第二十幕 雪消―トート―

 「…随分と簡単に認めるのね。」

 「素直に状況を理解しただけです。何も不思議な事では無いでしょう?」


 そう言いつつ睦は自ら【鉄ノ器】を解き元の人間に近い姿になる。

 その事が戦闘が終了した事を何より示していた。


 「なんじゃ?実力の割に諦めが早いのう。」

 「…。」

 「ん?どうした叶夜。」


 玉藻が叶夜に声を掛けるが彼は睦に視線を合わせたまま何も喋ろうとしない。

 そうしている間にも八重は陰陽機から降り睦に近寄る。


 「そう。だったらジッとしてなさい。足掻けば苦しむだけよ。」

 「…それは無理ですね。」


 睦がそう言うと妖気が高まっているのが分かる。


 「!!」


 八重は警戒して大きく距離を取る。

 陰陽師としてその選択は正しいものであったがそれこそが睦の狙いであった。

 睦と叶夜たちの間に強烈な吹雪の壁が生み出される。

 その勢いは先ほどの牢獄の比ではなく正に氷嵐と言うのに相応しい暴風と氷であった。


 「っ!雪女!!」

 「すみません。ここで滅ぼされるつもりはありません。」


 怒りを見せる八重の言葉に睦は氷嵐の向こうから冷静に返す。


 「ですが雪女として誓います。二度とあのような事はしません。これは信じて下さい。」

 「…妖の言葉を素直に信じるとでも?」


 八重も睦の言葉は嘘では無いと直感してはいるが陰陽師としてそれを素直に受け入れる訳にはいかなかった。


 「…信じて貰えないのでしたらそれは仕方ありません。ですがこの壁は如何に陰陽機や【怪機】と言えど無傷ではいられないでしょう。私を滅ぼすのにそこまでの覚悟があるのでしたらどうぞ通ってください。」

