第4話

母親が若干の恋愛脳だったことが影響して、僕の恋愛観というものは、大分小さい頃に確立しつつあった。

 いや、恋愛観というのは、やや語弊があるか。

 もっと漠然とした、強迫観念のようなものだ。

 恋愛に限らず、人生のあるべき姿、のようなものを、僕はかなり幼い段階から意識していた。

 『沢山じゃなくていいから、本当に信頼できる友達を作れ』

 『素敵な彼女、恋人を作れ』

 別に特別なことじゃない。特段そこに無理難題や、悪意などあるようには思えない言葉だったが、これが案外、僕を苦しめた。

 きっと、『そうなるといい』という、願いのつもりで口にした母の言葉は、そのまま僕を縛る強迫の言葉となったのだ。

 本当に信頼できる友人を作らなければならない。

 素敵なガールフレンドを作らなければならない。

 決して社交的ではなく、マジョリティにも属さない僕には、友達を作ること自体が困難だったのは言うまでもないが、それ以上に僕は友達が欲しくなかった。

 その事実に気付くのは、もっとずっと後の、つい最近になってのことだが、今一つ、心の底から欲しいとも思えない友達作りに奮闘して、それに失敗し続ける僕の小学校生活は、中々厳しいものだったのを覚えている。

 そして、もっと厳しかったのは、『彼女』だ。

 母の教えと言動は、僕に無理やり恋愛脳を植え付けた。

 クラスメイトの女子の中から、好みの子を選んで好きにならなければいけない(・・・・・・・・・・・・・)ような気がしていたし、可能ならその子と交際めいた何かをしなければいけないと、本気で思っていたのだ。

 だが、友達も満足に作れないやつに、彼女なんてできるはずもなく、殆ど無理矢理始めた恋モドキのような一人相撲は、現実世界の女という生き物とのコミュニケーションの難しさとトラウマを深く刻んだだけで、これまた幾度となく失敗しつづける羽目になる。

 僕がその『教え』から解き放たれたのは、小説を書き始めてからだった。

 剣道をやっていた頃は、ありがちな『スポーツ少年』であった訳で、概ねのスポーツ少年がそうであるように、人生の真理についてなど考えることもなく、それゆえに母の言葉に従うべきかどうか、なんて根本的な問題を考えたことすらなかった。

 それが、理屈やら哲学やらを捏ね繰り回すことになって、そもそもどうなんだと考え始めて、僕は『ああ、それは違うんだ』と、気が付いた。

 最初は、母親に対して怒りのようなイラつきのような感情も湧いたけど、きっとそれも擦れ違いや勘違いや、誤解と曲解の結果なのだろうとも思って、僕はそのことに関して、何も言うことはなかった。

 ただ、ほんの少しだけ母との会話が減った。

 中学生から高校生という、思春期真っ只中に差し掛かったこともあるし、ただなんとなく、無意識的にこれ以上の母の影響を受けたくなったという気持ちがあったからだと思う。

 かくして、そんなネガティブな失敗経験の数々と、小説にのめり込んでいったことで、僕は現実というものを、いよいよおろそかにし始めた。

「宗介はさ、彼女欲しいとか思わないの?」

 いつもの学校の、いつもの休み時間。

 やはり相も変わらずタブレットで執筆している僕に、そんなことを聞くのは東だった。

 東の席は僕の前ということもあって、特に移動もせずにこうしてだべることが多い。

「ん~どうかな。欲しいか欲しくないか、でいうのは難しいな」

「そうなのか?」

「僕は、人付き合いが苦手なんだ。他人との関係を円滑に継続するには、ある程度の努力と気遣いが必要だろ? それが、思いのほかストレスというか、かなり辛いんだよ」

「努力と、気遣い?」

「うん。友達とは、学校で毎日会えば、それなりに会話をしなくてはいけないだろう?」

「ああ……まぁな」

「挨拶くらいは別に構わないけど、その友達が見聞きしているもの、テレビとか動画とか、音楽とか、そういうのをさ、興味がなくても情報を仕入れないと、話が合わない訳だろう? そういう努力が面倒くさいし、大抵の場合、友達ってのは、妙にいっつもつるまなくちゃいけない。それが……その、シンプルに苦痛なんだ」

「……そっか。そう言えば前もそんなこと言ってたよな。ん? じゃあ、もしかして今こうしてオレと話していることも苦痛なのか?」

「いや、東や頼親と話すのは、別に苦痛じゃない。取り繕わなくていいし、蔑ろにしても気にしないだろ?」

「まぁ、そうだなぁ。あ、待て待て、蔑ろにされたら、流石に気にはするけどな」

「蔑ろっていうか、アレだな。ノリ悪かったり、付き合い悪くても、別になんとも思わないだろ? それが僕にとってはスゴク大事なんだよ」

 そう言うと、僕たちの後ろから、明らかに爽やかな声がした。

「遊びに誘って欲しいけど、行きたくはない。だから誘われても断るけど、それで相手が気分を悪くしたり、断ったこと自体を気にして欲しくない。そういう、ちょ~っと面倒くさい男の子なんだよ、宗介は」

