第17話

 次に栗花落に会ったのは、そこから一週間後のことだった。

 色々と一区切り終えた僕は、またいつものように小説サイトの為の下らない小説を書く毎日を再開していた。

 もちろん、放課後図書室での執筆もしていたのだが、そこに栗花落がやってきたのだ。

 彼女は僕を見つけるとスタスタと図書室にはいり、一直線に近づいて来る。

「……ひさしぶり。もう、締め切り、終わったんだよね?」

「ああ……うん」

 何とも、気まずい空気だった。

 僕は一応、小説の締め切りを理由にメッセージやメールへの返信をしないことを説明していたし、彼女もそれに納得したようで、それ以来送ってくることはなかったが、最後に会ったのはあの縁日の夜であって、最後の会話らしい会話と言えば、僕の小説の感想を聞いたアレだ。あの時の僕の態度も相まって、きっと栗花落は、僕を不快にさせることを言ってしまったのではないだろうか、という懸念を抱いていることだろう。

 それだけでも、確かに気まずい要素は十分にあるのに、よくよく考えれば、小説を書くからという理由で返信すらせず、スルーを決め込む、というのは結構な拒絶にも取れなくもない。

 どんなに締め切りが迫っていようが、実際にしようと思えば、メッセージの返信くらいはできるものだ。それをしないというのは、それだけで深い意味を持ってしまう。

「なら……もう、またメッセージとか、話しかけたりとか、しても大丈夫?」

「それは……」

 断る理由は、見当たらない。

 いや、僕としてはそうして欲しくはないし、断る理由はしっかりあるのだが、まさか理由が『君を好きになったので、話しかけられると嬉しくなってしまって勘違いがはかどる可能性があるから』なんてことは言えるはずもない。

「大丈夫じゃない、かな」

「え? どうして? やっぱり、怒っているの?」

「何を?」

「サイトの小説の感想……」

「いや、それは怒ってないよ。怒る理由もないし。確かに、ちょっと思うところはあったし、グサッとも来たけど、本当にそれは関係ないから」

「『それは』ってことは、他の何かが、関係あるんだよね?」

 容赦なく詰めてくる栗花落。

 こういうタイミングで、極自然にグイグイ来られる彼女の性格が、心底スゴイと思う。

「……前にも言っただろう。勘違いをしない為だって。それに、これも前に少し言ったけど、栗花落さんのような有名人と一緒にいると、それだけでいらぬ被害を被る可能性がある。それは、面倒だからゴメンなんだよ」

 僕が言うと、彼女はとても悲しそうな顔をした。

 なんで、そんな顔をするのだろうか。

 僕のような知り合い一人に拒絶されたところで、彼女の人生に何の影響もないだろうに。

「……それより、ラブレターはどうなったの? 書けた?」

「えっと、それが、まだ、なの。まだ、傑作が書けなくてね。色々考えれば考えるほど、納得できなくなっちゃって。相手の心に響かせる文章って、やっぱり難しいよね」

 栗花落の話を聞きながら、僕はタブレットで小説を打つふりをして、そう言えば、そろそろ小説大賞の結果が発表される頃だということを思い出し、大賞の結果発表サイトを検索する。