 「っ!(だったらこの嵐が止むのを待つしか…。)」

 「言っておきますがこの嵐は私が解くか私が消えるか二つに一つ。そして私は解く気はありません。」

 「なっ!」


 睦から語られる事実に思わず声を上げる八重であったが睦はさらに事実を突きつける。


 「さらに言えばこの氷嵐は山を一周していますから抜け道はありません。もちろん嵐が弱いところを探しても無駄です。」

 「そ、そんな事をして何を…!」

 「何も。」

 「え?」

 「これは私が何もしないという決意の表れです。このまま妖力が尽きて消えるまで私はここで何もせずに過ごします。」

 「…そんな事してアンタは満足なのか?」


 叶夜がそう問うと返事が来なかったがしばらくしてようやく返事が返って来る。


 「旦那様…いえ、叶夜様。満足も何もこうする他に方法は無いのです。…あなたへの思いも何もかも封印して私はここで生きていきます。」

 「…。」

 「では…ご迷惑をお掛けしました。…敵対しといて言うのも可笑しいですが皆様のご武運をお祈りします。」


 そう言ったのちに睦の声は聞こえなくなってしまった。

 その場を離れたのかどうかも不明であるがこれ以上の会話はする気が無いのは皆が理解できた。


 「な、なんて言うか。何か後味の悪い結末だな姉御。」

 「姉御言うな。…彼女が望んだ結末よ。突破が出来ない以上は放置するしかないわね。」


 栄介と八重がそう言いながら既に撤退の準備を始めるが一向に叶夜が下りて来る気配が無い。


 「…。」

 「叶夜、何を考えているかは分かるが止めよ。それは自殺じゃ、自殺行為ではなく自殺そのものじゃ。」


 【怪機】の中では珍しく玉藻が叶夜を諫めてた。


 「玉藻。」

 「普段であれば我が口出しする事はない。それはお主が生きる為に必要だと判断しとると思うからじゃ。意味があると思うからじゃ。」

 「…これには意味が無いと?」

 「全くの無意味になるじゃろうな。そもそも無意味になるかどうか分かる前に死ぬじゃろうな。」

 「…。」

 「それでも行くと言うのじゃったら我はもう何も言わん。」

 「…玉藻。」

 「なんじゃ?」

 「俺は死にたい訳じゃ無い。」

 「…いつか聞いた言葉じゃのう。」


 それは初めてあった日に玉藻に言った言葉。

 まだ一ヵ月も経っていないはずだが叶夜には遠い昔の様でもあった。


 「…だから俺は死ぬ気は無い。例え自殺そのものだとしても生きて帰る。」


 叶夜の宣言に黙ったままの玉藻であったがしばらくしてようやく折れた。


 「…はぁ~。全くどこでこんな我が儘になったんじゃろうか。」

 「それは間違いなく玉藻のお陰だと思うぞ。」

 「…嫌味か?まあさっきも言ったが我はもう何も言わん。我は言わんが。」


 と言って玉藻は【怪機】の首を下げる。

 そこにはいつまで経っても降りてこない叶夜を心配する八重の姿があった。


 「あの心配性の陰陽師を説得出来るんじゃったらな。」



 「絶対に!駄目よ!!」

 「ほれ、言うた通りじゃろ?」


 玉藻の予想どうり叶夜がやりたい事を説明すると八重は猛反対をした。


 「お、怒るのは分かるけど…。」

 「けども何も無い!正気の考えじゃないわよ!この氷嵐を生身で突っ切るなんて!!」


 そう叶夜がしようとしてるのはこの氷嵐を突っ切る、それも【怪機】に乗ってでは無く生身で。

 正に自殺そのものな行為に八重が怒るのも無理はないであろう。

 このまま八重が説教に移行しようとするが突如栄介が間に入る。


 「兄貴。それは本当に兄貴がやりたい事なのか?」

 「…ああ。」

 「ああって!叶夜君!!」

 「そうか。…さすがは兄貴だぜ。見知っただけの女にそこまでするなんてよ。兄貴に付いて来て良かったぜ。」

 「鎌鼬!あんた!」

 「済まねえ姉御!ただ男には無意味だろうとやらないといけねぇ事があるんだ!!」


 栄介が突然叶夜のフォローに回りどう説得するか考える八重にさらに玉藻までもがが叶夜の味方をしだす。


 「おい鎌鼬、お主は風の妖術で叶夜を囲え。我は火の妖術で少しでも当たる氷を少なくする。」

 「なるほど!気合入れて囲うぜ!」

 「囲うぜ!じゃない!何やる前提で事が進んでいるのよ!!」


 まるで既に決定したかの雰囲気に八重が待ったを掛けるが栄介はもう叶夜に妖術を掛け始めている。


 「諦めよ陰陽師。こ奴はこう言う奴じゃ。」

 「玉藻前、あなた…!」

 「我を睨んでも無駄じゃぞ。言い始めたのは叶夜じゃからな。」


 そう話している間にも叶夜の周りに栄介の妖術が発動し風が渦巻いている。


 「…叶夜君。」

 「すまん八重。ただどうしてもやらないと気が済まないんだ。」

 「っ!謝るぐらいなら止めなさいよ!」


 思わず怒鳴る八重であったが叶夜の決意は変わらないようである。


 「…玉藻頼む。」

 「分かった。」


 玉藻は妖術を使い火を栄介が作り出した風に乗せる。

 火は熱風となって叶夜の周りを渦巻いている。


 「この程度が叶夜が火傷しないギリギリじゃ。…中でどんな目にあっても知らんぞ。」

 「兄貴!生きて帰ってくれよな!」

 「…あ~もう!!」


 もはや言っても止まらない事を悟り八重は大量に札を取り出す。


 「叶夜君!上を脱ぎなさい!」

 「はい?八重、いきなり何を…?」

 「いいから脱ぐ!私の気が変わる前に!!」

 「は、はい!?」


 叶夜はすぐさま狩衣の上をはだける。

 すると八重は叶夜の体に札を張りまくる。


 「…温度を一定にするように書き換えた札よ。これで少しはマシになるでしょ。」

 「…ありがとう。」

 「礼を言うぐらいなら必ず生きて戻って、でなきゃ許さない。生き返らせても一発殴る。」

 「…それは嫌だな。」


 全ての札を張り終わり狩衣を着直す叶夜に最後の確認をする八重。


 「最後の確認よ。…本気なのね。」

 「ああ。」

 「…何をしたいのか分からないけどやるからには意味のあるものにしなさい。」

 「言われなくても。」


 そう言って叶夜は氷嵐の前に立つ。

 何者も拒否する壁の如く存在する嵐の前に僅かに後ろに下がる叶夜。


 「っ!…!!」


 だが意を決して氷嵐の中にその身を投じる。

 間髪入れずに襲い掛かる風と氷が叶夜の身を打ち酷い痛みが襲い掛かる。


 「!!!」


 声にならないと言うより口すら開けない状況。

 それでも一歩また一歩と足を進める。


 ―全ては睦にたった一言を伝えるために。



 「…。」


 睦はひたすら自らが作り出した氷嵐を見続けてた。

 それに何の意味があるかと問われれば何の意味もない。

 ただ僅かばかりの後悔がそうさせていた。

 だがゆっくりと首を横に振ると氷嵐を背に家に戻ろうとする。

 誰も待っていない一人ぼっちの家に。


 「…ああ。そう言う事ですか。」


 そこでようやく睦は千年もの間、自分がさまよい続けたか理由がようやく分かった。


 「諦めてたんですね…とっくの昔に私は。」


 他の雪女が男を捕まえても自分には無理だと諦め。

 さまよい続けながらも諦め続け。

 初めての恋ですらこうして簡単に手放してしまう。

 そのくせ諦めずにいる勇気も陰陽師に滅ぼされる勇気もない。


 「そんな臆病者が恋だなんて…笑えますよね。」


 そう言って睦はもう一度氷嵐を、いやその向こうにいるはずの叶夜を見る。


 「さようなら、私の初恋。」


 今度こそ睦は氷嵐に背を向け孤独な生を送り続ける。

 …筈であった。


 「!!氷嵐が乱れた!?」

 (…乱れ具合からして陰陽機や【怪機】ではない。けれど九尾はともかくあの二人に突破するだけの力はないはず。たまたま近くにそれが出来るだけの陰陽師がいた?とにかく確認だけはするべきですね。)


