トロイメライ Ⅱ

 いったいなにをしているのやら。


 小屋内の家具の引き出しや、戸棚を勝手に開け閉めしている。と思えば、今度は壁にかけられた皮袋をのぞきはじめた。

 ふわりと調理場に移動して、吊された鍋をゆらしたり、一列に並んだビン詰めにじっと顔を寄せたりして――ここでわかった、妖精は遊んでいるのだ。


 他所よその家をいじくりまわすのはよくない。ここは一つ、びしっと妖精に注意してやろうかと思った。

 だけど人が強気に言ったところで、はたしてあの勝ち気な性格がおとなしく従ってくれるものだろうか。


(きっとまた、言い合いになるんだろうな……)


 俺はちらっと振り向き、後ろにある木のついたてを見た。ついたての向こう、となりの小部屋にはベッドで寝息を立てている木こりのおじいさんがいる。

 だから、下手に騒ぎ立てたくないのだ。俺は苦々しい顔で、自由にふわふわ飛んでいるライム色の明かりに視線を戻した。


(しょうがない。妖精あいつが妙ないたずらをしないよう、しばらく俺が見張っておくか)


 手当たり次第を物色する妖精は、悪事をたくらむ……というようには見えなかった。まわりにあるすべてが、物珍しくてしかたがないと興奮している様子であった。

 そういえば、と俺は思い出す。最初に小屋へ連れてきたときも、彼女の小さな瞳は目まぐるしくキョロキョロ動いていた。


「変な絵ねぇ」


 ぽつりと、妖精がつぶやく。

 彼女の声を耳で拾った俺は、はたと意識を戻した。


 見れば、妖精が壁の前に浮かんで止まっている。もっと正確にいえば、壁にかけられた一枚の額縁がくぶちの前にいた。がくをじっと見つめ、なにやら考え込むように顎に手を当てている。


「この絵、いったいなにを描いたのかしら? 花には見えないし、動物じゃないわよね。模様にしたって……ちっとも形が均等じゃないし、変にカクカクしすぎよ」

「絵じゃないぞ。それは――地図だ」


 妖精はぱっと振り向く。俺の顔を見て「ちず?」と小首を傾げた。


「ちず……って、なんなの?」

「なんなのって言われても――」


 妖精の問いに、俺も首をひねって考えた。


「地図は……地図だよ。地形とか建物の内部とか、なにかの位置や場所を伝えるための図面って言えばいいのかな……」


 横長の額縁には、一枚の地図が飾られていた。

 紙は額縁と同様に、横長である。図の右と左に――東西に分かれて、陸地が並んでいた。

 西には縦長の大きな大陸が、その反対の東には少しばかりサイズが縮んだ大陸が描かれている。


「それは世界地図だよ」


 俺は肌かけをはいで、ベンチから下りた。

 立ち上がった際に、ちょうど窓から差し込む青白い光が顔にかかる。本当に、今夜は明るい夜だ。と、細めた目でちらっと外を見たのちに、妖精のいる地図の前まで移動した。


「この線で囲われているのが陸地で――」

 

 宙に浮く妖精のとなりに立つ。

 俺は地図を指でなぞって、彼女に説明した。


「この世界はな、西の大きな大陸と、東の小さな大陸の二つに分かれているんだ。

 そのまわりを海っていう塩辛い水が満たしていて、さらに陸地の欠片である島々が浮いている。そんなことを、この図面は教えているんだぞ」

「…………」


 わかったか?

 と試しに聞いてみるも、妖精は目をぱちくりさせるだけで、なんの反応も見せない。

 ふと、俺の脳裏にさっき窓から見えた、外の森の景色がよぎった。


「ああ、そうか。おまえ、この森の外に出たことがないんだな?」

「……あるわけないでしょ」


「そうかそうか……。ま、とりあえずだな、これが人間や妖精、そのほかの生きものたちみんなが住んでいる世界の形、って覚えておけばいいよ」


 ちなみに、いまいる森はこの辺にあるんだぞ。

 と、俺は東大陸の北部をざっくり指で丸くなぞった。


 すると妖精も俺にならってか、地図の上に小さな手を置いてなぞる。人の手のサイズと大きさがちがうため、彼女の場合は腕をぐるっと大きくまわして丸をつくっていた。


「あんたが切り倒しちゃった、あの木。その木の上からアタシ、よく森を見ていたんだけど……」


 森の景色と一緒に、大きく広がる空も眺めていた。

 と、妖精は語りはじめる。 


「空の向こうへ飛んでいく渡り鳥の行き先とかね、ちょっとだけ……本当にちょっとだけ、気になっていたの。

 遠くの遠くの……そのまた遠くは、どこまで続いているんだろうとか……。あと――」


 森の外はどんなふうになっているのかな、とか。


「でも、なんてことはなかったのね」

「?」


 ふぅと息をつく妖精。

 その横顔はどこか安心したような――でも少し残念そうな、複雑な感情の色を忍ばせていた。


「どこまでも続くほど、世界は広くないのね。

 森の外にはその海ってのがあるだけ。人間の住む場所だって、この森とそんなに変わらない大きさじゃないの」


 妖精はもう一度、地図をなぞった。

 俺の指がなぞった跡をたどるように、東大陸の北部を大きく……丸で囲うように。

 

「――ぷっ、くく……」


 俺は思わず笑いに吹き出してしまった。妖精の言った――すっとんきょうな言葉の意味をようやく理解して。


 しんみりしているところに、俺の笑いが水を差したものだから、妖精は一瞬きょとんとした。そしてすぐに頬を膨らませて俺をにらんでくる。

 そんな彼女に、俺は慌てて弁解する。


「ハハッ。いやいや、ちがうって……悪い、俺の説明の仕方が下手くそだったな」


 笑いをこらえて、俺は改めて地図上を指さす。


「さっきの指でなぞった囲いは忘れてくれ。あれを森の範囲だと勘違いしたんだろ?

 俺たちがいる、この森はな……そうだな、この地図から見るともっと小さいよ」

「小さ……い?」


「そう。さすがに北部全域にこの森が広がっているわけじゃない。たぶん、この東大陸の図の――パンかす程度の大きさなんじゃないかな?」

「パン……かす?」


 そうだ。

 と、うなずいて、トントンと地図を指先で叩いてみせた。


「もしも、この大陸の北の先から南の先まで、おまえのその小さな羽を動かして飛んで移動するものならば……これはあくまでも憶測だけど、ひと月以上はかかるかもな」

「…………」


 俺の話がわかったのか、わからなかったのか。

 妖精はなにも返事をせず、ただじぃっと地図を見つめるばかりであった。


「とにかく――おまえの思ってる以上に、世界は広いんだよ」


 実際、俺も旅をしてそれを痛感したしな。

 と、それだけを伝えて、俺は寝床に戻ることにした。


 寝入る前に、妖精がなにか口にした。だが、肌掛けを頭からかぶった俺は、もうなにも聞かなかったことにして眠りに落ちた。

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