モリヤこども医療センター 二階受付 半井幸子

 その日ですか。ああ、ありましたね。うちでは、大体読み聞かせとか、お話会とか、近所の中学校の合唱部に来てもらったこともありました。ごくたまにですけど、プロの手品師とか呼んだり。病気の子供って、とてもいい子が多いんです。大人びていて。普段、家族に迷惑をかけている、と思っている子が多いからなのかな。いつも笑顔なんですけど、無理しているというか、そういう子が多くて。だから、こういうイベントの時は、基本的に家族の方には遠慮してもらっています。職員も邪魔はしません。防犯カメラがついているので、何かあったらすぐ分かるようになっていますし。

 そういう、先生とか、看護師とか、家族がいない場所だと、子供たちってすごく自然な笑顔を見せてくれるんです。

 その日は──待ってくださいね、ああ、粘土細工だ。うちの職員の娘さんが、紙粘土でリアルなミニチュアを作っていて、一部で有名で、本も出してるらしくって。だから、その娘さんに、お願いしたんですよね。その日。

 だから、あなたが言っているように、お話会とかではなかったはずですよ。もういいですか? こちらは個人情報があるので、これ以上は。

 え、娘さんの? それくらいなら、まあ。


 筒井彩菜(ミニチュア作家AYAとして活動)の同棲相手 須藤義道

 彩菜はずっと調子がおかしいですから。本当は話したくないですけど、もしあなた……佐々木さんが、お祓いとか、本当にできるっていうなら、話します。俺はそういうの信じてなかったんですけど、やっぱ、そういう関係のことなんだな、って思わなくもなくて。今まで寺と神社、あと占い師?のとこに行きました。全部ダメでした。なんか、眠れば治るとか、気の持ちようみたいな、そういうこと言われるだけで。ムカつく。だから、ぶっちゃけ佐々木さんも、そういう人じゃないかと思ってます。ただ、佐々木さんはあいつらと違って、金払えとか言ってこないし。だから、話だけなら。

 彩菜、子供が好きなんですよ。彩菜のお母さんは、言語聴覚士さんです。生まれつきの障害で、話すのが難しい子供が話すことができるようになる訓練とかしてるみたいで。病院に行くとき、『生まれつき、顔に問題が出てしまっている子供とかいるけど、大丈夫? 普通の子供たちとは違うのよ。驚いたり、じろじろ見たりしないように、できる?』って言われたと話していました。彩菜は、『馬鹿にしないで。そんなことしないよ。子供はみんな可愛いよ』って言ったらしいです。実際、本当にずっと、楽しみにしていたから……。

 すみません。

 とにかく、その日、彩菜は笑顔で出かけていきました。俺は仕事が休みだったんで、終わる時間に迎えに行くよって言ったら、何時に終わるかきちんと決まっていないからそれはいいよと。ただ、正午くらいに始まって、だいたい二時間くらいで終わるとのことでした。

 ここから病院まではだいたい往復一時間弱かな。でも、十一時ごろ出て行って、帰ってきたのは、正午でした。そもそもおかしいでしょう。とんぼ返りみたいな時間だったんですから。

「どうしたんだよ」

 って言いました。でも、彩菜はしばらく無言で。何度かどうしたんだ、って言って、やっと、

「分からない」

 と言いました。そして、玄関のあたりに蹲って、泣き出してしまって。

 肩を摩りながら話を聞くと、本当に分からなくて、いつの間にか帰ってきてしまったということらしいんです。それで、泣きすぎたのか、玄関で、戻してしまいまして。で、気持ちが悪い話なんですが、その吐瀉物の中に、紙粘土があるんですよ。

 月の形をしていました。丸くて、ぼこぼことクレーターがあって。

 彩菜はすごい悲鳴を上げて倒れてしまって、救急車を呼んだんですけど。俺も付き添って行ったんですけど、その日は泊りだから、できることはない、みたいに言われて。念のため、彩菜のお母さんに連絡はしましたけど、そのあと普通に、また家に戻ったんですね。

 玄関開けて、俺も倒れそうでした。増えてるんですよ。月が。

 彩菜のバッグが倒れてて、そこからすごい数の月が、ぼろぼろ零れてて。

 もうめちゃくちゃな気持ちになって、大声出しながら、ビニール袋に詰めて、窓から放り投げたんですけど。途中で、もしかして全部はまずいかも、と冷静になって、一部取ってあります。

