善意(No.8)

ユザ

① 西村保

 きっかけはそう。

 今年の最低気温を更新したあの日、僕の醜態が無慈悲にも校内の隅々にまで晒されたことだった。

 地元の放送局で毎週月曜日から金曜日までの16時から19時に生放送されている夕方ワイド番組『エブリワン』は、毎年、時間帯別平均視聴率で首位の座をキープしている地元に愛された長寿番組だった。そのうちの人気コーナー『出張! 隣の青春時代』は、レポーターが県内にある学校をランダムに巡り、毎回お題に沿った学生を数珠繋ぎに紹介していく企画で、内容がうまくハマれば紹介された学生は次の日から校内で一躍人気者にまで上り詰めるほど、その影響力は大きかった。

 レポーターを務めているローカルタレントの満太郎まんたろうはやりすぎなくらいに方言が強く、でも喋りの実力は折り紙付きで、素人の学生たちと繰り広げられる予測不可能なやりとりが、リアルで面白いと評判らしい。スタジオと中継スタイルで進められていくこの企画はもちろん編集など出来ず、良くも悪くも、カメラに収められた映像はそのままオンエアされてしまうため、時折、放送事故レベルの映像がお茶の間のテレビに流れることもあった。

 主なルールは一つだけで、学生のインタビューが終わるごとに、その学生は数本の札が入った抽選箱の中から一本だけ選び、その先に記されているお題に沿って友人や先輩・後輩を紹介していかなければならない。なお、お題については毎回同じで、『仲が良い人』、『一番面白い人』、『尊敬している人』、『謝りたい人』、『ありがとうを伝えたい人』、『身の回りのモテ男・モテ女』などがあった。

 一日のうちにインタビューを行うのはだいたい四、五回ほどで、それが終わると次の日に訪問する学校を抽選で決められる。僕の通っている県立S高校が選ばれたのはおよそ三年ぶりだったらしい。その日の朝、前日の放送で自分たちの学校にテレビカメラが来ると知った同級生たちの様子は、どこかいつも以上にソワソワしていて、休み時間になると、各々の席で堂々と普段よりも濃い目の厚化粧を施している女子生徒たちがチラホラと見受けられた。

 いつもなら校舎内は閑散としているはずの放課後も、その日は少しでもテレビに映ろうと決意していたように気合十分の帰宅部の生徒たちと、部活をサボってまでテレビクルーを待ちわびている一部の部活生たちとで、廊下は賑わっていた。

 そんなお祭り騒ぎの中で僕はというと、英語の課題を提出し忘れていたこともあり、放課後はすぐに校内から退散しようとしていた矢先に職員室に呼び出され、ベテランの女性教師からネチネチと怒られていた。「期限を守らないと社会じゃ通用しない」とか「物事に優先順位をつける習慣を今のうちからつけておきなさい」などと、まるで自分が社会人代表であるかのような口ぶりの彼女に文句の一つくらい吐き捨ててやりたかったが、そんなことをすれば、校内における僕自身の立ち位置が危ぶまれそうな気がして、なんとか反発心を鎮めた。

 現状、僕はスクールカーストでいう中位層に属している。

 目立ちすぎず、かといって影が薄いわけでもなく、どちらかといえば上寄りな中位層に身を置き、時にはクラスを牛耳っているような人気者たちからも授業中に好意的なイジリを食らっていた。それは、僕が日頃から積極的に誰とでも分け隔てなく喋りかけていた結果なのかもしれない。誰に頼まれたわけでもなく、クラスの仕事を請け負う回数が増えていったのは自然なことだったのだろう。

 基本的に自分のことしか考えないクラスメイトたちとは違い、全体を俯瞰して見渡すことができる僕は毎回その場の空気を察知し、足りていないパズルのピースを埋めるように状況に応じて役割を変えなくてはいけなかった。たとえそれが損な役回りであろうと、僕のおかげでクラスの誰かが輝いているんだと思えば、孤高の優越感を味わうことができた。

