⑬春の気配



 現実世界では、冬から春に変わる瞬間なんて拝みようも無い。空を毎日眺めて暮らす訳にもいかないし、その時が来たからといって何をする事もない。


 けれど、降り積もる雪が少しづつ重みを持ち、湿った雪を踏み締めれば僅かに凍った表面が足の形になって際立てば…何となく春も近いのかと判るもんだ。



 「…変わった獣を狩りに行くが、一緒に来るか」


 そんなある日、俺達の家に刺青男のクマがやって来て、少し遠出して狩りに行かないかと誘われた。変わった獣ねぇ…一体何の事やら。



 集落から結構な距離を歩き、沢伝いに山を越えて進む内に、何やら見慣れない足跡を見つけ、クマが立ち止まる。


 「…こいつらは春が近付く直前になると、冬越しする場所から暖かい地方に移動する。その時だけ、俺達はこいつらを狩れる」


 そう言って進もうとする彼の視線の先にあったのは、子供ならすっぽり一人分入れる程の巨大な丸い足跡だった。例えるなら…ゾウの足跡に近いが、まさか…?


 「ねぇ、ヒゲさん…これってもしかして…」

 「さあ、判らんが…少なくともシカやイノシシじゃないのは間違いないな」


 サキと共に先行するクマの後を追いながら、俺は冬籠もりの間に作った大きな槍を担ぎ直した。



 「…居たぞ。余り近付き過ぎるな」


 足跡を辿って進むと、クマが俺達の方を振り向き、手を上げて頭を下げるように指示を出す。そして足音を抑えながらゆっくり進み、尾根の向こう側を覗き見た俺は…やはりそうかと確信した。


 ざっと見て10頭位は居るだろうか…長い毛に全身を覆われ、太い4本の足で雪の大地を踏み締めながら、その獣が木の皮を剥いで食べていた。


 「…やっぱりマンモスだったのね」


 サキが確信を持ってそう呟くと、大きな耳を動かして1頭のマンモスがこちらを見た。当然だが、俺達は直ぐに頭を引っ込めて気配を消した。


 「…気を付けろ、あいつらは耳がいい。それに長い鼻も侮れないぞ」


 クマにそう言われて、俺とサキは黙ったまま頷いた。


 しかし、あんな大きなマンモスを、クマはどうやって仕留めるつもりなんだろうか。


 「…群れの大きさから見て、リーダーは母親だろう。引き連れているのは殆ど子供だ…きっと他に大きな群れが居るが、俺達だけで狩るなら丁度良い」


 そう言ってクマは背負っていた背負子を降ろし、袋の中から縄と石を取り出した。それを掴むと頭の上でぐるぐると回し始め、一番後ろに居た小柄な1頭に狙いを定める。


 「…変わった獣ってのは、このマンモスなのか?」


  ヒュンッ、と風切り音を鳴らしながら後ろ足を絡め取ったクマに俺が尋ねる。しかし、彼は1頭だけ取り残された子供のマンモスにナイフを刺して放血しながら、


 「…違う。こいつは誘き寄せる為のエサだ」


 そう言って立ち上がり、群れの周りには必ず落伍した獣を狙う奴が潜んでいるのだと教えてくれた。いや、それを早く言えって…俺達、そんな場所で背中向けてマンモス眺めてたんだからよ…。




 「なぁ、マンモスって旨いのか?」


 三人で木の上に登り、囮のマンモスを眺めながら、世間話のつもりでクマに聞いてみる。現実世界でも極めて少ないが、氷河に落ちて氷漬けになったマンモスを口にした者も居たらしい。軽く数万年以上前の半ミイラ状態の肉じゃ、味も素っ気も無いと思うが…。


 「固くて旨くない」

 「あー、そうか…」


 クマは無表情のまま、あっさり答えてくれる。しかし、彼はそう言いながら暫く考え込んでから、指先でアゴの辺りを擦りつつ付け加えた。


 「…まあ、干し肉にすれば日保ちするし、脂は炒め料理には欠かせない。ついでに子供は肉も柔らかくて旨いぞ」


 何だよ、クマも食うの好きなんじゃないか。


 …パキッ、と枝を踏む音が鳴り、3人が同時に動きを止める。


 (…来たぞ、しっかり見とけ)


 突如現れたその獣は、3人が登っている木の下を流れるような動きで進み、血を流して死んでいるマンモスに近付く。そして前肢で死体を抑え付けながら鼻を寄せ、匂いを嗅いでからアゴを開く。


 ずらっ、と長く鋭い牙が、アゴの端からナイフのように伸びている姿を見た俺は、図鑑で見たサーベルタイガーが目の前に居るのだと漸く判った。


 「…しかし、エサを食うのも一苦労だな」

 「若いうちは短いが、長生きすると更に伸びるからな。年を取る前に餓死する奴の方が多い」


 クマ曰く、サーベルタイガーは結構慎重な獣で、簡単に狩れないらしい。但し、冬場は餌も少なくなり囮を使えば容易く仕留められるそうだ。


 「…旨いのか?」

 「…不味い」


 マンモスより更に簡潔に言いながら、クマは自分の弓矢を構え、サーベルタイガーの首目掛けて放った。


 サキの使っている物と同じ大きさだが、クマが持つと普通の弓矢に見える。しかし、威力は充分過ぎるようで、サーベルタイガーのアゴの下に矢が突き刺さると、マンモスの死体に頭を押し付けたまま動かなくなった。


 「不味いのに、どうして狩るんだ?」


 先に降りてサーベルタイガーの皮を剥ぎ始めたクマに追い付くと、その鮮やかな手捌きを眺めながら聞いてみる。


 返ってきた答えは、如何にも原始時代を彷彿とさせるものだった。


 「…サーベルタイガーの長い牙は、長生きの証として扱われている。年寄りが座る椅子の下に敷けば、長生き出来ると言われているのさ」


 


 


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