魔術師ニンカの随想録

筥崎俊朗

ニンカとゴブリン退治の話

第一話

 私はゴブリンが嫌いだ。


 あの薄汚いカサカサしてそうな灰緑色かいりょくしょくの肌がイヤだし、生意気に尖った耳と鼻がなんかイヤだし、皺の寄った目じりと黄色く濁った瞳が薄気味悪くてイヤだし、クケケケェ!クケケケェ!みたいに聞こえる甲高い声がイヤだし、口を開けた時に見えるぬらぬらてらてらした牙がイヤだし、いつの間にか増えてて洞窟にわらわら群がってるのがイヤだし、こん棒とか石斧とか振り回してて迂闊うかつに近寄ると危ないのがイヤだし、巣穴は基本的に狭くて暗くてどこかしらに頭をぶつけがちだし、長いローブを着ていくと気づかぬうちに裾が汚れてたりするし、そしてなによりとんでもなく嫌な臭いがする。


 という私の主張をギルド事務員のリーナさんはいかにも気がなさそうに、事務所の受付台に肘をついて人差し指で髪をくるくる弄りながら聞いていた。

「で、ニンカがゴブリン嫌いなのはわかったけど、なに? じゃあ何ならいいの? 討伐対象に好きなのとかいるの?」

「えっ、好き?」

 そんなこと急に聞かれても困る。誰かに好かれるようなものは基本的にあんまり駆除されたり討伐されたりはしない。

「えっと、えっと、えっと、えー、……あっ、ニセバラオオイラクサ!」

 ニセバラオオイラクサはツタ植物で、しばしば大発生して駆除の依頼が来る。ツタをどこまでも伸ばしていろんなものに絡みつくし、繁殖力旺盛で大迷惑だし、葉やツタにあるトゲは鋭利で、これの茂ったやぶに手を突っ込もうものなら悲惨なことになる。そんな厄介極まりない植物だけれど、秋にはツタのそこらじゅうに赤い実をぶら下げて華やかだ。鶏卵けいらんくらいの大きさの実はしゃくっとしてさわやかな酸味と甘味があるし、後味の渋みもきで、私は割と大丈夫。

「植物はダメ」

 えええ。

「えー? んー……んー……。……じゃあ、血吸いナメクジ」

塩壺しおつぼ持っていけばロニちゃんでも大虐殺できるじゃない、それ」

 ロニちゃんはこの事務所にたまに遊びに来る近所の5歳児だ。大きい緑色の目と左右に二つ結んだ栗色の髪がかわいい女の子で、一方の血吸いナメクジはロニちゃんの太ももくらいの大きさになるぶよぶよしたナメクジである。ナメクジとしては結構な大きさになるのに、一つまみの塩で体表が裂けて死んでしまうあたりは不憫ふびんでちょっとかわいい。

「まぁ、ニンカも塩撒いたら死んじゃいそうだし、似た者同士かもね」

「似っ……!!」

 そして唐突に降りかかる無慈悲な言葉の刃。

 絶句する私。

 リーナさんは黒く長い髪と優し気に垂れた目で、一見するとなんだかおっとりしたお姉さん風の印象なのだが口を開くと結構な毒を吐く。

 泣かされた人は数知れずというし、現に今私は泣きそうになっているが、そんなかわいそうな私に頓着とんちゃくする様子は全く見せずにリーナさんはすらすらと言葉を続けていく。

「ま、ともかくこの農繁期のうはんきにさっと動ける人は少ないんだし、もう他の二人も集まってるんだから観念なさい」

「はぃ……」

「うん、よろしい」

 私の弱々しい返事に満足げに頷いてから、リーナさんは傍らに置いてあった紙片をこちらへ差し出した。細々とした文字がびっしりと並んだ紙をとんとんと指先で叩きながら、

「じゃあ依頼の話に入るからね。今回の依頼はドーフィット集落から来てるの。ドーフィット集落、知ってる?」

 私はふるふると首を振る。

「でしょうね。……アクバリク市ここからだと6くらいかな。馬車で朝出ればお昼ごろには着くってとこ。ちょうど明日の早朝に郵便馬車が出るから、それに同乗させてもらえるように話はついてるわ。一番鐘いちばんがねで出る馬車だから早いわよ。今日の内に準備は済ませておいてね。