 声の主など、確認しなくてもわかる。

 声だけでもわかるイケメンぶりと、僕に対してここまで遠慮のない物言いをする人間など、頼親を除いて他にはいない。

「その言われ方は不本意ではあるけど、だいたい当たっているから、反論はできない」

 僕が言うと、頼親は空いていた東の隣の席に座り、『だろ?』と言った。

「それで、なんの話だったっけ?」

 話を始めた張本人である東が、問いかける。

「僕が、彼女が欲しくないのかって話だろ。悪いな、いきなり脱線して。でも、今の話をしないと、説明しにくいから」

「ああ、そうか。そうだった。それで……続けて」

 どうぞ、とジェスチャーつきで東が言う。

「だから……高校生の彼氏彼女なんていうのは、友達以上に毎日連絡を取り合わなくちゃいけないだろう? 多分、それが苦痛になると思う。仮に相手を、ちゃんと好きだとしてもね」

「ふぅん……でも、それって結局、そこまで好きじゃない相手と付き合ったら、って話だろう? マジで惚れたら、違うんじゃね? それか、価値観が滅茶苦茶合う相手とか」

「俺たちだって、こうして一応『友達』やってられる訳だから、そういう『彼女』がいないとも限らないよ」

 東の言葉に続けて、頼親が言った。

 何事にも例外はある。そう言われれば、そこまでの話だが、それを言ってしまえば、そんな深くて本気の恋というものを、高校生の日常でするかどうかも甚だ疑問な話ではある。

「それも一理あるから、否定できないな。でも、そうだとしても、僕には別の側面での問題がある」

 今までのは、僕の身勝手な言い分と価値観であって、むしろ現実的に彼女が出来るかできないかの問題に関しては悲しいかな、こっちの方が深刻だったりする。

「僕もね、中学生の頃は、恋したいなと、彼女欲しいなとか、月並みに思っていたよ。だけどさ、僕はこの通り、モテない人間だから、そんな奴がちょっと気に入った女子に必死にアプローチかけたところで、どうにもならないってことだよ」

「結局、欲しいけど出来ないし、必死になってまでは欲しくないってことか」

「そんなところ。僕は僕なりに色々考えたし試しもしたけど、現実の女子というものは、なんというか、生き物として違い過ぎて、中々に厳しいっていうのも本音」

 そう。

 僕は勝手に他人に好感を抱かれるような部類の人間ではない。

 中途半端に変わり者で、飛び抜けた知能も、身体能力も、美術的センスもない凡人という、一番質の悪い立ち位置で、人間嫌いで極度の人見知り。

 そんなことは、十分に分かっているし、すでに思い知っている。

 だから僕は、小説を書いている。これは、僕の創作活動であると同時に、現実逃避であり、もしかすると、物語の中こそが、僕の本当の人生なのかもしれない。

 と、そこまで考えて、僕はタブレットの画面をマジマジと見つめた。

 僕の世界。僕の現実逃避先。小説がその役割を大きく果たしていて、好きな世界を描くことで、僕は心の安寧を保っていたのは事実だ。

 なのに、最近の僕はどうだ?

 この目の前のタブレットに書き綴っている小説は、投稿サイトの読者ウケのみに特化した、自分でもたいして面白いと思わない作品だ。それを改めて感じてしまい、思わず僕は固まってしまった。

「宗介、どうした? お前自身がフリーズしてるよ?」

 頼親が僕の異常に気付く。

「あ、いや、なんでもない。ちょっと、書いてる小説に矛盾を見つけてね」

 僕はそう言ってごまかして、

「ああ、あと付けたすとしたら、蔑んでみられるのだけは、一番嫌かもしれないな」

 話を無理やり戻すように、僕は続ける。

「恋人や友達がいないことが苦痛なんじゃなくて、『恋人も友達もいない可哀そうな奴』だと、勝手に思われ、哀れまれることが嫌なんだよ」

 大抵の人間はマジョリティな価値観を絶対のものだと信じ、疑わない。

 友達がいない=可哀そうとか、辛いとか、寂しいとか。

 彼女に関してだって同じように思い、勝手に哀れむ。

 僕は他人といる空間が苦痛で、取り繕うための会話が苦痛で、一人でいることが何よりも幸福だというのに、そんな僕を『可哀そうで寂しい奴』だと思っている人間は多いだろう。

