第34話 絶望の魔術


 それにしても、手帳を読むのにラヴィーノの魔力が必要ならば、聖女は一体どうやってその魔力を手に入れたのだろう。

 彼女もこういった玉を持っていたのだろうか。

 そもそも、彼女はいつからラヴィーノに心酔するようになったのだろう?


 疑問点が多すぎる。だが、この際それはどうでもいい。

 ――聖女が魔族に対してどんな攻撃を仕掛けてくるのか。

 それを見極めることが一番大事だ。


「その手帳は、聖女の意図を見抜く手がかりになるはずですわ! どうかしら、何か面白いものは見つかって?」


 私の質問に、魔王もソフィアも答えなかった。

 二人は食い入るように手帳の中身を見つめていたが、やがてソフィアの翼が震え始める。

 何度も確かめるように、傍に置いていた本のページをめくるのだが、やがていやいやをするように首を振った。


『そんな……こんな、ことって……』

「なに? 何ですの、何が書いてありましたの?」


 答えず、魔王は机の上に大きな地図を広げる。

 地図の上をちょこちょこ歩くはりねずみ。彼の歩みに伴って、地図のあちこちに赤い丸がつけられてゆく。

 これから魔王が発する言葉など想像もつかないまま、花が咲いているようだ、と呑気なことを思った。


『……なるほど。実に緻密な包囲網だ』

「え? どういうことですの、この赤い丸は何を意味していますの」

『これは聖女が建てた新しい修道院だ。ドラセナ城はここになる』


 地図上の丸はあちこちに散らばっていて、特に法則性がないように見えた。

 けれど。その丸を線でつなぐと、まるで矢のような形になっているのが分かる。

 そしてその矢が指し示すのは――。


「ドラセナ城……。つまりこの修道院の配置には、何かの意味があると仰りたいの?」

『これを見て、アマリリス。古い魔術の本なんだけど』


 押し殺した声でソフィアが言い、私の前に今まで読んでいた本を差し出す。

 開かれたページには、矢を模した様々な魔術陣が描かれていた。インクが赤くかすれているのが、なぜか血のように見えた。


『これは矢の魔術陣、というの。矢を模した魔術陣は強い呪いの性質を帯びる。矢を構成する修道院は全部で十九あるでしょう。十九というのは特に対象を呪う強い力を持つ数字なの』

『つまり、ドラセナ城は、聖女によって呪われているということだ。新しい修道院は全て、この城を呪うために建てたんだろう』


 魔王の言葉が信じられなかった。


「待って。つまりあの金ぴかの修道院は、タスマリアの大地に、巨大な呪いの魔術陣を描くためのものだったということですの……!?」

『ああ。前例がないことではない。建造物による魔術陣の描画は、大災害が起こるたびに行われてきた。そうすることで巨大な力に対抗できるからだ』

「大災害に匹敵するほどの力を、全て呪いにつぎ込んだわけですのね。大盤振る舞いもいいところ」


 あまりにも大きな企てに、私たちは呆然とするほかなかった。

 こんなことを考えて、あんな修道院を建てていたのか。国のお金を使って。

 特に人間に悪さをしたわけでもない、封じられた魔族たちの息の根を止めるために。

 その執念深さに、私は空恐ろしいものを感じていた。


『魔術が発動されたら、私たち……ひとたまりもないと、思う』


 ソフィアが震える声で言う。

 その横で魔王は、平静な声で、


『俺たちへの呪いが強まっていた理由が分かった。ドラセナ城に元々備わっていた呪いに加えて、タスマリアの国土に描かれた巨大な魔術陣による呪いが被さってきたのだ。まだ魔力が流されておらず、呪い自体は発動していないとはいえ、この規模になると魔術陣は存在するだけで威力を持つ』

「ずいぶん冷静ですのね。対応策でもおありなの」


 魔王は静かに頷いた。それを見たソフィアが、はっとしたような顔になって、


『だめですよ、魔王様! もし自分の命と引き換えに、なんて考えているのなら……!』

『それで済むのならば御の字だろう。十九の矢であれば、まだ俺一人の犠牲で済む』

『全ての魔族に召集をかけましょう、そうして魔力を差し出すよう命じれば、魔王様が命を投げ出す必要はありません!』

『かすかな魔力をいくら集めても、大海の前には意味を成すまい』


 淡々とした魔王の口ぶりに、ソフィアは何かを感じ取ったのだろう、声がどんどん高くなる。


『何か方法があるはずです。ダークエルフの名にかけて、必ず方法を見つけて見せます!』

「それ、修道院を取り壊すのではだめですの?」

『建物自体を取り壊しても意味はない。魔術的な土台を取り壊さなければ。――ダークエルフが三人、一週間かかってようやく取り壊せる程度じゃないか?』


 それほど複雑な魔術陣なら、鈍感令嬢の私が無効化する――ということは難しいだろう。

 さすがに魔術陣の無効化は、知識やスキルもないままできることではないからだ。


「ドラセナ城を捨てるということはできませんのよね」

『ダンジョンから出られる術が分かれば、とっくにそうしてるわ!』


 ヒステリックに叫ぶソフィア。今のは私の不用意な質問が悪かった。

 私は腕組みをして考え込む。

 どうしたらこの状況を打破できるだろう。

 王族として修道院の取り壊しを命じてみる? けれど私は幽閉されている身だ、できることは少ない。

 無理やり修道院に突撃して建物自体を壊すことは、不可能ではないかも知れないけれど、それで壊せるのはせいぜい一つや二つだろう。

 おまけに魔術的な土台を壊さなければならないのだから、時間がかかりすぎる。


「聖女はいつこの呪いを発動させるつもりなのかしら」

『十九は強い数字だが、最も強い数字というわけではない。三十一が最も強い数字だ』

「へえ? 数字が大きければ良いというものでもありませんのね。でも聖女が三十一の修道院を建設するまで我慢できるかしら」

『ラヴィーノは完璧主義者だった。戦場においてまだ息のある魔族がいれば、すっ飛んで行ってその首を落とす。いっそ生きにくいだろうとさえ思えるほど、己の信条に潔癖だった。だから三十一までやり切るだろう』


 きっぱりと言う魔王の感情がまるで分らなくて、何だか昔の恋人を振り返っているみたいね、と茶化すことができなかった。

 いや、茶化す余地なんかもうとっくにないのだろう。

 聖女の言う通り、魔族の首には縄がかかった状態で。


 あとは、いつそれが引き絞られるか、という問題なのだから。

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