第14話

 改稿も、最終段階に入っていた。

 吉村さんのアドバイスというか、指示に沿って適さない部分を修正し、上手いこと文章を伸ばしたり、縮めたりする。

 細かく、散々行ってきた作業も、残すところ、あと十数ページとなっていた。

「白峰君、最近はどうだい? 掲載している続編の方は」

 作業の合間に、吉村さんが聞いてきた。

 何気ない日常会話であって、特別な意味も、理由も持たないものだ。

 しかし、僕はそれに、真剣に答えた。

「不調ですね」

「え?」

「何を書いても、面白いとは思えなくて……いえ、最近の話ではないんですけど」

「どうしたんだい? この前の壱岐先生の言葉を気にしているのかい?」

 それは事実だ。あの人に言われなければ、僕は今よりはるかに調子に乗って、我が物顔で製本化を進めただろう。

 でも、きっとそれだけであるはずなんてなくて、どんなに尊敬している人に何を言われても、自分の中に確固たる信念や、意志があるのなら、迷わなかった。

 こんなに揺らいで迷ってしまうのは、僕自身が何一つ納得なんてしていない方に違いなかった。

「僕の小説は、文学的に価値がありますか? サイトで読まれてるからとか、そういうのではなくて、小説として、ライトノベルとして、作品として、きちんとした価値があるのでしょうか?」

 僕は疑問を投げかけてみた。

 すると、吉村さんは僕を見つめた後で、難しそうに視線を下げた。

「やっぱり、僕の小説は、作品としての価値は無いんですね」

「そんなことはない。事実、君の作品を支持する人間は多い。だからこそ、製本化の話が出た訳なんだし」

「……吉村さん。僕のこの作品、規定枚数内に収まって、一区切り完結していたとして、どこかの小説大賞で、大賞をとれますか?」

 僕は続けて尋ねた。

 本当は、もっと前に尋ねたかった質問だったが、とてもじゃないが、怖くてできなかったこと……そうじゃない。違うな。僕はその質問の答えを予め知っているから、出来なかったのだ。

「大賞じゃなくてもいい。金賞や銀賞や、特別賞、製本化される賞を、とれる作品だと思いますか?」

「それは……」

 吉村さんは、口ごもった。

「とれませんよね。きっと、三次選考も通過できないかもしれない作品です」

「白峰君、そんなことはないって……」

「本当のところを、聞かせてください。僕だって、分かっているんです。僕は、小説サイトで人気になったからって浮かれている他の作家とは違います。僕は、サイトのニーズに合わせて、サイトで人気になるようにこの作品を書いているんです。作風も、テーマも、キャラクターも、展開もオチも設定も、このサイトで上位を獲得できる要素だけを詰め込んで書いています。製本化してもらう為だけに、プロの作家になる為にだけに、この作品を書いているんです」

 僕は言った。

 それはずっと、僕自身が自らに疑問を抱きながらも続けてきたことで、何度、『こんなことしてまでプロになりたいのか』と自問自答してきたことだ。

「この作品の文学的な価値は? ライトノベルとしての価値は? プロの作家や編集者から見て、この作品はどうなんですか? エンタメとして、芸術として、傑作になり得る要素が僅かにでもあるものですか?」

「白峰君、君は、もしかして、この作品を書きたくはない、のかい?」

 そう問われて、思わず僕は目を反らした。

 書きたいか、書きたくないか、だって?

 そんなの、決まっている。

「……書きたい訳がない……」

 腹の底から、自分の声とは思えないほど、恨めしい声が出た。

「最初は、自分が書くべきもの、書きたいものを書いて、それを極限までブラッシュアップしていけば、きっと結果が付いてくると信じていました。でも、全身全霊を込めた僕の作品よりも、大衆受けを狙ったありきたりの異世界転生モノばかりが選考を通過し、悔しい思いでいっぱいでした。僕は……僕は、僕の価値を、この小説でしか証明できません。小説というか、プロの作家に成れるかどうかでしか、証明する術がないんです。だから、僕は自分の書きたいことも、信念も、作家性も全部捨てて、このサイトに投稿を始めたんです。でも、あんな風に否定されてしまえば、意見することはもちろん、反論も、否定することすらできない……」

 僕はありのままの気持ちを、吉村さんに吐き出した。

 これまで、どこか偽って誤魔化しながらしか、自分の『小説論』を話したことはなかったが、彼は僕の担当編集だ。

 編集は味方であり、共に作品を作る同志でもある。本当ならもっと前に、話しておくべきだったのだ。

「君は全部計算して作るタイプだとは思っていたけど、まさか、そこまで自分を抑えて書いていたとは思わなかったよ」

「書籍化は、僕の夢であり、第一歩です。プロになることは、僕の人生の全てなんです。でも……でも、本当は、賞を取ってプロになりたい。『ニセモノ』なんて言われて、のうのうとデビューなんて、したくない」

 自分が、間違った選択をしようとしているのは、分かっていた。

 プライドや意地や、そんなものの為に、チャンスを手放そうとしている。

 優先するべきことは、『気持ち』なんかではないはずなのに。

「……分かった。ならば、製本化は一先ず中止にしよう。まだ入稿していないから、どうとでもなる。幸い、広告も打ってないしね。編集長へは……私が話しておくよ」

「本当にすみません。お願いします」

「……白峰君。確かに、この作品は何かを受賞できないかもしれない。だけど、君の作品が全て、受賞できないとは私は思わない」

「ありがとうございます。書いてみます。打算も、媚びもない書きたいものを書いて、応募します。もう一度……」

「私は君の担当だ。協力はさせてもらうから、相談にのるよ」

 僕は深く頭を下げた。

 編集者を後にして歩き出すと、自然と速足になっていた。

 小説サイトの更新は、しばらくやめる。

 代わりに、僕は僕の小説を書く。

 書きたいものを書くんだ。

 そして、今度こそ、何かしらの賞を取る。

 やる気に満ち溢れる、なんてほど熱くはなれなかったが、それでも、僕の目はきっと、多少はマシになっていただろうと思う。

 書きたいものを書いて没頭すれば、傷つくばかりの現実になんて、目を向けずに済む。

 万に一つを期待させる誘惑も、虚しい勘違いも、全部無視できるのだ。

 一番近い小説大賞の締め切りまでは、あと二ヶ月。

 規定は確か、十万文字くらいだったはずだ。

 筆は早い方だ。プロットさえ作れてしまえば、間に合わせるのは不可能ではない。幸い、まだ夏休みも残っている。

 全ての時間を費やせばできる。いいや、やって見せる。

 これこそが、僕が決めた当面の高校生活ではないか。

 小説を書き、プロになることに全振りする。脱線し掛けていたが、それが元に戻っただけ。それだけの話だ。

 そこからの二ヶ月を、僕はよく覚えていない。

 必死になってプロットを作り、書き始めたのが夏休みの終わる五日前。

 途中に頼親と東が遊びに来たが、部屋には入れたものの、ほぼ丸無視して僕は小説を書き続けていた。

 栗花落からもメッセージが来ていたが、僕は純粋に『小説が忙しいから返信できない』と正直に返し、そこからはスルーを決め込んだ。

 書いて、書いて、書きまくって、九月の二十日、僕は何とか、新しい小説を完成させた。ここから、読み返して誤字脱字のチェックと、文章の構成などをチェックし、修正していく。

 締め切りは、九月の末日。

 本当なら、最低でも一ヵ月前には仕上げて、ブラッシュアップをしていくのが良いが、今回は書き始めたのが遅かったので、完成しただけでも十分だろう。

 僕は残りの十日間を死に物狂いで、小説のブラッシュアップに費やした。


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