 これです。どうですか。俺が気持ち悪いって思うの、分かるでしょ。

 例えば彼女が子供たちに作ったんだとしても、おかしい。これ。どう見ても、子供向けのデザインじゃないじゃないですか。子供が想像する月って、三日月とかでしょ。こんなリアルな──ていうか、そもそも、月なんて作りませんよね。

 彼女は結局、玄関で倒れた時、軽く足をひねってしまっただけで、他はなんともないので、すぐに帰って来たんですけど。

 何か思い出したらまた吐いてしまうかもしれないので、月のことも話さなかったし、見せてないです。でも、俺、うかつで。きちんと掃除できてなかったみたいで、脱衣所に転がってたらしいんです。それを見て、ヤバい、って思ったんですけど。彼女、それを拾って。

「なんだろこれ、ミチくんが作ったの?」

 って言ったんです。

 俺、信じられなくて、思わず、

「何言ってんだよ。病院で作ってきたんだろ」

 って言っちゃったんです。

 彩菜はしばらく黙ってから、ぼうっとした表情で、

「私は見たくない」

 って言いました。それからです。自分からは何も話さなくなりました。声をかけても、聞いてるのか聞いてないのか分からないみたいな、そういう反応です。

 彩菜のとこはお父さんが早くに亡くなっているんで、実家に帰してもお母さんが大変だろうし……って、お母さんと話して、今も俺と住んでます。仕事帰りに様子見に来てくれてますけど。

 それで今、何をしているかというと、ずっと月を作っています。


 患児 服部向日葵の母親 服部美奈絵

 こんにちは……来ていただいたのに申し訳ないですが、向日葵には会わせられませんよ。私の方の実家にいるので……ああ、いいんですね、私の話だけで。それなら。

 唯香ちゃんの参加してたっていうイベント、向日葵も参加してました。唯香ちゃんママと違うのは、私は病院で終わるのを待ってたんです。うちは血液疾患なんですけど。

 そろそろ終わったかな? と思って、イベントをやってた部屋に迎えに行きました。いつもは、あの部屋は、数メートル先からでも子供の楽しそうな声が聞こえてくるんですけど、その時はシーンとしていて。少し不思議には思いました。

 部屋をノックする直前に、男の人が出てきて。金髪に近い髪色で、多分外国の人でした。可愛い顔してて、笑顔が爽やかで、安心する感じ。にっこりと会釈されて、思わずこちらも笑顔になってしまいました。

 それで、入れ違いみたいに部屋に入ったんですけど。

 なんだか、子供たちはぼうっとしていて、中には、床に寝ころんだまま、じっと天井を見ている子までいました。

 向日葵もぼうっとしていたんですけど、私が近寄ると、ママ、と言って抱き着いてきて。そのあと、職員さんや他の保護者の人が入ってきたらみんなも普通になったので、気のせいかなと思いました。

 家に帰ったとき、向日葵が手紙を書く、って言ったんです。お友達に書くのかなと思って、

「じゃあ、書き終わったらママと一緒に出しに行こうか」

「大丈夫、明日来るから」

 私はびっくりしました。

「え、ダメだよ。パパもママも明日お仕事だし、それに、何も準備してないよ」

 早く言ってよ、と小言を言いながら私はその子が誰なのか聞きました。子供の口約束で、本当に遊びに来てしまっては、何もないし、向こうだって困るでしょう。

「おさらさまだよ」

「おさらさま?」

 私は聞き返しました。誰か、例えば「さらちゃん」という子のあだ名かなとも思いましたが……。

「おさらさまが月を降りてくださる。私は鍵を開け、それを迎えます」

 すらすらと、淀みなくそう言う向日葵を見て、全身が凍えるように冷えました。気持ちが悪い。その感情しかなくて、私は娘を突き飛ばしてしまいました。

 向日葵はなんでもないというふうに体を起こして、にやにやと笑うんです。

「邪魔はしないで下さいね」

 私は気を失っていたんだと思います。目が覚めると数時間経っていて、料理をしようと冷蔵庫から出していた食材もそのままになっていました。

 覚醒しないまま起こったことを思い返して──また叫んで、気を失いそうになりました。倒れる寸前に見た、向日葵の目を思い出したんです。睨んでいるのとは違います。そういうのではないんです。でも、見るだけで、思い出すだけで、こんな思いをするのなら死んでしまいたい、と思うような目つきです。その目で、私をにやにやと観察していたんです。そう、観察でした。同じ人間を見る態度ではありません。

 でも、だんだん、体温が戻ってきて、何度も深呼吸をして、夢だったんだ、って思うことにしました。私の夫はホラー映画が好きで、一緒に付き合わされることもあるんです。そういう影響を受けたのかなって。

 だから、気を取り直して、

「ごめん向日葵、ママ寝ちゃってたよ。ご飯作るから、ちょっと」

 待っててね、まで言えませんでした。

 歌が聞こえてきたんです。

 私はじっと見てしまいました。そこからはもう、ダメでした。また気絶して──もう、向日葵のこと、見られません。

 黒い布被せて、向日葵の目を見ないようにしています。夫も、最初はすごく怒ったんですけど、見て、分かってくれました。私、虐待してますか? でも、仕方がなくないですか?

