第13話

 この世界は狂っている。

 毎学期毎学期二度も試験をやるなんて正気の沙汰じゃないし、なぜこんなにも負担を強いられなければならないのかと思う。


 狂っている。中間期末で平然と高得点を取れと言ってくる教師も、実際に良い点を取れてしまう生徒も。


 むしろ私くらいが普通なのだ。ちょっとばかり赤点を取るくらいがごくごく普通の生徒なのだから、何恥じるということも……。


「はぁ」


 現実逃避はこれくらいにしておこう。

 期末試験が迫る中、私は試験勉強に追われていた。相も変わらず図書室に来てあれこれ勉強しているのだが、今日は全く集中できない。


 国光はよく集中して勉強できるよな、と思う。

 私は参考書を棚に戻して、帰り支度を済ませようとした。


「もー、ここ学校だよ? また怒られても知らないから」

「大丈夫だって。ここならバレないだろ。万が一見られても、図書室来る奴なんてチクらないって」


 私のバッグが置いてある席のすぐ隣で、カップルがいちゃついている。

 いつの間に発生したんだ。アスファルトから突き出て咲いているたんぽぽみたいな唐突さだ。


 しかも図書室に来ていることをディスられている。

 この状況で「あ、すみません荷物取ってもいいですか」とか言いにいけるわけないじゃん。


 私のハートはそこまで強くない。

 私は本棚の影からカップルの様子を窺った。


 男子が女子を膝の上に乗っけている。完全なる校則違反だ。確かに傍から見ると凄まじくいかがわしい。


 これは先生たちが禁止にするのも納得だと思いながら、私は彼らをじっと見つめた。


 別に、興味があるわけではない。

 ただ隙を見つけてバッグをとりたいだけで、彼らの触れ合いを見てドキドキしているとかそういうわけではないのだ。決して。


 おっと、そろそろキスでもするような雰囲気になってきているではないか。

 ああいうカップルって、どんな感じでキスするんだろう。ちょっと気になる。


「ねえ。そこにあるバッグ、取ってもいい?」


 いいところで邪魔が入った。

 見れば、いつの間にか国光がカップルの横に立っていた。


 今日は生徒たちが自然発生する日なんだろうか。

 勉強に疲れすぎて私の視力が死んでいるだけかもしれないけど。


「え、お、おう……」

「悪いね。でも、図書室であんまりそういうの、やんない方がいいと思うよ? 困る人もいるし、ね」


 国光の視線がこっちを向いた気がした。

 私は素早く棚の影に隠れた。


 ……待て。私は一体何をしているんだ。というか国光はあれが私のバッグだとわかっていて取ったのか、それとも。


「おーい、ポメ。バッグ取ってきてあげたよ」

「だ、誰がポメか!」

「友達には強気なのに、知らない人を前にしたらそうやって隠れちゃうとこ。小型犬みたいじゃん? あと、図書室では静かにね。今度は出禁になるかもだし」


 あまり図書委員に目をつけられるのは困る。家では勉強をする気にならないから、図書室か図書館で勉強するしかないのだ。


 家の近所には図書館がないし、わざわざ遠くの図書館まで歩くのも面倒臭い。

 だから図書室では大人しく過ごした方がいい、のだが。


「……ん。バッグ、ありがと」

「どういたしまして、むっつりさん」

「は?」


 誰がむっつりだ、誰が。


「すごい顔で見てたし。何? 膝に乗っけてるの見て、興奮したの? それとも、キスしてるとこが見たかったとか?」

「む」


 はい、見たかったです。

 とは言えないから、そっと目を逸らす。

 隣から国光の笑い声が聞こえた。


「ほんと、素直すぎ。……今更誰かのキスなんて、見る必要なくない? いっつもしてるんだしさ」

「いつもはしてないと思うけど……」

「私は毎日したっていいけどね」


 国光はそう言って、私にバッグを返してくれる。

 からかってきてはいるけれど、私が何も言えないでいるのを見てバッグを取ってきてくれたのは事実だ。


 そういうところはやっぱり優しいと思う。

 小心者、とまではいかないと思うけど、私は雰囲気が合わない人と話すのが苦手だ。ピリピリしている人とか、あまりにも元気で明るい人とか。


 ちょっと怖いなーってなって避けてしまうことが多い。以前は国光もそういう人の一人だったけれど、いつの間にかこうして仲良くなっている。


 そう考えると、目に見える印象とか雰囲気なんて意外に当てにならないのかも。

 苦手なものは苦手だけど。


「……国光はなんでここに?」

「勉強しに来たんだけど、今日は変なのがいるみたいだからやめとく」


 国光はちらとカップルの方に目を向けた。

 彼らは国光に注意されたためか、気まずそうな顔をしている。


 ちょっとわかる。国光は時々なんとも言えない圧力を感じさせることがある。友達の私だって逆らえないのだから、他人は言うまでもないだろう。


「私は帰るけど、小日向は?」

「私ももう帰る。勉強全然捗んないし」

「ふーん。じゃ、はい」


 国光は手を差し出してくる。

 私は迷子の子供か?