 そう思い場合によっては攻撃するつもりで睦が振り返るとそこには想像しえない光景が待っていた。


 「…は?」


 思わずそう言ってしまうほど睦にはそれが信じられずにいた。


 「ありえない。」


 そうそれは予想に入れる事すら馬鹿馬鹿しい事であった。


 ―彼は元々一般人である。

 ―彼にはそれをするだけの理由が無い。

 ―彼は被害者の側である。


 様々な否定の理由が睦の頭の中を駆け巡るが目の前の光景に間違いはない。

 そう間違いなく叶夜はあの氷嵐を突っ切ろうとしていた。


 「っ!!」


 それを理解した瞬間に睦は氷嵐をかき消した。

 再び作ろうとしてもあの規模の氷嵐は時間が掛かる。

 それが分かっていて睦は氷嵐をかき消し急いで叶夜に近づく。

 襲い掛かる風と氷が突如止み気が緩んだのか叶夜はその場に倒れ込もうとしていたがそれを睦が支える。

 狩衣は見事にボロボロで張られた札も全て剥がれ傷は無い所を探すのが難しいであろう。


 「っ!!何考えてるんですか!!馬鹿なんですか!?馬鹿なんですか!?生身でアレに突っ込むだなんて!!」


 思わず睦はそう叶夜に怒鳴りつける。

 あの氷嵐がどれほど危険かは彼女が一番理解していた。


 (なのに何で来るんですか!)


 そう思わずにはいられない睦に叶夜が口を開く。


 「…伝えたかったから。」

 「喋らないで下さい!簡単な治癒なら使えますから!!」

 「どうしても…君に伝えたかったから。」

 「そこまでして一体何を!!」

 「…諦めなくていいんだ。」

 「!!」

 「もう諦めなくていいから。」


 何を。と問いかける事すら睦は出来なかった。

 その言葉は先ほどまで睦が考えていた事を否定する言葉。

 …睦が本当は言われたかった言葉。


 「…それを伝えるためだけにこんな事を?」

 「こうでもしないと伝わらないと思ったから。」

 「っ!けど私は!!臆病なんです!!思い続けて裏切られるのも!滅ぼされるのも!やっと手にした恋ですら簡単に手放すようなそんな臆病者なんです!だから!」


 ―放っておいて。

 そう言おうと思っても声に出せない睦の頬に優しく叶夜の手が当てられる。

 それは酷く冷たいはずであったが睦にはどこか暖かく感じた。


 「誰だって自分が傷つくのは怖い。けれどあなたは違う、自分よりも相手が傷つくのを恐れている。」


 高梨を襲った件にしても事の発端は名も知らぬ少女たちの声を聞き届けたものでそれも飽くまで寸前で止めている。

 先ほどの戦闘でも極力こちらを傷つかない様に氷漬けという手段を選びそれに失敗すると戦闘自体を諦めた。

 そして先ほどの氷嵐も叶夜に気付くとすぐにかき消した。

 意識してなくても睦は相手に危害を加えるのを良しとはしなかった。


 「…そ、それは。」

 「それは臆病と言うんじゃない。優しいって言うんだ。」

 「っ!!」


 それは紛れもなく睦の負けであった。

 力と力のぶつかり合いではなく意思と意思の戦いで睦は叶夜に負けてしまった。


 「…本当に、諦めなくてもいいんですか?」

 「そうだ。」

 「…もう逃げなくてもいいんですか?」

 「ああ。」

 「…この恋を諦めなくてもいいんですか?」

 「受け入れるとは限らないけどな。」

 「…そこは嘘でも受け入れて下さいよ。フフ。」


 初めて睦は心の底からの笑みが出た気がした。

 ようやく向こう側から玉藻や八重たちが来ようとしている。

 だから聞かれない内に睦は叶夜に伝えておく事があった。


 「叶夜様。」

 「…ん?」

 「あなたが私の初恋で本当に良かった。」



 「無数の凍傷に切り傷、本当に生きてるのが不思議な位よ。」


 二度目となる病院のベットに横になりながら叶夜は八重から報告を受けていた。

 あの後に睦は陰陽師に協力する代わりに滅ぼされるのを回避し今は八重の母親の下に向かっているらしい。


 「合わせる顔がありませんから。」


 そう言って気絶した叶夜を八重らに任せ向かったらしい。

 ただ後に玉藻が叶夜に語ったところでは。


 「いつか心を鍛えて相応しい女になって戻って来ます。…雪女を惚れさせた責任取ってもらいますから。」


 とも言っていたようなので彼女が叶夜の前に再び現れるのもそう遠くはないであろう。

 そして八重の報告はいつの間にか説教となっていくがそれを甘んじて受ける叶夜はふと外を見る。


 ―もはや季節を過ぎた遅咲きの桜に雪が舞った気がした。

 季節外れだろうと諦めず、そして優しい雪が。

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