第2話 水曜日

 10月15日、市内の喫茶店でホシカワさんとのインタビュー当日を迎えた。先方を待たせる訳にはいかないので、予定の13時よりも1時間早く席に着き、アイスコーヒーとたまごサンドのセットを食べながら、資料の確認をして時間を待った。


 学生時代目指していた家具デザイナーと会えるという事もあり、遠足を翌日に控えた子供のようにそわそわしていた。普段はアクセサリーとして身に付けている腕時計も、今だけは時計としての役割を発揮するように時間が気になった。


 予定より10分ほど早く、ホシカワさんは喫茶店に到着した。正確にはホシカワさんであろう人物がお昼時で賑わっていた店内を数秒ほど見渡している。一般企業に勤めているからなのか、個人的な理由があるのか分からないが、インターネットには一枚も顔が分かる写真は掲載されていなかった。私も席を立ち、ここにいるということをアピールした。私を見つけたホシカワさんらしき人物がこちらに気づき、お待たせしましたという気持ちを顔に出しながら向かってきた。


「ローテ出版の田島さんですか?ホシカワです」


 その瞬間、私は彼に吸い込まれていた。実際には1秒ほどだろうが、体感にして五秒は止まっている気がした。漫画はよくある、一目惚れの瞬間に周りの時の流れがスローに見えるあれが実際に起きた気がした。そして、相手から何度か呼ばれて我に返る所までがワンセットになっている。


「あれ、違いましたか?」


ようやく聴力と冷静さを取り戻し、改めて挨拶をする。


「すみません。初めまして、田島弥生やよいです。よろしくお願いします」


 初めての感覚に、戸惑いながらもなんとか形式的な挨拶をする。今まで一目惚れなんて信じていなかった。性格も分からず異性の事を好きになるなどあり得るわけがないと思っていた。だが私は心臓の音が聞こえている感覚になっている。これが一目惚れなの?


「失礼しました。改めまして、よろしくお願いします」


あくまで今は仕事中だという事を自分に言い聞かせるように、脳内の制御室を強引に動かした。以前インタビューの業務を私に振った上司が、質問内容は用意しておくと話していたが、勿論そんなことはなかった。2日前に上司から、あたかも当たり前かのように、用意していない事を告げられた。こんなにも中途半端な仕事をする人が、こんなにも長い年数この会社に居ることが私には不思議で仕方なかった。これが社会というものなのだろうか。


 しかしそんな事は今どうでも良い。むしろこの仕事を私に与えてくれたことに感謝をしたいとまで思っている。




「さっそくですが、家具デザイナーを目指すようになったきっかけを教えてください」


ありきたりだが、まずは定番の質問から始めた。


「私が学生の頃に、アルヴァ・アアルトというデザイナーがデザインしたスツールを知りました。今でも感動したその時の事を覚えています。そこから、自分もこんな家具を生み出したいなと思いました」


スツールとは、化粧台や洗面台などによく置かれる、高さのないシンプルな椅子の事だ。そしてまた、奇遇にも私が卒業論文でテーマにした人物なのである。


「アルヴァ・アアルトのスツール、素晴らしいですよね。実は大学の卒業論文で彼のことを書きました」


「田島さんもインテリアの専攻だったのですね。お話が合いそうです」と驚きの表情を含んだ笑顔で彼は言う。


 話が合いそう、と社交辞令でもつい口角が上がってしまいそうなのが分かる。


「最大の特徴だと思うのですが、やっぱり1本の無垢材を使っているのが衝撃的でした。スリットを入れてその部分だけ曲げるという技術が本当に素晴らしいですよね」共通の知識を発見したことで、専門的な踏み込んだ内容まで話してくれる。


「この形で曲木をしているのは世界でもこのスツールくらいですものね」


 家具デザイナーを目指したきっかけや、デザインする上で心掛けていることなど、ありきたりだが2時間近く雑談を交えながらインタビューを行った。私がインテリアの勉強していたのもあり、専門的な会話も交えた有意義な時間となった。そんな時間の中でも、時折脳裏には一目惚れの事が顔を覗かせた。実際のところは仕事なのだが、店内に座っている他のお客からは、カップルに見えたりしたのだろうか。妄想が膨らむ自分自身に嫌気が差しながらも浮かれていた。


 彼も多忙なのは分かっていたので、記事を書くのに必要な分量のインタビューはしたつもりだが、これでは今後会う理由がなくってしまう。しかし、こんな出会いを無駄にはしたくない。


「今後もやりとりがあると思うので、よかったら連絡先を交換しませんか?」


異性に連絡先を聞いたのは何年振りだろうか。


「もちろん。赤外線で送りますね」


携帯電話の、丁度カメラレンズのある部分を近づけた。私の気持ちも赤外線に乗せて送れないだろうかなんて、ミスチルの歌のような妄想をしてしまう。


「受信できました。hoshikawa1115@−ですね」誕生日がきっと11月15日なのだろうかなどと考えていると、ホシカワさんから思いもよらないことを聞かれた。


「今日水曜日ということは、ノー残業デーですよね?よかったら仕事終わりにご飯でも行きませんか?」


「そうですね。その方が詳しい話も聞く事が出来そうです」


予想もしていなかったが、最もらしいことを言って承諾した。水曜日に感謝をしたい。恋ってこんな感覚だったのか。

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