 ちなみに宿泊先は向こうで用意してくれてるし、滞在分の食事も出してくれるって。まあ小さな集落だから、食べ物にはあんまり期待しないようにね」

 うへぇ、一番鐘……ですと?これは親切と見せかけた巧妙な嫌がらせなのでは?という想いが外に漏れないようにぐっとこらえて「ははぁ」と返事をする。

 ははぁ、と返事をしてから、おやっと思う。

「あれ、ちょっと遠くないです? そこ、うちのギルドの管轄なの?」

 アクバリク市保安ギルドは基本的に市内と近隣地域の積立金で運営されている。範囲としてはだいたい住民がアクバリク市の定期市場に参加できるくらいの地域に収まっているので、6里はちょっと遠い。

「そうなんだけどね。なんでかうちのギルドに積立があるのよ。距離的にはケイルン市のが近いはずだけど、ね。きっと元はアクバリクに居た人が移ったとか、そんな理由じゃないかしら」

「はぁー」

 おかげで私が夜明けの馬車に乗る羽目になっている。だるい。これは依頼先でゴブリン退治の前に、まずは積み立ての掛け替えをご案内せねばなるまい。

「で、現地の情報だけど、今のところ目撃されているのは3匹。集落のはずれの牧草地をうろうろしていたそうよ。家畜の被害は羊が1匹見当たらなくなったってとこみたいだけど、この羊が迷子になってるのか襲われたのかは不明。まあ集落に近い牧草地に出没している以上、被害の有無はともかくとして早期に退治しないといけないってわけね。

 近隣にはいくつか自然洞窟があるって話だから、連中のねぐらはそのうちのどれかって線が濃厚だし、みんなでしらみつぶしにすればすぐ終わるんじゃないかしら。そのあたりの案内は集落の方で手配してくれるそうよ。

 というわけで、はい、これ支度金の小銀貨5枚。それと、署名はこの紙。ペンはここ。インクはこっち」

 色の白い細い手が滑らかに動いて、少し黒ずんだ銀貨がかちゃりかちゃりと綺麗に並ぶ。

 私は「あっ」とか「えぅー」とか言いながら覚束おぼつかない手つきで銀貨を胸元の革袋にしまい込んで、インク壺をひっくり返しそうになりながら恐る恐る「ニンカ・キルヴェス」と署名をして、おずおずとその紙を差し出す。リーナさんはそれを受け取って一瞥いちべつし、代わりの紙を2枚こちらに滑らせた。

「じゃあ、請負票と先方への紹介状。代表者はニンカになってるからね」

 よろしくねーと笑顔を残して、リーナさんは奥の事務室へ引っ込んでいった。一瞬開いた扉の隙間から事務室の机の上にパンやらチーズやらが並んでいるのが見えたので、これから遅いお昼ご飯らしい。

 思わず大きな溜息が出る。

「ちょっと、なんでいきなりそんな盛大な溜息ついてんのよ。こっちまで気が重くなるから止めてくんない?」

 咎めるような声は私の頼れる同行者の一人、キコだ。部屋の隅、テーブルについた肘にあごをのっけてこっちを睨んでいる。

 その向かいでぴんと背を伸ばして座っているのはもう一人の同行者、プラタ。こちらは黙ってにこにこしている。

 首筋くらいまでのちょっと緑がかった髪をきゅっと後ろで結んでいるのがキコ。普段は狩猟を生業なりわいにしていて、副業としてギルドの仕事を請け負ってくれている。

 プラタは濃い藍色にみえる綺麗な髪を肩口まで真っすぐ降ろしている。実家の洗濯屋兼炭屋で看板娘。体格は普通なのにすごい量の荷物を運ぶ。たぶん天然で魔力を身体に通してる系。

「だってさぁー、ゴブリン退治だよ……?」

 とぼとぼと歩み寄って、私も椅子を引いて同じテーブルにどかっと座り込む。

 私、キコ、プラタ、依頼をこなすのはいつもこの3人だ。――というより、私が何かしなきゃならなくなったら大抵この2人に泣きついている、といった方が正しく、今回もリーナさんの手配によって早々にここに呼び出されていた。