 バッグを取ってもらって、手まで握られたらいよいよ私は自分じゃ何もできない子供みたいになってしまうではないか。


「どうしたの? 早く手、繋ぎなよ」

「……遠慮しとく」

「この前は自分から繋いできたのに」

「今日は今日の風が吹いてるから」

「なるほど」


 国光はそう言って、強引に私の手を握ってくる。


「ちょっ……人の話聞いてた?」

「小日向は小心者だから、手繋ぎたくても繋ぎたいって言えないんだよね」

「違いますけど!?」


 幼児扱いされている。

 私が幼児なら同い年の国光も幼児ってことになるんだけど、わかっているんだろうか。


 私は不満に思ったが、彼女がどこ吹く風で歩き出してしまうから、観念して一緒に歩き始めた。


 国光は色々と強引だ。めちゃくちゃすぎると思う時もある。でもやっぱり優しくて、一緒にいて決して嫌じゃない。だから友達なんだろうとは思うけど。


 それでも、こういうところはムカつくかも。

 抗議の意味を込めて手を強く握ってみるけれど、国光はうんともすんとも言わなかった。





 私と国光は帰る方向が違う。だから遊ばない日は駅の改札前で別れるんだけど、今日はなぜか手を離してくれない。


「国光? 電車が行っちゃう……」


 ちょうど私が帰る方の電車が来たところだから走れば間に合いそうなのだが。

 ぐっと、手を引っ張ってみる。


 剥がれない。

 ぶんぶん振ってみる。

 無駄である。


「国光、ほんとに! 電車が、あ、ああぁ……」


 国光の手を引き剥がそうとしている間に、電車が行ってしまう。次の電車は数分後には来るけれど、この暑い中待つのは辛い。


 睨んでみると、国光はにこりと笑った。

 そんなに私の不幸が面白いのだろうか。だとしたら、やっぱり意地が悪いと思う。優しいなんて錯覚だ。

 許さん。


「もー! なんなの! 何がしたいの!」

「帰っちゃ駄目だよ」

「へ?」

「今日は小日向のこと、帰さないって決めたから」


 え。

 まさか、この前は私の空腹で中止になってしまったから、今度こそキスの続きをしようと目論んでいるのだろうか。


 いや、でも、そんなの。

 あれから色々考えたけれど、やっぱり友達同士とはいえ、そこまでしたらアウトだと思う。ノーカンで済ませられるのは多分キスまでだ。


 まあ、深いキスをノーカンで済ませるのも、どうなのよとは思うけど。

 でも国光は真剣に私を見ている。そんなに私のことが好きなんだろうか。もしかして今まで意地悪言ってきたのも、偽のカップルになりたいなんて言ってきたのも全部私が好きだからだったり?


 困ったなぁ。

 これも全ては私があまりに魅力的なせいなんだろうけれど、国光に好かれたってそんなに嬉しくない。


 やれやれって感じだ。

 ごめんなさい、可愛すぎて。


「今日は私の家で、勉強会ね」

「え゛」

「えじゃないよ。中間赤点取ったくせに、勉強捗んないから帰るとか許されるわけないでしょ」


 ごもっとも。

 いや、えー。

 帰さないって、そういう?


 え、無理やだ。もしかしてこの前もそのつもりだったのか。キスの続きは試験勉強です、みたいな。

 鬼かな?


「や、やだ! 今日はもう家に帰って漫画読むって決めたの! この前返してもらった漫画だってまだ読んでないのに!」

「うるさいよ。補習になったら夏休み潰れるよ。そしたら漫画読む時間も減るでしょ」

「うっ」


 ど正論である。

 今の快楽は後の苦痛に繋がる。であれば今は少し辛くても勉強をするべきなんだろうけど、うぐぐ。


「う、うちは門限が——」

「それは嘘。莉果ん家何度も泊まったことあるんだよね。門限厳しい家で、そんな頻繁に外泊できないでしょ」

「む、むむむ」

「ほら、行くよ。今夜は寝かせないから」


 わー、嬉しくない。

 今夜は寝かせないとか、私的スパダリに言われたいセリフトップ10に入っているセリフだけど、国光に言われても全然だ。


 というか、シチュエーションが間違っている。

 私はバタバタと暴れてみせたけれど、結局は悪さした猫みたいにとっ捕まえられて引きずられることになった。

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