ラッキーベル

ふじ ゆきと

第一章 チーム結成

第1話 チーム結成 その1

 たった一つの些細ささいな出来事が、後の人生に影響していることがある。


「ジャンケン ポン!」

 赤焼けた日差しが差し込む食堂に、男子学生達のシルエットが浮かび上がっていた。

「勝った! 一抜けた」

 ジャンケンをしているのは四人。その中には色白で細身の城山俊介しろやましゅんすけもいた。

 彼は手の甲にシワを寄せ、次に何を出すか占っている。そんなことをしたところで、次の一手など分かるはずもない。運命というものは既に決まっているのか、それともその瞬間に変わるものなのか。

「ジャンケン ポン!」

 俊介はチョキ。他の二人はグー。俊介の顔が歪んだ。

「いやー、本当に勘弁してくれよ……」

 俊介は往生際おうじょうぎわ悪く友人達の肩をゆすったが、誰も俊介の言葉には耳を貸さず、グーの手を高くあげてはしゃいでいる。ジャンケンに負けたことが、人生の分岐点であることを、俊介は知るよしもない。

 

 季節は十月初旬。ひたいからき出る汗をTシャツの袖で拭っていた夏が、恋しく思える頃だろうか。

 食堂の掲示板には茶色がかったいくつかのコピー用紙に覆いかぶさるように、毎年大学祭に行われる女装ダンスコンテストのポスターが貼ってあった。学生たちが作ったのだろう、黒とピンクで彩られたポスターに悪ふざけが詰め込まれている。俊介の通う工業大学は、ほとんどが男子学生。なるほど、それでポスターに穏やかな可愛らしさが無く、女装コンテストも行われるわけだ。

 まさに今、俊介が女装ダンスコンテストに出る事になった。気の毒かと思えば、俊介もまんざら嫌ではなさそうだ。

「俊介、お前は誰をイメージして女装するんだ?」

「そーだな、やっぱりココットかな」

 ココットとは、女性三人組の海外(アジア)アイドルグループだ。可愛らしい独特のダンスが売りで、日本でも人気上昇中。

「俊介、ココットの誰が好みなんだよ」

「それは言えないな~」

「フッ、聞きたくも無いけどね」

 俊介は誰が好みかを、もっと訊いて欲しいようだ。意外とこの男、からかわれ易い隙を持っているのかもしれない。でもどことなく性格に筋が通っており、男らしい。そんなところが、友達からも好かれていた。実際はココットの特定のメンバーが好きなわけではなかった。

「俺は動画を見ながらココットのダンスをマスターするよ。皆に衣装をお願いしても、いいか?」

「もちろんだ、俺たちに任せておけば間違いない」

 自信に満ちた笑みからして、ろくな衣装を想像していない事は察しがつく。

「本当に大丈夫か? ココットらしい衣装で頼むぞ」

 ダンスコンテストは三週間後に迫っている。ダンスを覚えるだけで精一杯だ。とても衣装までは考えられそうにない。不安だが、皆に任せるしかなさそうだ。


 俊介は食堂の扉を肩で押しながらイヤホンを右耳にはめた。左耳にイヤホンをはめるのをさえぎるように、不快な声が入ってきた。それは俊介の後を追うように食堂から出てきた下池しもいけだ。

