第10話 こうもりのソフィア

 ドラセナ城の図書室は、二階の端にある。

 分厚いカーテンが引かれてあって暗いけれど、足を踏み入れたら何もしていないのに明かりがついた。ホスピタリティあふれる仕掛けだ。


 図書室にはずらりと書棚が並んでおり、あちこちに書見台が置かれてあった。

 背表紙をざっと眺める。

 こう見えて母が司書だったので、図書室を見る目はおのずと厳しくなる。


「お母様のコレクションには劣りますが、有名どころは揃っているようですわね。東国の巻物や木簡もっかんなどが揃っているとなおよかったのですが……隠し扉とかあるのかしら」


 今日図書室を訪れた目的は、この城の来歴を知ることだ。

 確かあの八百屋の店長は、ドラセナ城のことを「世界各地の呪いや弱体魔術をふんだんに詰め込んだ重石」と言っていた。

 私は、ドラセナ城については、使われなくなった辺境伯の城としか聞いていなかった。

 恐らくは前者が真実なのだろうと思うが、これから住む城のことだ、自分の手で調べたい。


「こういうお城には城史というものがあるはずですわ。探してみましょ」


 果たしてそれは、少し仰々しい装丁の本として、一番目立つ書見台に置かれてあった。

 この城を訪れた客のために用意されているのだろう。表紙に埋め込まれた宝石はやけに大きくて、何だか成金趣味だ。

 ざっと目を通してみるものの、ドラセナ城がドラセナ辺境伯の持ち物であり、どういった価値があるかということが、大きな文字で書かれているだけだった。


「もっと詳しい情報プリーズですわ~」


 そう呟きながら奥へと進んでいくと、ばさばさっという物音が聞こえた。

 本が数冊床に落ちたようだ。そちらの方に足を向けると、青白い光が見えた。


 青白い光は、床に描画された魔術陣から発せられたものだった。

 魔術陣の大きさは半径一メートルほどで、その魔術陣を取り囲むように、四冊の本が宙に浮いている。

 そして、魔術陣の真ん中には、じたばたと暴れる何かの姿があった。


『くっ……! この私が、こんな罠ごときで、くたばるはずがないのに……!』


 可憐な少女の声で叫んでいるのは、小さなこうもりのようだった。

 首にはえた白いふわふわの毛、ビロードのような産毛に覆われた、薄い翼。

 ばたばたと暴れるたびに、魔術陣から放たれる光は強くなる。


「あれは……拘束魔術? いえ、退魔魔術ですわね」


 魔術陣に描かれた文様および呪文の要素から見るに、あれは魔獣や使い魔を捉えるための罠だ。

 トリガーは魔素と見た。

 魔獣や使い魔は、人間にはない魔力の要素を持っている。

 それは「黒い魔素」と呼ばれ、人間が行使する魔素とは区別されていた。

 黒い魔素は人間にとって毒となる。例えるなら煙草の煙のように体を苛むのだ。


 あの魔術陣は、黒い魔素を検知し、自動で発動するようにできているのだろう。


「魔力を吸い上げ、相手をじわじわと弱らせる魔術陣ですわね。相手の魔力が多ければ多いほど、吸い上げる魔力が大きくなって、ますます拘束する力が強くなると聞いていますわ」