 そう、栗花落の思い人(である可能性が極めて高い)の松本圭吾先輩も二次選考を突破しているあの大賞だ。

 そうやって気持ち半分で会話をすることで、より一層彼女に惹かれていくのを防いでいるのだ。

「文章書いてる側からすれば、あんまり気にしないと思うよ」

 僕はサイトを検索しつつ、そう答えた。

「それって、どういうこと?」

「君の好きな人って、文章を書いてる人なんだろう? それも、小説大賞に応募して二次選考を通るレベルの人」

「えっ!!! あ……うん。そそ、そうだけど……なんでわかったの?」

「僕の友達に情報通がいてね。別に探ってやろうとは思わなかったけど、勝手に教えてくれたんだ」

「そう……なんだ。そっか……」

 栗花落は、いつもの穏やかで流暢な話し方とは別人のように、歯切れが悪く相槌を打つ。

「聞いても信憑性は五分五分だと思ったけど、その反応を見ると、どうやら本当みたいだな」

「……うん」

 その答えを聞いて、僕はちらっと、タブレットの画面から栗花落に目を移した。

 彼女は、少し俯いて、頬を赤らめていた。

 呼吸をやや大きめにして、唇を軽く噛むようにしている。

 まぁ、自分の想い人が誰なのかを知られたのだから、緊張状態になるのは当たり前か。

 僕はまたタブレットに目を戻す。

「だからさ、同じように小説書いている僕からできる、唯一のアドバイスというか、似た立場だったら、どう考えるかっていう話だよ、さっきのは」

 普通の会話のテンポとしては、長すぎると感じる間があった。

「……えっと、さっきの?」

「そう。文章書いてる人間だからって、手紙の質とか、文章力とか、語彙とか、そういうのは、よっぽど稚拙でない限りは、気にしないと思うよっていう、そう言う話」

 ようやく小説大賞の特設サイトへとたどり着き、新着情報の欄を確認する。

 前回の二次選考結果発表が二ヶ月前で、今回は三次選考結果と、受賞作品までがまとめて発表されるのだ。

 もっとも、僕の作品が、受賞している可能性はゼロだ。

 なぜなら、なんらかに入賞した場合は、事前に連絡が来るわけで、その連絡が今この瞬間にも来ていないということは、つまりそういうことなのだ。

 入賞していないのは確実として、あとは三次選考を突破したのか、最終選考まで残ったのか、その辺が知りたいのだ。

「あの、ね、ええと、ちょっと待って……」

 栗花落が引き続き歯切れの悪いしどろもどろと言った感じで話し始めた時、僕は三次選考突破に自分の名前がないことを確認して、その後、受賞作を確認した。

 そこで、

「あっ」

 想像以上に大きな声が出ていた。

『佳作、《異世界転生しても、元の世界に好きだった人が忘れられない俺は、恋の力を糧に元の世界に戻ることを決めた》――松本圭吾(十七歳)』

 そこには、そう書かれていた。

「ど、どうしたの?」

 突然声を上げた僕に、栗花落がそう尋ねてくる。

 いや、まさに栗花落さん、君にかなり関係のある人が、あろうことか、小説大賞の佳作を受賞した、という情報を今知った訳なのだが。

 正直なところ、僕は僕で、かなりテンパっていた。

 そりゃそうだろう。

 ついこの前知った、自分以外に自分と同じクールの小説大賞に応募し、同じように二次選考を通過していた同じ学校の先輩が、いきなり受賞していたのだ。

 一気に受けた情報量とその重みと複雑さに耐えかねて、僕の頭は若干クラッシュしていた。

「あ~と、ええと、う……ん」

 何をどう答えてよいか分からずに唸っていると、栗花落がタブレット画面をのぞき込んできた。

「小説大賞、受賞作発表……?? えっ! もしかして、白峰君、受賞したの!?」

 ああ、そうくるか。違うんだ、栗花落。僕は何も受賞していないし、それどころか、三次選考も突破できてないんだ。

 そうじゃなくて、だけど、君にとってはもっと重要な情報があるというか。

 そんなことを頭の中でぐるぐるとさせて、それを言葉としてアウトプットできずにいる時、強めの音と勢いで、図書室のドアが開けられた。

「ああっ、ここにいたんだ、栗花落」

 入ってきたのは一人の男子生徒で、上履きの色からして二年生であった。

 そのまま顔を見て、僕は『嘘だろ』と思った。

「うん? ええっ!? 松本先輩?」

 その姿を捉えた栗花落が、驚いた声を上げた。

 そうだ、図書室に侵入してきたのは、松本圭吾先輩だった。

「見てくれよ。今日、発表されたんだ。実はさ、五日前には連絡が来ていたんだけど、こういうのって、公式の発表前には教えちゃだめだからさ。それに、こうやって、ちゃんと掲載されている事実を見せたかったから……」

 ズカズカと、という表現が似合う速度と勢いで、その松本先輩は栗花落の前までやってきて、スマホの画面を見せる。

「あの、どういうことですか?」

 緊張と驚きの面持ちで、栗花落は差し出されたスマホの画面を見る。

「えっと、佳作、松本圭吾……? これ、先輩ですか?」

「そうだよ。取ったんだ。受賞したんだよ、小説大賞の佳作!!」

 僕はリアクションにも、表情にも態度にも困っていた。

 何か、グワンッと、意識が遠のいていきそうで、僕はワザと大きく息を吸い込んだ。

 そそくさとタブレットを切って、席を立つ。

「それじゃあ、僕は帰えるから」

 早口でそう告げると、自分でもおかしいくらいに機敏に荷物を纏め、そのまま図書室の入り口へと向かう。

「あっ、白峰君」

 背中にそんな声がぶつかったが、僕はそれを無視して、そのまま図書室を出た。

 競歩選手にも似た速足で廊下を進み、不自然なほどカクカクした動きのまま、僕は昇降口を出る。

 校門を通過した後も、歩みの速度は変わらなかった。

 慣れない速さで歩いているせいか、すぐに鼻息は荒くなり、恐らくそれとは関係のない理由で、嫌な汗をかきはじめていた。

 ああ、なんだ。

 なんなんだ?

