第33話 お土産と居候

次の日、優子はまだしっかりと歩けない明生クンのために会社を休んだ。

これから明生クンの学校の手続きとか、その他諸々の用事があるため、優子は3日間の有給休暇を取っている。


もちろん私は普通に出社。

あけぼの飲料の仕事がピークを過ぎたので、今日からはまた定時に帰宅できそうだ。

あ、そうだ、村上ペイントの雑誌広告、入稿締め切りって今週だっけ?来週だっけ?

ヤバ・・・

私はちょっと焦りながらエクセルを立ち上げ、スケジュールを確認していると・・・


「坂口さん、お久しぶりです!最近いかがですか?聞いてますよ~、あけぼの飲料さんの広告、かなり評判イイいみたいじゃないですか!」


ビクっとした。

私の後ろに立っている男性の声の主は、相沢亮太だ!

心臓がバクバクする。脇の辺りにじわっと汗が浮き出る感覚。

いや、大丈夫だ。落ち着け私。

相沢は私がこの一連の出来事を知っていると言う事を知らないはずだ。


「あ、相沢さん、お久しぶりです~、今日はどうしたんですか?」


「いえ、ちょっと近くまで来たもんですから、営業部の方々に挨拶していこうかなって思いまして。最近ご無沙汰してましたし」


「そうですか~、桃栗出版さん、最近景気いいみたいですね、また新しいファッション誌を創刊したらしいじゃないですか」


「いやぁ、景気イイなんて、そんなこと無いですよ~・・・」


その時、相沢の携帯の呼び出し音が鳴った。


「あ、坂口さん、ちょっとすみません・・・」


相沢はスーツの内ポケットから携帯を取り出すと、そそくさと部屋を出て行った。

あいつ、私が何も知らないと思って平気な顔してやがる。

優子にあんな事させておいて、のうのうとウチの会社に来やがって。

何が『近くに来たから挨拶に来た』だよ、絶対に優子や私の様子を見に来たに違いない。


私は席を立ってこっそりと相沢の後を追った。

部屋を出た廊下の端で、相沢は壁にもたれながら携帯で誰かと話している。


相沢に気付かれないよう、物音を立てないようにそーっと歩き、私は廊下に置いてある自販機の陰に隠れた。

ヤツとの距離は約2m。ここからだったら携帯で話している相沢の声がハッキリと聞こえる。


「はあ?何でだよ!何で急に居なくなったんだよ、そんなワケねぇだろ!病院のどこかに隠れてんじゃねぇのかよ!・・・・・じゃあよ、監視カメラの映像、録画してあんだろ?それ確認すれば分かるだろうが!え?誰も映ってない?んなワケねぇだろ!ちゃんと確認しろよ!子供が居なくなったらヤベぇだろ!ったくよう、どいつもこいつも使えねえヤツばっかだな・・・わーったよ!今からそっちに行くからよ!」


相沢は慌てた様子で階段を駆け下りて行った。

ざまぁ見ろ!

もうお前の好き勝手にはさせないからな。絶対に白状させてやる。

そして優子をあんな目に遭わせた事や私を殺そうとした事を、心底後悔させてやる。




仕事を終えてタイムカードを押し、会社を出る。

今日は定時退社だ。

もうすっかり慣れてしまった用賀駅からマンションまでの道のり。

私のボロアパートがある荻窪も結構好きだけど、この多摩川沿いの街並みの雰囲気は気に入っている。

桜の咲く四月はもっと綺麗なんだろうな。


「ただいまー」


玄関のドアを開けると、ゴツイ靴と男物のスニーカーが置いてある。

この靴は岡島激斗だな。

また美咲ちゃんに会いに来たんだろう。マメだなあ。

そしてその横にあるこのスニーカーは・・・


あ、山下新之助のだ!


そうだ!今日って山下新之助がタイから帰って来る日じゃん!

すっかり忘れてた!


リビングには山下新之助がタイから持って来たお土産が部屋中に散乱していた。

こんなに買って来たの?ちょっと多すぎない?


