第2話 嫉妬と自己嫌悪

「えー、それではこの辺でミーティング終了にしたいと思いますが、確認しておきたい事や質問などある方、いらっしゃいますか?」


ここは中目黒の、とある大手広告代理店の会議室。

私は今手掛けている飲料水メーカーの雑誌広告で使用する写真の撮影に関するミーティングに出席していた。

出席者は、ウチの会社から営業の私とデザイナーの岡田優子、そして元請けの大手広告代理店から営業の男性が二名。クライアントの飲料水メーカーの担当者が二名、そして今回の広告モデルの若手俳優、山下新之助とそのマネージャーだ。

山下新之助は、主演したTVドラマが大ヒットして近頃一気に人気が出た俳優だ。元々はアイドルグループの一員だったが、人懐っこい笑顔と演技の上手さで現在はCMやドラマに引っ張りだこの状態だ。性格も良いらしく、業界内でも評判がいいらしい。


「あのー、このユニフォーム編の4カット目なんですけど、これはカメラ目線ですか?それとも商品を見つめる感じの方がいいですか?」


山下新之助が私の方を見ながら穏やかな口調で質問する。ああ、イケメンだ・・・


「そうですね、普段着編では山下さんのキャラが立つように撮りますので、ユニフォーム編は商品目線でお願いします」


私は緊張を隠しながら精一杯の作り笑顔で山下の質問に答える。


「あ、そうですね、普段着編は僕メインですもんね、分かりました、ありがとう」


山下新之助が私の目を見てニコッと微笑んだ。

クゥ~~、ヤバイ!あの目、あの笑顔。仕事の場とは言え、さっきのあの笑顔は私だけに向けられたモノなのね!

あの山下新之助の笑顔を独り占め!0.2秒くらいだけど。

幸せ過ぎてイスから転げ落ちそうだ・・・・・


「それじゃあ撮影当日のスケジュールを確認しますね、坂口さん、簡単でオッケーなので、もう一度当日の予定を話してもらえる?」


「はい。まずスタジオは円山町のハイエイトスタジオですね。私とデザイナーの岡田、カメラマンさんは12時までにスタジオ入りして準備をしています。そして山下さんの入りが13時ですねー。スタリストさんとヘアメイクさんも13時入りの予定です。撮影は14時半からで、普段着編から撮影します。カット数は15カットの予定です。その後休憩と着替えを挟んで16時半からユニフォーム編の撮影をします。こちらは10カットですねー。終了時間は18時を予定してますが、かなり余裕を見ていますのでもう少し早く終わるかと思います。こちら、当日のスケジュールは今日中に皆さん全員にメールしておきますね。何かご不明な点などございましたら私までメールいただければと思います。あ、それからスタジオ前の道路が工事中で渋滞しますので、お手数ですが当日はお時間に余裕を持って集合していただけると助かります。私からは以上です」


「坂口さん、ありがとう。いやさ、いきなり柿本エージェンシーさんの担当営業が変わるって言われて焦ったけど、坂口さんで良かったよ!メールの返信も早いしさ、前に担当してくれてた佐々木さん以上にバッチリやってくれるもんなぁ。ホント、助かるよ!」


元請けの大手広告代理店の営業部長に褒められた。


「いえ、そんな・・・私なんかまだ全然半人前ですよーうふふ」


一応遠慮がちな笑みを浮かべてやんわりと否定するワタシ。

自分で言うのもナンだが、これでも私はわりと外面が良い(はずだ)

恐らく仕事をテキパキやる、まあまあキレる広告代理店の営業ウーマンとして見られているのではないか(と思う)


ドラッグストアで買った激安コスメとオークションサイトで落札した中古服に身を包み、毎晩汚部屋でコンビニ弁当をわっしわっしと食いながら缶酎ハイを飲んで、寝落ちするまで座椅子に座ってゲームをしている私の本当の姿など、この場に居る誰一人として想像できますまい!うははははは!