 何が起こった。

 何を……何から考えればいい?

 あまりに一瞬のうちに得た情報とショックが大きすぎて、未だに処理がしきれていない。

 パニック状態を引きずったまま、僕は自宅への帰路を殆どオートの状態で進んでいく。

 視界が妙に狭くなっていて、気持ちが悪い。

 電車に乗って、最寄り駅で降りて、そのまま寄り道もせずに自宅へと一直線。

 ようやく家にたどり着き、鍵を開けて乱暴に靴を脱ぐと、自室へと直行する。

 父親はもちろん、母もパートに出ている為、今日は誰も家にいない。

 鞄を放り出し、机にドカッと座ると、PCを立ち上げ、サイトを開く。

 何度見ても、そのページには、『三次選考通過者』の欄には僕の名前はなく、『佳作』の欄には松本圭吾の名前がしっかりと掲載されていた。

「ええと……なんだ? 何がどうなってるんだ?」

 もちろん誰もいない部屋で、僕は独り言つ。

 混乱もしていれば、変に興奮もしていて、パニックも混在していて訳が分からない。

 思考がまとまらないし、感情が先行しているにも関わらず、その感情が何なのかも認識できていないほどのテンパり具合だ。

 落ち着け。

 冷静に整理しよう。

 すでに応募していた小説大賞。僕は三次選考落選で、栗花落の思い人の松本先輩は佳作を受賞――。

 はっ?

 ちょっと待ってくれ。

 確かに、この賞に応募した作品は、サイト掲載の小説と並行で書いていたものだ。

 本気ではない、などとは言わないが、力や気合の入れ具合を考えると、この夏休み後半から先月末までで書き上げた作品よりは、自信を持てる小説ではなかった。

 だが、それにしても、三次落選とは。

 ……ああ、違う。三次落選なんてのは、今までいくらでもあった。だからこそ僕は未だにプロになれていないわけだから。

 いや、そうじゃなくて、なんというか、この状態というかシチュエーションというか……。

 そうだ、この状況だ。

 悩んで、卑屈になって、諦めて、無意識に芽生えた恋心さえ否定して、『小説』と向き合って、書きたくないものを書いてでも製本化されてプロになることを優先するのか、書きたいものを書いて、プロに認められて賞を受賞してプロになるのかで葛藤して。

 それでも、再び頑張ろうと覚悟を決めた矢先なのに。

 突然現れた松本先輩が、同じ賞で受賞してしまうなんて。

 それは、あんまりじゃないか。

 無論、僕は松本先輩のことを大して知らない。彼がどれほどの時間と情熱と研鑚を、小説に乗せているのかも知る由もない。

 それでも、それでも、だ。

 所詮は主観的な見方しかできない僕にとって、この状況は、この仕打ちは、あまりにも酷くはなかろうか。

「ああ……あんまりだ。あんまりだよ」

 これはもう、イジメだ。

 追い詰め方も、追い打ちの掛け方も、心を折るイジメのやり方と同じだ。

 努力を嘲笑い、希望をシラミ潰しにしていき、トドメを刺す。

 そんなに僕が悪いか。

 僕が何をした?

 ここまで追い詰められるほどの罪を、僕は犯したのだろうか。

 そもそも、栗花落鳴華と関わらなければ、こんな思いをせずに済んだはずだ。

 あの時、わざわざ違う教室にまで来て、彼女が僕に話しかけなければ、こんなことにはならなかった。

 諦めていた現実に目をやることもなかったし、壱岐芳助に貶されたサイトでの活動だって、栗花落の言葉がなければ、なんとか自分を誤魔化し続けることができた。

 今回の三次選考落ちだって、一人きりで発表を見れば『またか』と、さほど傷つかずに済んだ。佳作の名前を見たとしても、どこぞの知らぬ『松本圭吾』が受賞しても、同じ高校生であることに嫉妬はしても、粗方スルーできたはずだ。