 いつも僕の後ろをついてくる塚元寛太つかもとかんたは口癖のように「たもっちゃんはもっとフューチャーされるべきだよ」と言ってくるが、そのたびに僕は毎回、自分があえてこの立ち位置に居座っていることを説明する必要があった。

 これはあくまで持論だが、小学生の時はとにかく足が速い奴がもてはやされ、中学生に上がると何故かヤンキーが格好良いとされ、高校に入ると純粋に外見の良い奴がモテるようになり、大学生にもなると面白さや優しさなどの中身を重視されることが急増する。だから僕は何もしなくとも、いずれフューチャーされることになる。そう言い聞かせると、寛太はいつも渋々納得していた。

 ただ、この点において僕が一つだけ見誤っていたとするならば、それは塚元寛太という男が想像以上に馬鹿だったということだ。勉強の成績が悪かったとか、そういう話ではない。空気が読めないというか、周りが見えていないというか、とにかく彼は状況を読む力が著しく欠落していた。

 それはおそらく普段からアニメ以外のコンテンツには全く興味を示さず、この世の流行や常識、空気というものを一切遮断したような、彼の世間知らずな生き方が影響していたのかもしれない。

 満太郎がうちの学校を訪れたその日の放課後。職員室から教室へ戻っている途中、廊下にたむろしていた生徒たちがチラチラとこちらに視線を向けていることに気付いた僕は、その時点から嫌な予感がしていた。

「あっ。待ってたよ、たもっちゃん!」

 黒板の前でこちらに手招きをしていた寛太は満面の笑みを浮かべている。周囲に群がっていた大勢の生徒たちのほとんどが、彼の一言でこちらを振り向いた。

 一瞬のうちに多くの目に晒されてしまったその状況に僕は戸惑い、明らかに室内に充満していた異様な空気に、思わず胸焼けを起こしてしまった。

「きみが西村保にしむらたもつくん?」

 パーマ頭でお馴染みの黒縁メガネをかけていた男が手に持っていたマイクをこちらに向けた。満太郎だった。

「そうです。彼がたもっちゃんです」と僕の代わりに寛太が質問に答える。

 すると、満太郎は「おおっ」と声を漏らし、なぜかニヤつきながら「初めまして」と僕に握手を求めてきた。彼のすぐ隣で構えていた男性カメラマンは、その瞬間を映像に残すべく、肩に担いでいたカメラのギョロッとした目玉のようなレンズをこちらに向けた。

 マイクを向けられた時点でなんとなく状況は理解していたつもりだったが、不意に、寛太の手元に『一番面白い人』と書かれた札が握られている光景が目に入ると、瞬く間に背中に悪寒が走った。

「さあ、続いて青春を語ってもらう学生さんは西村保くんです」満太郎はいつもの調子で僕のことをカメラに向かって紹介し始めた。「ちなみに、西村くんはどういった学生さんなんですか?」

 寛太にマイクが向けられる。彼は躊躇なくこう言い放った。

「知ってる人は少ないかもしれないけど、実はたもっちゃんってすっごく面白い人なんです。昼休みになると、いつもボクの前で一発ギャグを披露してくれたり、たくさん面白い話をして笑わせてくれます」

 満太郎の大袈裟なリアクションに寛太はまんまと調子付いたのか、彼はその後も無責任なことを口走った。

「特に銭湯の話とかすごく面白いんです。ボク、バラエティ番組とかほとんど観ないからお笑いのことはよくわからないけど、多分、これがテレビで流れたら明日からたもっちゃんは人気者間違いなしだと思いますっ」

「おいおい。そんなにハードル上げちゃって大丈夫かい?」と苦笑いを浮かべる満太郎はすかさず「そう言われてますけど」と今度はこちらにマイクを向けた。

 僕は冷や汗が止まらなかった。

 その時、ふと、群がっていたうちの誰かが「その銭湯の話聞かせてよっ」と笑いながら声を飛ばした。僕は咄嗟にその声の主を見つけ出して睨みつけようとしたが、それが誰かわからなかった。

