楽しい。


 私たちはぶらりと街を歩きながら、興味のある店に入ってはああでもないこうでもないと言い合った。


 雑貨屋に入ったらあれが可愛いとかあれが綺麗だとか話をして、珍しいお菓子が置いている店に入ったらこれはどこの国のお菓子だと教えてもらって。


 なんて事のない日だ。

 だけどそれが楽しくて、夏でもないのにわけもなくウキウキする。

 瑠璃も楽しそうにはしているけれど、これはいつも通りだ。


 いつも通りもいいんだけど、それを崩したいような気もする。でも、どうやって?


「瑠璃って、いっつも楽しそうにしてるよね」

「うん? そうかな。心望も同じじゃない?」


 まあ、それもそうだ。

 私はいつだって人を楽しませて、自分も楽しむようにしている。


 最近は無理に瑠璃を楽しませようとはしていないけれど、二人で自然に楽しむことができている。


「ああ、でも。……心望は私と一緒にいる時が一番楽しそうかな」

「……」


 唐突な自信過剰発言である。

 私は一瞬絶句してしまった。


 時間が経って街を歩く人の数が増えたせいか、喧騒が耳に痛いような感じがする。


「私は心望と一緒にいる時が一番だから。心望もそうだよね?」


 そう言われて、いいえ違いますと言えるわけがない。

 実際瑠璃と一緒にいて楽しいのは確かなのだ。一番かどうかはあんまり考えたことがないからわからないけど。


 私は小さく息を吐いた。

 瑠璃は何かを期待するように私を見ている。


「私は——」


 その時、距離を置いて話していた私たちの間を人々が通過していく。

 ……さっきから妙に人が多いと思っていたけれど、いよいよ人混みに流されるくらいになってきたらしい。


 体が流されていく。

 私は人の波に逆らおうとしたが、無理そうだった。

 体格も良くなければ力もないし。何より波に逆らうほどの精神力がない。こんなことならちゃんと瑠璃と手を繋いでおくべきだったか。


 まあ、この文明が発達した世の中にはスマホという文明の利器があるわけでして。流されても後で連絡を取れば……いや。


「……私、瑠璃にスマホ没収されてるじゃん」


 連絡手段を失えば私は哀れな子羊。無力である。


「あ、ちょ、すみません! 通していただきたいのですが……!」


 うん。

 無理だな、これは。

 私はそのまま人混みに流されて、都会という迷宮で迷子になった。





「……どこだろう、ここ」


 別に私は方向音痴というわけではない。

 むしろ方向とか道とかは結構ちゃんと記憶できるタイプなのだが、残念ながら今回は人の数が多すぎて道を覚えるも何もなかった。


 結局辿り着いたのは謎の広場である。

 待ち合わせの場所にもなっているらしいこの広場は、人が大勢いても流されなくて済むくらいには広い。


 広場なんだから広くなきゃおかしいんだけど。

 それはそれとして。


「困ったなぁ」


 歩くのに必死でどこから来たのかも思い出せない。

 駅までの道を聞けば見覚えのある場所に着くかもしれないけれど、あいにく私はその辺の人に話しかけられるほど強くもない。


 瑠璃だったら迷わず道とか聞いたんだろうけど。

 というかそもそも、彼女は背が高いから、人混みに流されたとして道が見えなくなることもあるまい。


「……はぁ」


 完全に遭難した。

 知り合いとかいないかな、と辺りを見渡してみるけれど、同じ制服は見当たらない。


 下手に動いたら余計に道に迷いそうだったから、私は大人しくその辺のベンチに座った。


 国光は今何しているだろうか。私を探しているのか、それとも、もういいやってなって帰っているのか。


 私はバッグからシャーペンを取り出して、くるくると回してみせた。

 彼女からもらった青色のシャーペンは、毎日使っているけれどまだほとんど傷がない。


 ノートの方は結構ページを使っているが、最後のページに辿り着くにはまだ時間がかかるだろう。


 思えば本当に、色々あったよなぁ。

 見栄のために瑠璃と偽の恋人になって、キスしたりハグしたり触られたり。


 去年は想像もできなかった日常を今、私は送っている。来年は果たしてどんな学校生活になるんだろう。


 そして。

 再来年、学校を卒業した後、瑠璃とはどうなっているんだろう。


 考えてみれば、大学が別になったら、各々違う友達と遊ぶことになるだろうし。


 今みたいに年中会ったりはできないだろう。

 まあそんなものだよな、と思う。中学の友達ともちょくちょく遊ぶけど、中学生だった頃とはなんか、雰囲気が違うし。


 楽しくないわけじゃないから、いいんだけど。

 瑠璃とそうなったら、どうだろう。


 考えてみると、ちょっとだけ気分が重くなる。

 なんでだろ。友達じゃなくなるわけでもあるまいし。


「心望!」

「あ、瑠璃……わぷっ」


 瑠璃の声が聞こえたと思ったら、前が見えなくなった。

 抱きしめられたんだと気付いたのは、全身が締め付けられて痛くなった時だった。

 ちょ、痛い痛い。全力すぎるでしょ。


「よかった。もう会えないかと思った」

「むごごっ。むもっ」

「気をつけないと駄目だよ。心望は小さいし弱いし色々と流されやすいんだから」

「むめっ!」


 喋れない。というか息すらできなくなりそうなんですが。

 大袈裟すぎるし、このまま思い切り抱きしめられていたら窒息死して二度と会えなくなりそうですけど。


 背中を叩くと、ようやく熱すぎる抱擁から解放された。

 迷子よりむしろこっちの方がよっぽど危険だ。私は深呼吸をして、瑠璃の方を見た。


「こ、殺す気?」

「あ、ごめん。つい」

「ついって……」


 瑠璃はひどく不安そうな顔で私を見ていた。

 言葉に詰まる。

 本気で心配してくれていたんだって、すぐにわかった。


「……ごめん、迷子になっちゃって」

「私こそ、ごめん。ちゃんと心望の手を握っておけば、こうはなってなかったのに」


 彼女はそう言って、私の手を強く握ってくる。痛いくらいに。

 いや、それよりもスマホさえ返してくれれば。


「もう離さない。離さないから」

「そ、そんなに責任感じなくても……」

「だって、心望が一人で寂しい思いしてるかもって思ったら、不安で」

「……む」


 子供扱いされている……というよりは、彼女自身が寂しがりだからそう思うのだろう。


 私は迷子のことよりも、もっと別のことを考えていた。

 むしろ、私ではなく瑠璃の方がよっぽど寂しい思いをしたのではないかと思う。


 でも、ここまで心配するってことは、私のことを思ってくれているというわけで。

 不謹慎かもだけど、それはちょっと、嬉しいと思う。


「ほんとによかった。見つけられて」


 安堵したような笑顔で、彼女は言う。

 その笑顔は、初めて見る笑顔だ。


 こんな顔もするんだ。

 そう思った時、心の奥がじわりと温かくなるような、不思議な感じがした。

 だけどそれが一体どうしてなのかは、わからなかった。


 ただ、繋がれた彼女の手がとても温かくて、熱くて、ずっと手を繋いでいてもいいと思ったことだけは確かだった。

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