「巣穴見つけて燃やすだけなんだから、楽でいいじゃん。走り回る必要も無いし、野宿もしなくていいし」

 性格は三者三葉。キコはさっぱり。

「そりゃそうなんだけどさぁ……」

 私はうじうじ。

「春になって陽気もいいから、ちょっとした遠出もいいよねー」

 プラタはのんびり。

「しかも今回は食事付きなんだから、至れり尽くせりだよ。いい? ニンカ、こういうのを世間では美味しい依頼って言うんだよ?」

「まーねぇ……そうなんだよねぇ……」

「枕と敷布シーツが綺麗だといいんだけどなー」

「リーナさんの言い方だと宿屋があるかどうか怪しいからね……、食事も含めて期待はしないほうがいいかなぁ」

 小さな集落では大抵共同の集会所とか、首長の家の納屋なやとかに寝かされることが多い。当然綺麗で清潔な敷布なんて望むべくもないし、豪華な食事もまたしかりである。

「汚かったら私が洗っちゃうから、ニンカちゃん乾かしてね」

「んー、燃やしてもいいなら」

「いやいや、燃やしちゃだめでしょ」

「細かい火加減って苦手なんだよぉ」

 しゃべりながら私は胸元の革袋を覗き込んで、さっきしまった銀貨をまさぐっていた。こういった依頼の時にはいつも前金は二人に渡している。何せ私にはろくに準備するものがない。

「ねぇねぇ、ニンカちゃん」

「なに、プラタ、どしたの?」

「そうやってかがんでると、ニンカちゃん、割と本気でナメクジっぽいねー。そのいつも着てる茶色いローブ、なんかテカってるから雰囲気ある」

「テ……テカっ!?」

 唐突に降りかかる無慈悲な言葉の刃。

 またしても唐突に降りかかる無慈悲な言葉の刃ですよ、これは。

 ナメクジという単語と組み合わさることで、「割と本気で」とか「いつも着てる」あたりの日常の言葉までが、まるで凄まじい罵倒語であるかのように心を抉ってくる。

 微笑んだプラタの顔には邪気の一つも無く、キコは「マジかこいつ」みたいな顔でプラタの方を見ている。そのキコの目を思いっきり涙目にして、口元をきゅっと結んだらたぶん今の私の表情に近いものになるだろう。

「……ねぇ、キコ」

 私はテーブルに突っ伏して、人差し指で天板をくるくる撫でまわしながら言った。

「……なに」

「ナメクジってなんて鳴くのかなぁ……なめぇーなめぇーとかでいいのかな……」

「知らないよ……」

「あ、それいいね。なめぇーなめぇー、かわいい」

 楽しそうにナメクジの鳴き声(仮)を真似るプラタ。

 彼女に悪意は全くない。ただし私をして唖然あぜんとさせるほどの天然故に、時に我々に牙をむくことがある。つまり彼女は自然なのだ。大自然なのだ。

「ニンカ」

「……なに?」

「あのさ、一応私は知ってるからね? そのローブ、布を二重にしてて、外側はろうを練りこんだ糸で織ってあって、結構な高級品だってこと」

「うん、……ありがと」

 このローブは私の持っている数少ない高価な衣装の一つで、撥水はっすいするのにごわごわせず柔らかく着られるすぐれものである。

 キコの言う通りかなりの高級品で、テカって見えるのは機能性の証なのだ。

「でもその茶色地に焦げ茶の細かい文様は、言われてみるとなんかそう見えてくるよね」

「……今さっきのありがと返して」

 上げて下げるのはとても悪質な行為です。

「いや、だってさ、そうやって机に伏せってるともうそれにしか見えないし」

「うっ……」

 なんと。

 私は気付いてしまった。キコやプラタは色々と言うが、それはこのローブの意匠いしょうが悪いのではなかった。私のこの惰弱だじゃくで軟弱で脆弱ぜいじゃくな態度が、このお高いローブをしてナメクジ呼ばわりされるような境遇におとしめていたのだ。

 私はすっと息を吸い込んで一つ深呼吸をする。それからおもむろに「なめぇーっ」と一声鳴きながら身を起こして、握りしめた銀貨をテーブルに叩きつけた。

「はい、はい、じゃあ依頼の話ね! これは前金! 二人で必要なものを揃えてね。で、聞いてたと思うけど、明日の朝は郵便馬車だから!」

 キコは勢いに圧されたように「お……、う、うん」と控えめな返事をして、プラタは嬉しそうに「なめぇーっ」と唱和する。

「ところで、ドンフアン集落に行く馬車って南門の広場でいいの?」

「……ドーフィット集落ね。郵便馬車なら南門からじゃない? 乗ったことないけど。むしろそんなとこまで馬車通ってるんだって今さっき知ったとこだけど。というか出発が一番鐘の時間でしょ? どうせニンカ起きないじゃん」

「ニンカちゃんはいつも通り、お休み前に荷物を包んで机の上に置いといてねー」

「いやいや、待ってよ。まだ起きられないって決まったわけじゃないよ」

 なんだかあまりに自然にダメ人間扱いされているので異議申し立てを行う。

「えっ、起きるの?」

「うぇっ? いや、そう言われるとその……可能性は0じゃない、かと」

 プラタが素で驚いたような声を上げるので、瞬時に日和ひよる私。「ニンカが起きるって言ってたから迎えにいきませんでした」という事態になるとそれは怖いし、さっきのは言ってみただけで、別段私は早起きのために何か努力するような気はさらさらない。私はゴブリン退治も嫌いだが、早起きも負けず劣らず嫌いだ。