 ……私、考え方を変えたんです。今、向日葵は幸せかもしれません。

 今までは、ずっと顔色悪くて、定期的に病院にも行かなきゃいけないし、すぐに熱が出るし、入院するときはいつも向日葵が死ぬことを覚悟していました。

 でもね、今は、そんなこと一切ありません。元気で学校に通ってますし、よく一人で、走ってます。歌だって、気持ち悪いけど、我慢できます。

「邪魔をしないで」

 ってよく言います。そんなこと、向日葵は言ったことなかった。私たちにいつも気を遣って、子供なのに、我儘なんて、一言も言わなかった。

 だからもう、向日葵の好きなようにさせてあげたいって思いました。

 ホラー映画ばっかり見てるからでしょうね。夫は、お祓いとかに無理やり行こうとして。実際、何件か回りましたけど、効果ないですよね。むしろ、何も知らないお坊さんとか神主さんに説教されて、腹が立ちました。私と向日葵のこと、何も知らないくせにって。

 それで、多分離婚すると思います。夫と意見が合わなくて。夫は今の向日葵を治すって言うんです。でも、それって……佐々木さんは、どっちが『治った』状態だと思いますか?

 私は、病気のない状態が、『治った』って言うと思います。

 夫は向こうの実家にいると思います。私、在宅の仕事なんですけど、仕事の間は母に見てもらっています。

 でもあんまり意味なかったな。

 今も聞こえますよね。

 おーさらーさまーいーまーはーいーずーこーにーおーらーりょーうーかー。覚えてしまいますよ。毎日、聞いてるんだもん。聞こえない? ああ、今、いないんだった。

 私もおかしくなったのかもしれません。私だって、「おさらさま」のことは気になったし、あの外国人が何かやってこうなったんだと思うし、調べましたよ。でもね、外国人なんて誰も見なかったんですって。病院の人が、そう言ってました。

 あ、一人だけ、いたかな。外国人かどうかは分からないって言ってたけど。


 元モリヤクリーニングサポート派遣社員 北野進太郎

 ああ、見たよ。俺、目が悪いからよ、顔は良く見えなかったけど。

 真っ黒な服着てたし、まあ、男じゃねえかな。外人の、神父みたいな服だよ。

 談話室Aの掃除が終わって、じゃあ次行くか、って思った瞬間に、入ってきたな。俺、不審者かと思って、止まっちゃったよ。

 話を聞いたら、今日ここで子供さんたちのために話をするとかなんとかで。まあ、そういう部屋だからそうなんですね、頑張ってくださいとかなんとか言って、部屋を出たのよ。

 でもさ、すぐに気付いて。外部から呼んだ、ピアノの先生とか、手品師とか、色々いたけど、そういう人は、必ず職員の人に付き添われて来るんだわ。しかも、子供が全員来てからな。

 ああ、やっぱり不審者だ、と思って。俺はアホだから、警備員さんとか、他の職員を呼ぼうって発想がなかったんだ。慌てて談話室Aに戻ってしまった。

 そしたらさ、そいつ、なんかこう──手を大きく広げてさ、ぶつぶつなにか唱えてんだよ。お経みたいに。

 なんかそれ見たら、動けなくなっちまって。

 そうそう、顔も、髪の色も分かんねえけどよ、一つだけ、すごいもの見たんだわ。

 そいつ、掌に大きな穴が開いてんのよ。どっちのって、俺から見えたのは左手だけだけどよ。両手に開いてるとして、なんか変わんのか?

 あんまり驚いたから、なんもできなかったよ。しばらく見てたら、そいつがこっちを向いた、気がした。気がしたっていうのは、よく覚えてないからなんだよな。見られた、と思った瞬間、体がぐらぐらしてよ。気付いたら、ロッカーでしゃがみ込んでたわ。

 もう俺、あの部屋には近付けねえなと思ってさ、辞めたんだわ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る