 ギョロッとしたカメラレンズがじっとこちらを見つめている。その奥に何万人もの視聴者が待ち構えていると思うと、足が震えた。

「銭湯の話聞きたーいっ」

 また人混みの中から誰かの無責任な声が飛ぶ。

 すると今度はそれに呼応するように、どこからともなく手拍子が聞こえ始めた。みるみるうちにその音は大きくなっていき、それはことごとく僕の逃げ道を遮断していく閉鎖音のようにも思えた。周りを囲う全員が敵に見えた。

 ここまで盛り上がって、やらないという選択肢は許されない。

 そんな重圧でかさんだ空気が気管に侵入してくると、心臓は警鐘を鳴らすようにざわめきだした。今にも倒れてしまいそうなくらい意識は虚ろになっていた。

 やれるわけがない。そう思った。

 絶対にウケるわけがない。そう確信していた。

 だってあの話は──

 おそらくそれはほんの数秒間の沈黙が続いた後だった。僕にとっては数分にも及ぶ地獄の時間に感じていたが、刻一刻と尺が削られていく生放送はそんな悠長にはしていられなかったようだ。

 レポーターとして長年培ってきた経験が放送事故の危険性を察知したのか、満太郎は見切りをつけるように「そんなにハードル上げられたら俺でも怖くて喋れないよ」と、笑いながら助け舟を出してくれた。

「……ただ内輪ウケするだけのネタだからなおさらです」

 そう言って僕はなりふり構わずその舟にしがみついた。

 いくつか失意のため息がはっきりと耳に届く。誰かが遠くで「つまんなー」と言った気がした。僕はそいつを殴ってやりたかった。

「この状況を例えるならねえ」と満太郎は淀んだ空気の流れを断ち切るように、たるんだ顎の輪郭を指でなぞりながら目を細めてこう続けた。「全球ストレートをマウンド上で予告するピッチャーが打者を三球三振に仕留めるくらい難しいんだよ。まあ、俺、ずっと茶道部だったけど」

 周囲から笑い声が起こる。

 やがて、カメラのレンズが満太郎に焦点を合わせるようになり、ようやく僕も少しだけ胸を撫で下ろした。

 助かった──

 途端に肩の筋肉が弛緩し、自然と安堵の息が外に漏れる。

 だが、やはりあの男は何もわかっていなかった。

「満太郎さんっ。たもっちゃんの一発ギャグだけでも見ていってくださいよ!」

 黒板の前で何の悪気もなさそうに声を張る寛太アイツを、僕は初めて殺してやりたいと思った。


 全部アイツのせいだ──

 あの時、余計なことを言わなければ、僕はこれまで通り悠々自適に学生生活を謳歌することができたはずなのに、それをアイツが全てぶち壊した。

 せっかく助け舟を出してくれた満太郎も、あの状況下ではアイツの提案に乗るしか選択肢がなかったのか、一時的に舟にしがみついていた僕を突き放すように一発ギャグを求めた。

 ついに退路を失った僕は、銭湯の話と同様、いつもアイツの前で披露しているものでは確実にウケないと悟り、即興で思いついたオリジナルのギャグを披露した。

 そして案の定、死にたくなるくらいにスベった。

 ただでさえ真冬の寒波に襲われていた日に、僕の披露した一発ギャグは教室内にいたギャラリーを一瞬にして凍らせてしまった。今でもあの時の光景は瞼の裏に張り付いて消えてくれない。全員がぽかんと口を開け、隙間風が吹くようにそれぞれの呼吸の音だけが辺りに響く。

 数十秒前まで優しくフォローしてくれていた満太郎でさえ、この件に関しては一切の責任を負いたくないという心の声を漏らすように、マイクでも拾えない小さなため息を吐いた。

 その時に咄嗟に僕がとった行動は、亀のように肩に頭を埋めることだった。カメラで撮影されていることも忘れ、俯いたまま、その後の満太郎の簡単なインタビューに答えていた。