「起きる気の方が0じゃん」

「まぁ……1か0かと言われると、0の方に近い感じはあるかなー……?」

「はいはい、わかったわかった。とりあえず、プラタはニンカをお願い」

「任せて」

 プラタがぐっと握りこぶしをつくる。

「はい、お願いされます……」

「ニンカちゃん、小さくて軽いから全然問題ないよー」

 握ったこぶしをこっちに向けて、にこっと笑顔を見せる。眩しい。そしてプラタの中で私はどうやら担いで運ばれる荷物のような存在になっているらしいのが少しだけ悲しい。

「あとは、この前金だけど」

 キコがテーブルの上の小銀貨をつまんで見せる。

「プラタは何か必要なものある?」

「無いよー」

「だよね。今までゴブリン退治で何か使った記憶無いし。じゃあこれは明日のちょっと贅沢なご飯を買って、お釣りは分配で」

「異議なーし」

「同じく」

 プラタの声に合わせて私も頷く。

「じゃ、悪いけど買い物もプラタ、お願いね」

 キコが銀貨をテーブルの上で滑らせる。プラタは「はいはーい」と言いながら1枚ずつ丁寧に財布にしまっていく。

 人当たりが良くて誰にでも親切なプラタは市場の人気者なので、私などが買い出しに行くより圧倒的に効率が良い。特に店番がじいさんやおじさんの店では効果絶大で、欲しいものを一つ買うとその3倍、4倍のおまけがついてくるなんてこともざらだ。よってこういう買い出しは自然とプラタの役目になる。なお、プラタに言わせると「いやいや、ニンカちゃんも人気者だよ。大人気だよー」ということなのだけれど、私の人気はどちらかというと珍獣を見るような感じなのでプラタのものとは明らかに質が違うし、そもそも市場は一見いちげんさんお断りっぽい店が多すぎて一人だと怖くて買い物ができない。

「二人とも、これが食べたい、飲みたいってものはある?」

 布の財布をぽんぽんと叩きながら、プラタが私とキコの顔を交互に見る。

「はい、はい、はい、はい、ある、ある、ある。銀鱗亭ぎんりんていで今売ってる葡萄酒。新樽の方って言えば出てくるヤツ。水で割らないでね!」

 即答する私。付き合い切れないとばかりに首を振るキコ。

「私はリーフベリー水。あと、カリックさんとこの砂糖豆菓子。なんでもいいからチーズ。蜂蜜を少々」

 私はお酒には妥協しない質で、一方のキコは甘党。お酒はほとんど飲まないし、飲んでも蜂蜜酒の炭酸水割りくらい。

「割らないの、身体によくないと思うけどなー。まあいっか。キコはパンとか要らない? ニンカちゃん食べ物は?」

「うー……、美味しい燻製肉ベーコンとゆで卵、ピクルス……それと、燻製肉に合うチーズと……ちょっと硬めのパン」

「ニンカのそれ、つまりサンドウィッチじゃん。私は白パン」

 言われてみるとサンドウィッチだ。

「プラタ、美味しいサンドウィッチの店ある? なんかおすすめがあったら、そこで。葡萄酒と合いそうなので」

「んー。お肉ならケイバーさんのとこかなぁ。腸詰肉ソーセージのサンドウィッチとかでもいいよね?」

「いい、いい」

 こくこく頷く。見ると横でキコも頷いている。お肉ならケイバーさんというのはどうやら共通認識らしい。

「はーい決定。じゃあ、売り切れちゃってたりすると悲しいし、この後すぐ買ってくるねー」

「私も道具の点検しないと。罠も見回って来なきゃいけないし」

 プラタがすくっと立ち上がると、キコも伸びをしながらそれに倣う。

 どうやらこれから出発まで暇なのは私だけらしい。――否、暇ということは無い。ただすることが別段ないだけで。

「えっ、じゃあ、じゃあ私は……ニンカ・キルヴェス、これより市街の警邏けいら活動を行います!」

 ピシッと直立して宣言する私。

「それギルドの仕事じゃないでしょ。ニンカはとりあえず早く寝なときなよ」

「お散歩ってことだよねー」

「はい……、お散歩してから早く寝ます……」

 そういうことになった。

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