ミーティングが終わり、私とデザイナーの岡田は国道沿いを地下鉄の駅に向かって歩いていた。

時刻は11時20分。そろそろ昼飯の時間だ。少々小腹がすいてきた。


「優子、どうする?このまま会社に戻る?それともどこかでお昼食べてく?」


「そうだねー、この辺でテキトーに食べよっか?」


デザイナーの岡田優子は私よりもひとつ年上。入社も1年早いので先輩なのだが、私はタメ口で話している。

私にとって優子は会社内で唯一の何でも話せる仲の良い同僚で、プライベートでも一緒に遊びに行く事が多い。

彼女はとてもおっとりとしていて優しい性格で、男勝りな私とはまるで正反対だ。

外見も清楚でフワッとしていて、男性社員からの人気もすこぶる高い。

でも彼女ももう28歳。優子もなぜかずっと彼氏がいない。

お互い三十路間近の独身OL、たまに二人で飲みに行っては愚痴を言い合う仲だ。


「凛子ちゃん、ここなんてどうかな?」


優子が立ち止まった店はどう見ても繁盛しているとは言い難い趣であり、看板には


『ミャンマー料理 ンガピバズンチン』


と書いてある。

初めてだよ、”ン”から始まる店名の店・・・


「優子、ミャンマー料理ってさ、あんた食べた事あんの?」

「無いよー」

「え~~、何かヤバそうじゃない?」

「大丈夫だよー、面白そうじゃん、入ってみようよー」


私達は恐る恐る店のドアを開け、店内に入った。

店内は4人掛けのテーブルが4つと4席ほどの小さなカウンターが奥に設えてある。

狭い店内の壁には見た事も聞いたことも無い料理の名前を書いた紙が貼られているが、どれも絶望的に汚い文字で、ものによってはカタカナなのかひらがななのか、あるいは日本語以外の文字なのかさえ判別できない。


「アシャーッセー」


入り口近くの席に座ると、ブスっとした表情のおばさんが私達の席にメニューを置いて行った。

メニューを見るとこれまたなんだか分からない料理の名前ばかり。


「優子、どうする?これじゃ何だか分からないよ」

「そうだねー、どうしよっか・・・あのおばさんに聞いてみよっか?」


そう言うと優子はおばさんに向かって手を振った。

相変わらず不機嫌そうな顔のおばさんが私達のテーブルにやって来た。


「あのぉ、おススメとかありますか?」

優子が尋ねると、おばさんはメニューの一点を指差して言う。


「ブタ」

「え?」

「ブタ」

「えっとぉ、これって豚肉のお料理なんですか?」

「ブタニク」

「え?」

「ブタニク」


「優子、なんかヤバくない?やっぱ出る?出て他の店行く?」


「でもさ、せっかく入ったんだし、今更出てくの悪いよー、ここで食べようよー」


「え~~マジ~・・・?」


「これは?」

「ウシ」

「これは?」

「サカナ」

「これは?」

「イモムシ」


優子とおばさんのこんなやり取りがしばらく続いた。

せっかく久々に中目黒まで来たのに・・・

ちょっとおしゃれなランチを期待してたのに、何なんだよ、このワケ分からんメニュー。

壁に貼ってあるスープみたいな料理の写真なんて、スープの色がグレーだよ、グレー。

グレーのスープなんてこの世に存在するのか?


「凛子ちゃん、あたしコレにするけど、凛子ちゃん何にする?」


「何にする?って言われても・・・じゃあ優子のと同じのでいいよ」


狭くてガラーンとした店内。

昼時だと言うのに私たち以外にお客さんはおらず、入って来る気配も無い。

10分ほどでおばさんが料理を運んできた。

タイ米と思しき細長い白米と、小さな器に盛られたサラダ。シュウマイみたいな揚げ物が3つと、メインのお皿には、げっ!あのグレーのスープ。


「うわー、凛子ちゃん、おいしそうだね!」


え?どこがだよ・・・優子、あんた一応デザイナーでしょ?このビジュアルで食欲湧くんか?このグレーのスープで食欲湧くんか?