 なんとかさっきの放送事故を取り返そうと奮闘する彼は、わかりやすく明るい声で相槌を打っていくが、スベった恥ずかしさでそれどころではない僕はそれをさっさと切り上げるように単発な返事を続けていた。

 すると、当然のように二人のやりとりは徐々に波長が合わなくなり、今ひとつ盛り上がらないままインタビューが終わってしまう。

 僕の前から立ち去る時、やりやがったな、とこちらに訴えかけるようなあの大人の冷たい視線は、思い出すだけでもぞっとする。地元のお茶の間から愛され続けているはずの満太郎に、あんなにも怖い顔を向けられるだなんて想像もしていなかった。

 帰宅後、偶然その日の放送をテレビ越しに観ていたらしい母には、僕の頭頂部ばかりが映っていたことを笑われた。それについムカついて言い返すと、その何倍にも肥大した怒号で叱られてしまった。

 心の底から散々な目に遭ったと嘆く他ない。僕は久々に枕を濡らした。

 全部アイツのせいだ。

 そう思うことでしか気持ちの整理がつきそうになかった。

 どうして僕だけが傷付かなくちゃいけないのか。

 どうしてアイツは平然とした顔で過ごすことができるのか。

 毎日コツコツ積み上げてきた地位と信頼を、たった一度の妨害によって崩されてしまった。しかも、ずっと味方だと思っていたアイツに──

 もちろん、すぐにでも謝ってくるものだと思っていた。

 それなのにアイツは謝ってくるどころか、後日、どこか妙に落胆したような口調でこう言ってきた。

 ──どうしていつもの見せてくれなかったんだよ。

 さすがに我慢ならなかった。それまで基本的に争いごとを避けてきた僕は、未だかつて口に出したことのない罵詈雑言の数々をアイツに躊躇なく浴びせた。

 ──良かれと思って振ったんだ。

 泣きながら弁明するアイツの言葉は何度だって僕を苛立たせた。

 余計なお世話なんだよ、と。少し考えればわかるだろ、と。お前のせいでこっちはひどい目に遭ったんだ、と。泣きたいのはこっちの方だ、と。

 怒りは一向に治まる気配を見せず、いつの間にか僕は、人目も憚らずに大声でアイツに怒鳴り散らしていた。教室にいたクラスメイトたちの視線を集めていたことに気付いたのは、ずいぶん後になってからだ。

 きっとその光景は弱いものイジメでもしているかのように映ったのだろう。

 彼らはまるで、悪者を見るような目で僕のことを見ていた。

 その日から僕はアイツとの付き合い方を改め、それと同時に周囲からわかりやすく軽蔑の目を向けられるようになった。

 僕はこの経験から、身をもって学んだことが二つある。

 一つ目は、正論では情には勝てないということ。

 いくら僕の言っていることが正しかろうと、周りの奴らは『泣いている相手に怒鳴り続けている僕』という表面的な部分しかピックアップせず、さらにはそれを拡大させ、本質には全く見向きもしない。

 彼らがどれほど幼少期に「弱いものイジメは悪」と教えられて育てられていたのかは知らないが、正当防衛すらも見抜けない間抜けな物差しを平気で振りかざす彼らに、僕は心底呆れてしまった。

 誰も泣いたアイツを責めようとはしないし、誰も泣きたい僕を味方しようとはしなかった。

 だから僕はこれまでの行いを全て後悔した。

 わざわざ空気を読んでクラスメイトの引き立て役に回る必要なんてなかったし、いつも後ろをついてくるアイツに優しくする必要もなかった。

 振り返ってみると、その太った風貌のせいか、好きな人がいるにもかかわらず、今一歩前に踏み出そうとしないアイツのために、陰ながら援護射撃を撃っていた自分が馬鹿馬鹿しく思えてしまう。

 結局、恩は仇で返される。それが学んだことの二つ目だった。

 もしも、アイツが余計な一言を口にしなければ、今頃はきっと全てが上手く回っていただろう。

 それを踏まえて僕は思う。平穏な日常を壊すのは、いつだって誰かの余計なお世話だと──

 ああ、これで三つ目か。まあいっか。

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