 果たして、魔術陣から出られないこうもりは、暴れるのを止め、少しずつ大人しくなっていった。


『ここまでなの……!? ああ、申し訳ございません、魔王様』


 無念そうに呟くこうもりは、とても弱っているようだった。それが魔術陣の効力だからだ。

 放っておけばいずれ魔力を吸い尽くされて、命を落とすだろう。


「……って、それはちょっと寝覚めが悪いですわ~!」

『な、なによあんた!』

「ごめんあそばせ、ちょっと体に触れますわ。ふんっ」

『わ、私を持ち上げて……魔術陣から引きはがした、ですって!?』


 小さなこうもりを潰さないようにして持ち上げる。

 吸盤がひっついたような抵抗はあったが、すんなりと魔術陣から引きはがすことができた。良かった。

 魔術陣から光が消え、宙に浮いていた本が床に落下した。


「やれやれですわね。こうもりさん、飛べますか? どこかおうちがあるのなら、私が送りますわよ」

『馬鹿な……。あ、あの魔術陣は、この私が抵抗できないほどの威力を持っていたのよ!? それを抵抗もなく引き剥がすなんて』

「ああ、私鈍感ですから。魔術陣を解除する時の痛みを感じませんの」


 他人が描いた練度の高い魔術陣は、基本的に介入することができない。

 介入したり、解除したりしようとすると、四肢をもがれるほどの痛みを感じる、のだそうだ。

 もっとも私ほどの鈍感さがあれば、そういう痛みは感じないのだが。


「私のことを無神経なゴリラと思われても困りますから言っておきますけれど、ナイフで刺されたら普通に血が出ますし、殴られたら痛いですので止めてくださいましね」

『いや、無神経なゴリラなんて思わないけど……。そっか、そんな体質の娘もいるのね』


 こうもりは生真面目な声で呟くと、ふわりと飛び立って、床の上に降り立った。


『改めて、助けてもらったことにお礼を言わせて。私の名はソフィア。見ての通り、叡智を司るダークエルフよ』

「見ての通り」

『ええ。この刺青が、私の魔力の膨大さを示しているでしょ?」

「刺青」


 どこからどう見ても、ソフィアはこうもりである。

 刺青が入っているのかも知れないが、体の色が黒いのでよく分からない。


「あの、私の目には、あなたがこうもりに見えるのですが……」

『こ、こうもり!? 確かにあんたさっき私のことを、こうもりさんなんて言ってたけど……』


 驚いた様子のソフィアは、それから自嘲的な笑い声をあげた。


『はっ。あの程度の罠にかかるダークエルフなんて、こうもり扱いが関の山ってことね……』

「? いえ、扱いとかではなく普通にこうもりに見え、」

『慰めはいらないわ。そうねそうよそうだわよ、私なんか魔王様の右腕を名乗ることもおこがましい、底辺ダークエルフよ……!』

「ああ、そんなに落ち込まないで下さいまし。失敗は誰にでもありましてよ」


 翼をへにゃりと垂らし、うなだれるこうもりは、見ていてかわいそうになる。

 思わず駆け寄って、指先で頭を撫でると、嗚咽おえつが聞こえてきた。


『だ、だって、最近なんだか調子悪いし……。前は人間の頭をちぎっては投げちぎっては投げしていたのにっ』

「まあ、見かけによらず肉体派ですのね、ソフィア様」

『ソフィアで構わないわ。それにこの図書室には、私たちの想像以上に手の込んだ術式が組み込まれていて、思うようには動けないのよ』


 悔しそうに言うソフィア。なるほど、この図書室は、魔王が住まうダンジョンを封ずるための、いわば要石ということだろう。

 もしかしたらあまり立ち入らない方が良いかもしれない。

 鈍感体質の私が触ることで、せっかく発動していた封印魔術か何かが駄目になってしまったら、魔王が復活してしまう。


『ともかく! 助けてもらったお礼をしなくちゃね。あんた、誰か憎い奴はいないの』

「へ?」

『その出で立ち、その魔力の質……貴族と見たわ。それなら煮え湯を飲ませてやりたい奴の一人や二人、いるでしょ?』


 ソフィアは明るい声で言った。


『私ならそいつらを呪い殺してやれるわよ! あんたのためならいくらでも力を貸したげる、何と言っても命の恩人ですものねっ』

「せっかくのお申し出ですけれど、呪い殺してやりたいと思うような人間はもういませんわ。私自身の手でちゃあんと始末しましたもの」

『あら。なかなかどうして、気骨のある娘じゃないの』

「その代わりと言っては何ですが……私の話し相手になって頂けませんこと?」


 するとソフィアはきょとんと首を傾げた。


「考えてみたんですけれど私、腹の探り合いもマウントも嫌味もなくお話できる相手って、今までいなかったんですの」

『ふうん?』

「ですからソフィアとお話できたら楽しそうだなと思って。この城の来歴も知りたいですし」

『私はあんまり話が得意じゃないけど……。魔王様のアルルカンなら、大いに笑わせてくれるわよ。そっちを呼んだ方がいいんじゃない?」

「いいえ、私はあなたが良いですわ」


 私の言葉に、ソフィアはむふーっと得意げな顔になった。

 こうもりだけれど、その表情は豊かだ。初対面だけれど、かわいらしい人だなと思う。

 それに先程彼女は「魔王様の右腕」や「魔王様のアルルカンなら」と口にしていた。

 魔王とやらの情報を聞き出すいい機会かもしれない。


『そ、そこまでいうのなら? この私が話し相手になってやろーじゃないの。場所を移しましょ、良い所があるの』

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