その感覚はデザイナーとして絶望的にヤバくないか?


「いただきまーす」

「いただきます・・・」


グレーのスープをスプーンですくい、恐る恐る口に入れてみる。

こってりとしたココナッツオイルの香りと味、そしてナンプラーの塩気と砂糖の甘味、そして・・・強烈な辛味が口の中で暴れ出した。


「うえっ、か、からーい!」


私はコップの水を一気に飲み干した。が、優子は何食わぬ顔で食べている。


「おいしいね、このスープ、あれ?凛子ちゃん辛いの苦手だっけ?」


「いや、優子よくこんな辛いの食べられるね!あたしゃムリムリ」


でももったいないので2,3口・・・と食べていると辛さにも慣れ、なんだか美味しく感じて来る。グレーなのに。


「あのさ、凛子ちゃん、あたしちょっと凛子ちゃんに話しておきたいことがあるんだけど」


「え?なに?どんなこと?」


「あたしね、彼氏できたんだ」

え”~~~~~~っ!

かれすぃ~!?

今なんて言った?

彼氏だとお!

「そ、そう・・・よかったじゃん!どんな人なの?私の知ってる人?会社の人?」


「あのね、桃栗出版の・・・相沢さん」


え”~~~~~~~~~~~~~っ!

桃栗出版のアイザウォワァ~?

マジか!マジのマジかっ!


桃栗出版の相沢さんと言えば、うちの社内の女子で知らぬ者は居ない。

製薬会社の御曹司で、今は社会勉強のために桃栗出版の営業として働いている。

顔良し性格良しで身長は190cm近くあり、学生時代に男性ファッション誌のモデルをやっていたという噂もある、あの相沢かーーーーっ!


「優子すごいじゃん!相沢さんってみんな狙ってるみたいだしさ、もし結婚とかしたら玉の輿じゃん!」


「え~~、結婚なんてまだ考えてないよー・・・付き合い始めたばっかだし」


良かった・・・ホントに良かったね、優子。

アンタはそこそこ美人で性格もいいのに何で彼氏が出来ないのかなって、あたしゃ鼻くそほじりながらずっと心配してたんだよ。

そんなアンタが、それもあの相沢さんとくっついたなんて、あたしゃ、あたしゃ・・・

すっげー悔しい!!


本当に心から『優子やったね!』って喜んであげたかった。

でも、頭の中はすごく動揺していて、グレーのスープの辛さなんて全然感じなくなっていた。



オフィスに戻ると13時を過ぎていた。

これから撮影スケジュールの香盤表を作って関係者にメールして、他のクライアントに見積もりを作って・・・あ、”生き生きお達者倶楽部”の5月号広告、今日入稿なんだった!それから7月号のマルチ広告の企画考えないとなぁ、めんどくせぇなあ。

さっきの優子の話を聞いてから、何だか全然やる気が起きない。

私ってそんなに恋愛に対して飢えてたの?

それとも人の恋路がそんなに羨ましいの?

自分の事ながらイヤな性格だなあ・・・自己嫌悪で何だか落ち込む。


「凛子ちゃーん、今日のそのノースリーブのシャツ、イイねぇ!ちょっとセクシーだしさ、凛子ちゃんに似合ってるじゃん!」


斜め前の席に座っている佐々木がパソコンのモニター越しにこっちを見て声を掛けてきた。


「え?ああ、このシャツ?あはは、そうかな?」


「うん、凛子ちゃんモデル体型だからさ、何着ても似合うよね。でさ、今日仕事終わったら飲みに行かない?明日休みだしさ、今日営業回りしてたら押上の駅前にイイ感じの店が出来てたんだよ、ちょっと行ってみない?」


押上?あたしのアパートと全然逆方向じゃんか。つーか、お前のマンションって押上だろ?そんなアンダーハート丸出しの誘いに乗るかよ!