 他人が勝手に僕の人生の価値を決める。

 僕がどう思っているかを決めて、勝手に哀れむ。

 それが、たまらなく苦痛なのだ。

「だけど、自己顕示欲と自尊心だけは、人並みより少し大きいから、その他人からの評価を丸無視できないあたりとか、僕は心底、自分を半端者だって思うよ」

「……お前ってホント、なんか大人びてるよな。冷めているっていうか、枯れてる?」

「宗介のは、理屈っぽくて皮肉屋っていうんだよ。あとちょっと中二病。陰キャでコミュ障で、人間嫌い」

 頼親が変わらずの爽やかな物言いで言う。

 こいつが口にすれば、例えどんなゲスで卑猥な言葉でも、清涼感漂う青春ワードに聞こえてしまうのではないかと思う。

「頼親、そういうのは、僕本人が言うことじゃないのか? でも、それも合っているから何もいえないけどね」

 僕はやっぱり視線を外すことなく口にして、エンターキー少しだけ強く打った。

「で、そんな陰キャと率先してつるんでいるのは、どうしてなんだ? 頼親」

 聞いてみると、頼親はニヤっと笑って、少しだけ斜め上の宙を見た。

 器用に片眉だけ上げて、まるで漫画の中のキャラクターみたいな表情をして、僕に見直った。

「……楽だから、かな。宗介は、俺を必要としない。過度な期待も、幻滅もしない。そういう相手っていそうで案外いないからな。あ、言っておくけど、俺は期待されるのが嫌ってわけじゃない。期待されるのはありがたいことだし、期待っていうのは、応援でもあるから、それは凄く力になるし、支えになる。でも、二十四時間、三百六十五日、そればかりだとやっぱり一息つきたくなる。そういう時、宗介の対応っていうのは、楽なんだよな」

 憎たらしいくらいのイケメン顔で、そんな風に言う。

「僕は別に何もしてないし、無理もしてないからな。お前が勝手に楽だと思ってくれるなら、それはそれでいいことだな」

「そんで、東は?」

 次だぞ、と言わんばかりにナチュラルに東にバトンを渡す頼親。

「オレ? あ~そーだな。オレは……高校デビューしようって思ったけど、何したらいいかわからんし、この学校に知り合いしないし、途方に暮れてたところ、同じようにボッチっぽい空気を察して、宗介に声をかけたって訳。そしたら、宗介は結城と知り合いでっていう流れだよな?」

 後半、問いかけに変わる。

「そうだった気もするな」

「そうそう、いきなり宗介に声をかける奴がいたから、こりゃ面白いなって思ったの覚えてるよ。ほら、宗介って、声をかけるなオーラ出してるじゃん? それなのにわざわざ声をかけるって、相当コミュニケーションに自信あるやつが、超空気読めない奴かのどっちかだからさ」

 何やら楽しそうに笑いながら、頼親が言う。

「それで、東いうまでもなく後者だったんだよな」

「そういうこと」

「え? オレ、超空気読めない奴??」

「ん~読める方ではないでしょ?」

「まぁ、確かに。いやでもその言われようは酷くね?」

 東の言葉に、頼親は渇いた、しかしやっぱり爽やかに微笑んだ。

「高校デビューか。東、お前はまだ人生というものに理想を抱いているんだな。自分の人格が破綻しない程度に……つまりは、正気を保てる範囲内での変化で、人生は変えられない。もし変わったとしたら、それは周囲や環境が変わっただけだ。自分が変わったから変化したわけじゃない」

「宗介、そんな夢も希望もない話をするなよ。変わりたいって思って変わって、少しでも人生がプラスになるんだったらそれでいいじゃないか」

「事実だろう」

 僕が言うと、東がなんだかひどく気の毒そうな表情でこちらを見た。

「なぁ、結城。こいつは、過去に何があったんだ?」

「それは追々、本人から聞いた方がいいよ。……話すかどうかはわからないけど」

「話さないよ。っていうか、なんでそんなに他人に興味があるんだよ」

「いやいや、友達の中学時代とかって、普通に興味あるだろう? 深い意味なんてなくてさ、なんとなく」

 東の言葉に僕は手を止めて、彼の方を見た。

「あ、いや、宗介はないわな。今までだって、一度もオレのこと聞いたことないしな」

「必要なら聞くけど、現状必要ないからな。別に経歴で付き合う訳でもないし」

半分は本心で、半分は嘘だった。

 嘘、というより、少し違う意味合い、と言った方がいいか。

 そいつが過去にどんなことをしていようが、今現在の人間性を見てそれで付き合いをするのは、本当のことだ。

 でも、今の僕の言葉には、そう言った、プラスの部分だけが浮きだって見えるが、半分は『過去がどうであろうとどうでもいい』という無関心に近いものだった。

「な、楽だろ? こういうスタンス」

 頼親が、東にそう言った。

「まぁ、確かにそーかもな」

 東が答えたところで、休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。

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