「山下さん、お帰りなさい!どうでした?タイは」


「あ~、坂口さん、ただいまです!タイは暑かったですよ~、でも楽しかったです」


珍之助と岡島激斗は、お土産のムエタイボクサーパンツを穿いて格闘技ごっこをしている。

その横で美咲ちゃんが何やら怪しげなスナック菓子をボリボリ食べながら、タイ文字がプリントされた派手なTシャツを来て寝転んでいる。


「坂口さんのお土産は、これです・・・えっと、何買っていいか分かんなくて・・・大したモノじゃないんですけど」


山下新之助が平べったい箱を私に差し出した。

何だろう?

箱を開けると、中には綺麗な光沢のある青い生地の服が丁寧に畳んで入っていた。

それを箱から出して広げると、上品なタイシルクのワンピースだ。

うわあ!メッチャきれいやん!メッチャ高そう(ここ重要)やん!

マジで嬉しいぞ!


「気に入ってもらえるかどうか不安だったんですが・・・」


「いえいえいえ、すごく気に入りました!それにこの色キレイ・・・こんな高そうなお土産、貰っちゃっていいんですか?」


「いや~、高そうに見えますけど、実はそんなに高くないんですよ~、だから気にしないでください、あははは」


「あっ、りんこー!それなにー?りんこの服~?」


さっそく美咲ちゃんが、興味津々と言った様子で見に来た。


「この服、キラキラしててキレイだねー、りんこー、着てみてー!着てみてー!」


「えっ!?今着替えるの?いや、後でね、後で着てみるよ」


「え~~、りんこがその服着てるの、見たいよー、今見たい」


「あー、坂口さん、僕も見たいですー!」 「サイズどうですかね?たぶん大丈夫だと思うんですけど、確認してみません?」


岡島激斗と山下新之助も、なぜか私にこの服を着せたがる。

珍之助は相変わらずボーっと突っ立っている。


「は、はぁ・・・じゃあちょっと着替えてきます・・・」


仕方ないので、私は美咲ちゃんの部屋でお土産のワンピースを着てみた。

タイシルクって肌触りが良くてツヤツヤしてる。それに本当にキレイな色だなあ。


確かにサイズはぴったり、いやちょっとキツめか?

ワンピースだけど、割と身体にフィットしていて丈が短い。

両側に深めのスリットが入っているから、下手したらパンツが見えそうだ・・・

ノースリーブで胸元が深いV字にデザインされている。これって・・・結構セクシー系のヤツか?

いや、違う、セクシー系じゃなくって、サイズが小さいんだ!タグにはMって書いてあるけど、実際には日本のSサイズか、それより若干小さめかもしれない。

私は体型がスリムだから難なく入っちゃったけど・・・

まあ、邪魔になる突起もねぇからな。うるさい、ほっとけ。


「あの・・・着替えてみましたけど」


何か妙に照れ臭い。つーか、恥ずかしい。

私は動きやすい恰好が好きなので、普段は割とダボっとした服を着ている。

こんな感じの服は滅多に着ないのだ。


「おお~!」

「りんこー、キレイだねー!」

「坂口さん、似合ってますよ!」


「そ、そうですか・・・あははは」


恥ずかしい。

やっぱり一刻も早く着替えたい。


「りんこー、美咲もその服着てみたいー!」


「美咲ちゃん、この服着たいの?」


「うん!美咲も着たいー!」


よっしゃあ!

これで今すぐ着替える理由が出来たぞ!

美咲ちゃん、ナイスアシストだ!


美咲ちゃんの部屋に戻り、美咲ちゃんにワンピースを着せてあげる。

だが・・・スリムな私と違い、美咲ちゃんは普通体型(決してデブではない)。

結構パッツンパッツンなのだ。

特に胸が。

美咲ちゃんのおっぱいをグリグリ押し込んでボタンを留めたが・・・

これじゃまるでボディコンじゃんか!

