三話

「ぼったくりだ。あの占い師、二万四千ディナもぼったくったんだ!」


 僕は悔しさを前面に出して、目の前のオグバーンに叫んだ。


「ああ、占いに行ったのか。そう言えばこの間、休んでたな」


 オグバーンはのんきにコップの酒を飲んでいる。


「オグバーンの教えてくれた占い師に聞いたんだ。呪いを解く方法はあるかって。最初は呪いを信じもしなかったのに、僕が帰ろうとすると急に態度を変えて、いきなりだよ、自分が呪いを解くって言ってきたんだ。今考えればかなり怪しいってわかるのに――オグバーン、聞いてる?」


「うんうん、聞いてるって」


 頬杖をつきながらオグバーンは僕を見ている。それを確認し、話を続ける。


「でさ、よくわからない儀式めいたことをされて、二万四千ディナだよ。さすがに納得がいかなかったから聞いたんだ。そうしたら内訳を示されて、特殊なことをしたからこの額だって言うんだよ。呪いを解いてもらったのに払わないわけにもいかないから、僕は渋々払ったんだ。なのにだ!」


 思い出しただけで、むかむかしてくる!


「まあまあ、落ち着いて話せよ」


 オグバーンは苦笑いを見せながら僕をなだめた。


「……うん、ごめん。少し落ち着こう。――それでさ、問題はその帰りなんだ。遠くに馬車が見えたから、僕は道の脇に避けたんだよ。それなのになぜか馬が僕に向かって突っ込んできたんだ。ひかれると思って慌てて横に飛びのいて、どうにかひかれずに済んだんだけど、飛び込んだ先で動物の糞がべったり付いてさ……これ、どう思う?」


「……え? 糞が付いたことをか?」


「それだけじゃなくて、馬にひかれそうになったこともだ」


 オグバーンは考える素振りをしているが、その口元は完全に笑いをこらえている。


「僕は真面目に聞いてるのに、何で笑うんだよ」


 ばれたとわかって、オグバーンは笑顔を浮かべた。


「悪い。でもそんなことは、生きてれば何度かある不運な出来事だろ」


「僕はそうは思えない」


 するとオグバーンは酒のコップを僕に勧めてきた。


「ほら飲めよ。金がないならおごってやるから」


 勧められた酒を僕は仕方なく一口飲んだ。うまい。その間にオグバーンは酒のつまみを注文する。


「……馬も糞も、呪いのせいだってお前は言いたいんだろ?」


「そうとしか考えられない。ちゃんと避けたのに、馬は僕を狙ったように向かってきたんだ。普段ならあり得ないよ」


「単なる、手綱さばきの間違いだろ。あり得ることだ」


「でも、そんな危険な目に遭った直後に、またひどい目に遭うことなんて、滅多にないよ」


「ひどい目ったって、糞をつぶしただけだろ? 街中じゃ糞なんて至る所に転がってるよ。そんなことも呪いのせいだってんなら、お前にかかってるらしい呪いは大したもんじゃねえな。安心していいんじゃねえか」


 オグバーンはあまり真剣に取り合ってくれていない。馬にひかれそうになったっていうのに。呪いは絶対に続いているとしか思えない。解こうとして大金を払ったのが馬鹿みたいだ。あの時の僕自身に助言できるなら、パン屋で空腹を満たせとでも言ってやりたいよ。


「おつまみ、どうぞ」


 注文したつまみが来た。いつもの女性店員がそれを机に置く。


「ありがと。……何か、綺麗になった?」


 オグバーンが話しかけた。すると女性店員は少しはにかむ。


「ふふ、今幸せだから」


「男か」


 これに女性店員は小さくうなずいて、恥ずかしそうに戻っていった。それを目で追うオグバーンは、どこか残念そうにも見えた。


「……彼女のこと、狙ってたのか?」


「ほんの少しだけな。向こうは俺っちのこと、まったく興味なさそうだったから、無理っぽいとは思ってたけど」


 ふーん、オグバーンはああいう可愛らしい子が好きなのか。初めて知った。そう言えばオグバーンとは女関係の話なんてほとんどしたことなかったな。


「お前はどうなんだ。気になる女くらい、いるんだろ?」


「うん、いるよ」


 答えるとオグバーンは急に身を乗り出してきた。


「誰だ? 俺も知ってる女か?」


「知らないよ。同郷の子だから」


「同郷? じゃあ長年想い続けてるってわけか」


「いや、付き合い始めてまだ二年くらいだよ」


 僕を見るオグバーンの目が見開いた。


「……ちょっと待て。お前、彼女がいんのか?」


「うん」


 オグバーンは椅子に座り直す。


「確か前に、女より仕事が大事だ、みたいなこと言ってたよな?」


「ああ、それは嘘じゃないよ。仕事優先で、こっちに来てからはまだ数回しか会ってないし――」


「違う! 俺っちが言いてえのは、何で彼女がいることを教えなかったんだよ」


 かなり険しい表情で詰め寄ってくる。怒ってるのか?