それにだな、明日休みって事はな、今晩は徹夜でゲームするんだよ、あたしは。


「今日はね、学生時代の友達と飲みに行く約束しちゃっててさ、ゴメーン、この前も誘ってくれたのに。もうちょっと事前に言ってくれれば空けとくよ。優子とかも誘って皆で行こうよ」


「そうか、残念だな。じゃあまた誘うからさ、次はぜひぜひ」


「オッケー」


あーうぜー。

どうせ自分ちの近くの店で飲んで、「この後、俺の部屋で飲み直さない?」とか言って誘うつもりなんでしょ?

わかりやすいなあ。つーか、ヤりたいだけなんでしょ。

でもまぁ、誘われるうちが花・・・か。


今日は本当に仕事に身が入らない。

私は今日中にやらなければならない仕事だけを済まし、定時に会社を出た。


「あーあ、夕飯なに食べよっかなあ・・・」


いつもだったらこの時間はまだ会社に居るはずだ。

久々の定時退社だけど、別に何か用事があるわけでも無いし・・・


「またコンビニ弁当でいいか・・・あ、今日は金曜日だったな、金曜日ってことは美紀がバイトしてる日じゃん。また何か嫌味言われてもイヤだし・・・」


と言うワケで、今日は牛丼だぁぁぁぁ!

こんなモヤモヤする日は、牛丼ぶっこんでスタミナつけてやるぜ!


久々の牛丼屋。

いくらこんな私だって、一人で牛丼屋に入るのはちょっと躊躇する。

が、そんなの知った事か。

食ってやる。わしわし食ってやる!


「ごちゅーもん、おきまりでっかー」

「あの、えーと、牛丼並とたまご・・・」

「どうぞー」


おおー!来た来たぁ!

この匂い!たまらん!

私は玉子を溶いて牛丼に掛け、紅しょうがを山盛りに乗せた丼を持って牛丼を掻き込む。


う、うまい・・・


何て美味なのだ・・・だが・・・

妙な違和感を感じる。何だこの変な感覚。

ふと自分が座っている向かいのカウンターを見ると・・・


あのハゲがこっちを見てニヤニヤしてるじゃねえか!

オレンジのTシャツを着たあの”自称神様”が座ってこっちを上目遣いに見つめてるじゃねえか!


「よっ、凛子」


ヤツは牛皿をつまみにビールを飲みながら、カウンターの上に夕刊フジを広げている。

絵に描いたような痛いオヤジだ。


その時、店員が私の前に味噌汁の入ったお椀を置いた。


「え?、私注文してませんけど・・・」

「これはあちらのお客様からです」


そう言いながら店員が指差したのは向かいに座っているハゲ。


「はぁ?」

私が驚いてヤツを見ると、ヤツはニヤッと笑ってから再び夕刊フジに視線を戻す。


なに考えてんだよ・・・あのクソハゲオヤジ・・・早く食ってここを出よう。


そしてもう一度向かいの席を見ると・・・あれ?ヤツが居ない。

帰ったか?帰ったのか?

私は少しホッとして再び牛丼を食べ始める。

が、その時、私の耳元で囁く声。


「凛子ちゃん、今日は優子ちゃんに先を越されちゃったねぇ。でもさ、心配する事無いよ。もうすぐ僕からの贈り物が届くからね。楽しみに待っててね、はあと」


ななな、何だよー!

キモいキモいキモい!

慌てて横や後ろを確認するが、ハゲの姿はどこにも見当たらない。

私は残りの牛丼を急いで食べ、そそくさと店を出た。

まったく、何て日だ!

早く帰って、今日はもうずーっとゲームをしてやる!

徹夜でゲームしてやる!

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