ユーロビートでも流した日にゃ、お立ち台で扇子持って踊り出しそうだ(古いか)

それになんか・・・エロいよ。

美咲ちゃん、アンタ、まるでキャバクラのキャストみたいだよ。

つーかさ、いっそキャバクラで働くってのはどうだ?

キミだったら入店即ナンバーワン確定だぞ!


山下新之助はともかく、これを岡島激斗と珍之助に見せていいのだろうか?

珍之助は鼻血を流すわ、岡島激斗は中二病を発症するわで部屋の中がカオスになったりして。

まあいいか。

岡島激斗にも世話になったし、山下新之助にはこんなお土産もらっちゃったし、サービスタイムだ!

って、私じゃないけどな。美咲ちゃんだけどな。


「さあ!飢えた男性陣の皆さん、本日のメインイベント、美咲嬢の登場です!美咲ちゃ~ん、こっち来て~」


私が呼ぶと美咲ちゃんがリビングへ入って来た。


「おお~!」


ニコニコしながらスマホで写真を撮る山下新之助。

その横で殺気立った目つきでスマホで写真を撮る岡島激斗。

そしてその後ろには、口を半開きにして呆けたような顔で美咲ちゃんを眺めている珍之助。


美咲ちゃんはまったく恥ずかしがりもせずにクルクル回ったり、手を振ったりしている。

アイドルの撮影会かよ・・・

でもいいなぁ、若いって。

アタシもあと10歳若くて、胸があれくらいあって、愛嬌があって、可愛くて美人だったら・・・つーか、そりゃ別人か。空しくなってきた。もう考えるの止めよう。


何だか良く分からない撮影会が終わり、その後は皆で食事をした。

食事中は山下新之助のタイの土産話に終始し、山下新之助の留守中に起きた優子に関わる件については、私は敢えて話さなかった。

何となくこの楽しい雰囲気にそぐわない様な気がしたのだ。

岡島激斗も何となく察してくれたようで、優子の子供を病院から連れ出した事は黙っていてくれた。ありがとう、岡島さん。

でも後でこの件も山下新之助にちゃんと話しておいた方がいいんだろうな。


岡島激斗が帰った後、お風呂に入ってからリビングのソファーに座ってスマホを弄っていると、山下新之助が缶ビールを持ってやって来た。


「坂口さん、ちょっと飲みません?」


「あ、いいですね、いただきます!」


そう言えばお酒を飲むのって久しぶりだ。前回は山下新之助とここでワインを飲んだ時だから・・・もう一ヶ月以上飲んでない。

マジかよ。

珍之助が来る前は、毎晩のようにストロング酎ハイを2本とか飲んでたのに。

あのままあんな生活を続けていたら、今頃はアル中になっていたかもしれない。


「あの、山下さん、さっきは雰囲気的に話しづらくて言わなかったんですけど、山下さんの留守中にちょっと色々ありまして・・・」


「え?何ですか?何かあったんですか?」


私は岡島激斗と珍之助が試合をした時の事(これはちょっと面白おかしく話した)や優子の事(相沢の件や私が殺されかけた事)、優子の子供を岡島激斗に手伝ってもらって、病院から連れ出した事を話した。


「そうなんですか・・・僕が居ない間に大変な事が起きてたんですね。それにしても、坂口さん大丈夫ですか?マジで殺されるトコだったんですよね?」


「はい、でももう大丈夫ですよ。優子の子供も病気が治って戻って来たし。まだちょっと怖いですけどね、あははは」


「その相沢って人、珍之助君や美咲に関する事で、僕たちがまだ知らない事を知ってるんじゃないですかね?」


「うん、私もそんな気がするんですよ、だってメルティーにちょっと探りを入れるといつも「まだその事は話せないから」とか言ってはぐらかすんですよ、いつも。だから私達だけが知らない事が絶対にあると思うんですよね」


「そうですよね・・・となるとその相沢って人に聞くしかないのか・・・」


そう、相沢亮太に聞くしかない。でもどうやって?

普通に訪ねて「お話を伺いたいんですけど~」って言ったって話すはずがない、と言うか、私が殺されかねない。

となると、圧倒的にこちらが有利な状況に持ち込んで無理やり話させる他無いだろう。

って、どうする?