 彼は俊介と同じ学科を先行している学生で、俊介が友人たちに衣装の準備をお願いしている様子を薄暗い食堂の隅で見ていた。

 立ち止まった俊介を追い越し、振り向いたその顔には「今からバカにしますよ」と言わんばかりのみが浮かんでいる。

 入学以来彼は何かと俊介のやることに嫌味いやみっぽくケチをつけてくるので、俊介も下池のことはあまり良くは思っていなかった。

「おまえ、女装ダンスコンテストに出るのか?」

「ああ」

 短く返事をしながら、『こういうネタは、こいつの大好物だったな』と思い、目を合わせず受け流すつもりでいた。

「しかもココットとはな。二国間の関係が悪い中で、よくやるよな~」

「何が言いたいんだ?」

 俊介は下池を横目でにらみながら言い返した。

「おっと、そんなにムキになるなよ。」

 わざとらしくひるむ仕草が、さらに俊介を挑発している。

「それにしても、日本と関係の悪い国のアイドルを真似ちゃうんだ~。何て言うのかな~、世間の空気が読めないと言うか……」

 下池は顔をそむけた俊介を覗き込み、笑顔とは程遠いみで俊介が言い返してくるのを待っている。

 俊介も下池を黙らせる一言をぶつけたかったが、息が荒くなるばかりで言葉が思い浮かばない。何も言い返せないままその場を立ち去った。背中から、

「あれ、逃げちゃったよ~」

 と言う声が聞こえた……。


 右耳だけにはめたイヤホンからは音楽は流れていない。地面を見ながら、自分の影を踏みつけるように歩いた。大学の正門を出たことも、少し気になる女の子がいる弁当屋の前を通り過ぎたことも記憶にない。

 交差点の信号機で立ち止る人々の脚が視界に入り、ようやく顔を上げた。赤信号の向こう側にある本屋のガラス窓にダンスグループのポスターが貼ってある。

『ダンスか……』

 ダンスなんてしたことは無い。歩行者用信号機の人影のイラストがステップを踏んでいるように見える。交差点を渡り、吸い込まれるように本屋に入った。芸能関係の雑誌が置かれたエリアなんて、いままで気にしたことも無い。横目で周りを見た後、高く積まれた雑誌にゆっくりと手を伸ばした。もう一度横目で周りを見た後、適当にページを開いた。偶然にもココットの笑顔が載っている。

『これは何かの運命か……』

 そんなわけはない。単なる偶然だ。

 気づけば店内にはテンポの良い曲が小音量で流れている。ココットではないが、人気のあるダンスグループの曲だ。リズムに合わせてつま先をタップした。こんなにわずかな動きでも、曲にあわせて身体を動かす事がなんだか楽しい。

『早く踊ってみたい……』

 雑誌を閉じ、駅へと向かった。


 電車に揺られながらココットのどの曲にするかを考えてはみたが、テレビで観た数曲しか思い出せない。ココットは好きだが、ファンと言うほどでも無いようだ。

『あ~、他にどんな曲があったかな』

 ぼんやりとしたイメージは有るものの、選曲できないまま下車する駅に着いてしまった。

 住宅街が広がるこの駅は、夕方と言うこともあり活気があった。駅のロータリーから大通りに繋がる道の両側には古びたのれんの居酒屋とファーストフード店、間口の狭い食料品店、信用金庫などが連なり、仕事帰りの人々、お迎えに来た人、塾に向かう子が行き交っている。

 ケーキ屋の前では小柄な店員がお土産用のシュークリームを販売していた。新喜劇のような甲高かんだかい声と共に甘くて暖かい香りが広がっている。空腹の俊介にはたまらない。自然とこの甘い香りが俊介のイメージにプラスされた。

『カッコイイ感じの曲より、可愛い感じの曲がうけるかな』

 そんなことを考えながら駐輪所に止めてある自転車のカギを外し、アパートに向かってこぎ出した。

 駅から俊介のアパートまで自転車で十分ほどだろうか。頬を撫でる風が、ひんやりとして心地いい。白い壁の家の角を曲がるとキンモクセイの透き通った香りが鼻を通り抜けた。俊介の実家にもキンモクセイが植えてあった。小さい頃はこの香りが苦手だったが、今はそうでもなく、むしろ懐かしい。

 アパートの近くのコンビニでカップラーメンとロールパンを買った。

『今夜はこれでいいか』

 