「だって、あえて言うことでもないし、今までこういう話題になったこともないから……」


 彼女がいることを自分から言ったところで、ただの自慢かのろけにしか思われないだろう。だから、秘密にしていたとかそういうつもりじゃないんだけど……。


「悲しいな。俺っちはお前を、大事な友人だと思ってたのに」


 わざとらしく溜息を吐いたオグバーンは遠い目を見せる。


「何か、ごめん。言ったほうがよかったんだな」


「詫びの代わりに、その彼女との慣れ染め、聞かせろ」


 つまみの木の実を口に運びながら、オグバーンは片眉を上げてにやりと笑った。彼は意外に女性の好むような話題が好きなのかもしれない。占い師のことも知ってたし。


「付き合いは軍に入る前からか?」


「うん。彼女――アーシャ・ルーミーっていうんだけど、僕の一つ下で、田舎では断トツで頭がいい子だったんだ。その頃僕は軍に入るために猛勉強してて、難しいところは何でも知ってるアーシャに聞きながら勉強してたんだ。その内、お互いに気持ちが生まれて、付き合うことになった」


「お前が告白したのか?」


「そうだけど」


「案外、やるときゃやる男だったんだなあ」


 なぜかオグバーンは感心している。僕はどんな男だと思われているんだ?


「で、お前は入隊が決まって、彼女はどうしてるんだ?」


「僕の合格が決まったのと同時期に、アーシャの大学入学も決まって、二人揃ってここへ来たんだ」


「へえ、そりゃ運がよかったな。離れずに済んだわけか」


「でも、頻繁にはなかなか会えないよ。僕が仕事優先にしたってこともあるけど、アーシャも勉強が乗ってるみたいで、休みが上手く重なった日じゃないと約束が取れなくて」


「そりゃ厳しいな。彼女、がり勉なのか?」


「違う、って否定したいところだけど、そうかもしれない。前のデートでは教科書持ってきてたし」


 不思議に思って、何で持ってきたのか聞いたら、読みたくなると困るからと返してきた。デートより、勉学のが今は楽しいんだなと思うしかなかった。一瞬ではあるけど、あの時のむなしさは忘れられない。


「何をそんなに勉強してんだ? 彼女」


「えっと、確か前に言ってたな……そうだ。伝説とか神話に関することを学んでるって言ってた」


「もっと現実的なことかと思ったら、そうじゃないのか。そういうところはお前と同じかもな」


「同じって、何が?」


「ありもしないものに夢中になるところだよ。伝説も神話も、大昔の人間が作り出したものがほとんどだ。一方のお前は、かけられたと言い張る呪いにメロメロ状態だ」


「僕は呪いに苦しめられてるんだ! ちゃかさないでくれ」


 真剣に悩んでるっていうのに……友人でもさすがに怒るぞ。


 すると、オグバーンは何か閃いた素振りで僕を見た。


「……そうだよ。呪いだってそもそもは大昔の人間が考えた呪術だ。伝説や神話にも出てくるだろ?」


「それが何だって言うんだよ」


「お前の彼女なら知ってるはずだ。伝説神話を通して呪いとはどういうものか、もしくは、呪いはどうやって消えるのかをさ」


 灯台下暗し――そんな言葉が浮かんだ。知識を持つ人間がこんな身近にいたなんて。どうして僕は気付かなかった?


 僕は思わずオグバーンの両肩を掴み、揺さぶった。


「すごい、すごいよオグバーン! 妙案だよ。君の論理的な考え方が僕を救うんだ」


「おい、座れ。そんなに興奮するなって。まだ彼女に聞いたわけでも――」


「こうなったらすぐに連絡取らなきゃな。多少無理してもらっても時間を空けてもらって、それから……」


 僕は頭の中で着々と段取りをつけた。……ああ、ぐずぐずしている暇はない!


「はやるなよ。おごりなんだ、一杯飲んでから――」


「オグバーン、今日はありがとう。本当に助かったよ」


「助かったって、まだ彼女が知ってんのかどうかは――」


「アーシャと約束しないといけないから、僕はもう帰るよ。それじゃあ」


 酒場を出る時に後ろからオグバーンの声が聞こえたけど、構っていられない。僕の頭はアーシャのことでいっぱいだった。今度こそ、本当の希望の光が見えてきた。博識なアーシャなら、呪いのことだって絶対に知っているはずだ。これは期待できるぞ。アーシャの家に向かって夜道を歩く足が、今にもスキップになりそうなくらい、僕の心は踊っていた。もう呪いなんて解けたも同然のような気持ちだった。

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