こちらが圧倒的に有利な状況って・・・

誰にも見つからない場所で、私と珍之助、そして相沢だけで居られる場所。そして相沢が簡単に逃げられない場所・・・

ムリだよねぇ、そんな状況に簡単に持ち込めるワケないよねぇ。


そんな事をボーっと考えていたら、ふいに大事な事を思い出した。

私と珍之助がこの部屋に居るのは山下新之助がタイから帰って来るまでと言う話だった。

山下新之助が帰って来たから、私達は早々に荻窪のアパートに帰らなければならないのだ。


「あの、山下さん、私と珍之助は今週の土日にでも帰りますので、それまで居候させてもらっていいでしょうか?」


「あ、その件ですけど、僕からも坂口さんに頼みたい事がありまして・・・」


「え?何ですか?」


「タイから帰って来た早々、またこんな事お願いするのは申し訳ないんですけど、実は映画の撮影で沖縄に行く事になりまして・・・」


「はあ・・・」


「本当は来年の2月から撮影の予定だったんですけど、クランクインが早まって来月からになっちゃったんです。それで、その撮影ってのが二か月くらい掛かるかもしれないんですよ。そうなると、また美咲がここで独りになっちゃうんですよね。なので・・・来月までもう半月くらいしかないし、このまま撮影が終わるまで坂口さんと珍之助君にここに居てもらえたらありがたいんですが・・・ダメでしょうか?」


うわー!

まだココに居ていいの?マジで居ていいんかっ!?

あたしゃ全然構わない。つーか、居させてくれ!

でも、あからさまに喜んだら、何かこう、「棚ボタに喜ぶ貧乏人」みたいに思われそうでイヤだなあ。


「えっ!?そうなんですか?私は帰った方がいいと思って少しづつ準備していたんですけど(本当はまったく、何も、全然準備なんかしていない)・・・でも美咲ちゃんがここで独りぼっちになるのは問題ですよね・・・でも、本当にいいんですか?私と珍之助がこのまま転がり込んだままで」


「ぜんっぜん構いません!むしろ僕の方が坂口さんに申し訳なくて・・・いつも無理ばかり言ってすいません。それに美咲の事も色々お願いしっぱなしで・・・本当に感謝してます。坂口さんには頭が上がらないです」


「いえいえいえ、私なんかどこに住んでも問題無いんで・・・」


やったぁ!

まだこの豪華マンションに居られるなんて、超サイコーかよ!

あんな荻窪のボロアパート、何の未練も無いよ!わはは。

いやぁ、マジ嬉しい!

今ここで裸踊りを踊れって言われたら、何の躊躇もなくスッポンポンで踊れそうだ。それくらい嬉しいぞ!


「坂口さん、あの、話は戻るんですけど、さっきの相沢って人の話、坂口さんは何か考えがあるんですか?」


「え・・・そうですね・・・」


相沢亮太から真相を聞き出す手立てなんて、まるっきり分からない。

病院で人質みたいに入院させられていた明生クンの問題が解決したとは言え、具体的にこれからどうすれば良いのか・・・考えるたびに途方に暮れる。


「正直言って、具体的にどうしたらいいか分からなくて・・・ずっと考えてるんですけど」


「ですよね・・・僕も今はいいアイデアが浮かばないんです。僕ももっと色々考えてみますんで、坂口さんも一人で悩まないでください。一緒に考えましょう」


「はい・・・でも、山下さん、何でそんなにこの件について親身になってくれるんですか?」


「坂口さんや珍之助君に関わる事だったら、絶対に美咲にも関係しますよね?だったらそれは僕にとって当然の事ですよ。それに前にも言ったじゃないですか、僕たち四人は運命共同体だって!」


今日、会った時から感じていたけど、山下さん、なんだかテンション高くないか?

まあ久々に美咲ちゃんに会えて嬉しいのかもしれないけれど、何かこう、グイグイ来るって言うか・・・

山下さん、タイで何かあったんか?

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