 部屋に入るとリュックを背負ったまま、ヤカンに水を入れ火にかけた。

 六畳のフローリングの部屋と、狭いキッチン、トイレと風呂が一緒のユニットバス。よくある一人暮らし用のアパートだ。部屋には折り畳みベッドと小さな机、そして三十七インチのテレビの横には隙間すきまにすっぽりと収まった本棚があった。ダンスの練習をするスペースはとても無さそうだ。しかし、ベッドを畳めば少しはスペースが出来るぐらいか。それに都合の良いことに俊介の部屋は一階、ダンスの練習をしても下の階に迷惑をかける心配はない。

 机の上にあるノートパソコンを開き、電源を入れ、パソコンが立ち上がるまでのあいだ、カップラーメンのかやくと粉末スープを開け、湯が沸くのを待った。

 キッチンから汽笛きてきのような音が鳴ると、湯をカップラーメンに注いだ。多めにお湯を注ぐのが俊介の好みだ。

 カップラーメンが出来上がるまでの三分間、パソコンでココットの動画を検索し始めた。動画のコメントにはココットの可愛らしさをめるコメントもあるが、海外から来た彼女たちを誹謗ひぼうするコメントも多い。

 ためらいも無く心の奥にひそみにくさをさらけ出し、彼女たちの人格を破壊しているコメントと大学から帰る時の出来事が重なり、俊介の瞳は何処に焦点しょうてんを合わせるでもなく、ただパソコンの方を向いていた。


『嫌なことを思い出してしまったな……』

 カップラーメンのふたりあがっている。お湯を注いでから、とっくに三分が過ぎていたようだ。俊介は割りばしを取り出し、麺をほぐし始めた。

二回ほど麺をすすった所で動画が終わると、他の動画をじっくりと選ぶことなく、とりあえず目についた別の動画を再生させ、また麺をすすった。

『こんな曲も出していたのか……』

 特に熱烈なファンではない俊介にとってその曲は新鮮で、初めて見たダンスに時を忘れた。曲が終わるともう一度再生をした。俊介が何気なくイメージしていた可愛い感じと一致している。また曲が終わると、再生をした。この曲にれたようだ。いや、実際はメンバーの一人にれてしまったと言うのが本当の所だろう。何回も同じ動画を再生した。もうその彼女一人しか俊介の目には映っていない。そのメンバーの名前はユウリ。メンバーの中で一番年下だ。

『この、こんなに可愛かったんだ』

 ココットのメンバーの顔は当然知っているが今夜この動画を繰り返し観て、突然その一人のメンバーにれてしまった。よくある事だ。日頃特に意識していなかったのに、何かの仕草や物事をきっかけに急に気になってしまう。一目惚れとは違い、なかなか前に進まない、じれったい恋に発展する事が多い。抱きしめたいとか、口づけをしたいという欲求が湧いてこない、不思議な感覚の、純粋な恋だ。

 とは言え彼女は俊介が恋をしたところで、どうにかなるような相手ではない。ある意味厄介やっかいな恋なのかもしれない。

「よし、この曲で行こう」

 あっさりと曲が決まった。本来は色々な動画を観て吟味ぎんみし選曲するべきなのだろうが、ダンスに関しては全くの素人である俊介が多くの動画を観て吟味ぎんみしたところで、正解に近づくはずもない。最初の直感で曲を決めたのは良かったのかもしれない。

 早速練習開始、とはならず、繰り返し動画を観ているだけだ。

 完全に彼女のとりこになってしまった。

 十回以上は同じ動画を観ただろうか。ふと、何かが気になりだした。

『どうしてこんなに可愛く見えるのだろう』

 踊っている彼女たちが可愛く見えるのは、ルックスだけでは無いことに何となく気づき始めたようだ。

 れた女性を見つめる笑みを含んだ表情から、何かに取り付かれた科学者のような表情になっていた。食べかけの麺がのびきっている。動画の一部分を何回も戻しては観ていた。何が気になっているのか……。

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