 彼女と関わったから、こんなに揺れて、こんなに傷ついて、こんなに、苦しんでいるのだ。

 仮に関わったとしても、彼女がもっと事務的に、接してくれていれば、僕はここまで感情を動かさなかった。

 僕は徹底して、最低限のリアクションで対応していたはずだ。

 期待をしないように、勘違いをしないように。

 それなのに、踏み込んできたのは栗花落だ。

 友達だとか、会話が楽しいだとか、僕のことを知りたいだとか。

 みんなの前で手を振ったりとか、呼び出して二人で出かけたりとか、夏祭りで偶然会ったら、一緒に花火を見ようとか。

 深い意味も理由もないのは分かりきっているけど、それでも陰キャで鬱で、ネガティブ全開で現実を諦めている僕からすれば、そんな風に言われれば、分かっていても期待する。

 何か特別な意味があるのではないかと、思ってしまうんだよ、僕は。

 こんな痛みも、そんな自分のイタさも嫌だから、全部無視していたのに。

 こんなことになるなら、関わらないで欲しかった。

 どうせ報われることなどないのだから、知らない人でいてほしかった。

 確かに栗花落と過ごした時間は、楽しかった。

 校内でも話題になるほどの美少女が、それも、もろに好みのタイプの女子が向こうから近づいてきてくれて、半ば強引に友達になって、話題を合わせるように話してくれるのだ。

 人付き合いとか、そこにかかる努力とか気遣いが嫌で孤立を決め込んでいる僕からすれば、そんな近づき方をしてくれる人間ほど、嬉しいものはない。

 それになにより、理由も理屈も抜きに、二人の時間は楽しかったのだ。

 そこで止めて置けばよかったのか。常に受け身で、会話も、おススメの小説や映画を教えることも、一緒に出掛けることだって、決して自分からは望まず、彼女から与えられるだけでいれば、良かったのだろうか。

 彼女に認められたいと思ってしまった自分がいたから。

 彼女に見合う自分になりたいと感じてしまったから。

 特別な存在になりたいと願ってしまったから。

 だから、いけなかったのか。

 栗花落への好意を気づいても、何も、求めるべきではなかった。

 ただ一方的に、好きな気持ちを認識して、それを心の奥底に閉じ込めて、施しや恵みが与えられれば、それを至高の喜びとして受け取り、それ以上を決して求めない。

 そのスタンスを徹底していれば、こうはならなかった。

 こうなるのがなんとなく分かっていたから、嫌だったのだ。

 世界は、僕からの願望や期待に、とにかく厳しい。

 与えられることに満足しているうちは、幸せを感じさせてくれるのに、自分からの願いを口にした瞬間、世界はその表情をガラリと変える。

 冷たい眼差しで、激しい罵詈雑言を浴びせかけるのだ。

 お前のような分際で、何を望むのか、と。

「ほらな、頼親。恋なんて、認識するだけ無駄なんだよ」

 いつかの頼親の言葉に、今更ながらに反論する。

 若干の怒りを孕んだ反論をすると、怒りは飛び火して、無関係な松本先輩にすら向けられる。

 松本圭吾は、何なのだ?

 さきほど初めて見たが、背も高く顔も垢抜けていてイケメンだった。

 それで栗花落に惚れられていて、佳作まで受賞しているのだ。

 僕が欲しくてたまらないものを簡単(かどうかは分からないが、少なくとも僕にはそう見える)に奪っていく。

 人間の格差に関しては嫌というほどわかったつもりになっていたが、それにしても、こんなに絵に描いたような絶望がこれまた絵に描いたようなタイミングで降りかかるとは。

 こんな悲劇の時だけ、僕はまるで物語の主役級に躍り出てしまうあたり、本当に運がないというか、ハズレくじを引く才能だけはあるようだ。

 スマホに新着メッセージの知らせがあって、確認すると、それは栗花落からだった。

 図書室からは、一方的に強引で出てきて、帰ってきてしまったのだから、何か連絡がくるのは当然だが、僕はその内容を見る気にはなれなかった。

 もういい、と、そう思った。

 きっと栗花落は、良き友人か、利用できる知人としてかは分からないが、この後も僕と協力者としての関係を継続するつもりだろう。

 これまでと同じように、話をして、時にはどこかに出かけたり、時には小説や映画なんかを勧めたりして、まるでそこそこ仲のよい友人のように、時間を共有していくつもりなのだ。

 だが、それはもう、やめてほしい。

 僕の気持ちは残念ながら、『友達でもイイから近くに居たい』などという謙虚で健気なものではなくなってしまっているのだ。

 こんな風に思うのは高慢でおこがましいにもほどがあるが、報われない恋なら、失くしまいたいと思うのが、白峰宗介という人間なのだ。

 しばらく、誰とも話したくないと、心底思った。

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