第9話 鉄格子の窓

同じ頃、月の大王は頭を抱えていた。今までになかったことが次々と起こったので、月夜の処遇をどうするか早急に考える必要があったからだ。


朔の想念を呼び出して、話を始める。


『朔―!! 一体どうなっておるのじゃ、わしは気が気でならん』


『申し訳ございません』


『わが子ながら不憫じゃ。それでも好きな人と結ばれた方が良いという親心も一応持ち合わせておる。わしはどうしたらよいのじゃ』


『大王様、そろそろ月の法律をかえたらいかがですか。地球へ降りて恋愛する権利を認めるべきなのでは』


『それでは月の存続が危ういではないか』


『それで滅びるのならそこまででしょう。月の住人の遺伝子は地球人とまじりあって存続し続けます。国家の存続が、人の幸せの上をいくとは思えません』


『朔、お前はいつも鋭いのう。すべての恐怖心をなくしているかのようだ』


『人と人とが想いを通わせる。それのどこがわるいのですか』


『わかった、とりあえずは月夜の処遇じゃ。地球謹慎期間を短縮する。明後日で帰還せよと伝えよ』


『明後日ですか? 予定ではもう1週間あるのでは?』


『問題が多すぎる。月夜が自分で招いたこと。したかあるまい』


『ですが……!!』


『明後日、迎えを出そう。月の入りの頃に迎えにいくと伝えよ』


『……御意』『大王様、ひとつお聞きしたいのですが』


『なんじゃ』


『もし、はじめ様が姫と恋仲になることを望まれたらどうされるおつもりですか?』


『なっ、なっ……そんなこと考えとうもないわい!!』


『変な親心出さないでください。どうなのですか?』


『……月夜を、地球に降ろすしかなかろう。好きな人と一緒になるのが我が子の幸せ。それはわしも心得ておる。何を隠そう、はじめという青年を多少なりとも気に入ってしまった。

月の魔法でうまくはからえるじゃろう。あぁー、そうなったらどうする??』


むせび泣く声が聞こえて、朔は頭を抱える。


『大王様としては、地球謹慎期間が短くなったとしても願いは叶えるおつもりですね』


『短縮になった原因は、月夜にもあるのだから、願いはきこう』


『承知いたしました』


朔の想念はすーっと消えた。

大王は深く息をつく。娘の人生なのだ、大王とてどうにかできるものではない。所詮自分で決めなければ、あとで誰かを責め続ける。そうなれば本人のためにもならない。大王はそう思いながらも、月夜が傷つくのを見るのも辛い。


親心は複雑だと思いながら、妃のことを思い出す。早世してしまった妃。もともとは大王の世話人であったが、その優しさに触れ、いつのまにか恋に堕ちていた。


身分相違と周囲に言われつつも、先代王のはからいにより夫婦となることができた。だから、大王としても娘が好きな人と一緒になれたらよいと思っていた。それがたとえ地球人であったとしても……。


地球見学6日目


ゆめは朝日が眩しくて目を覚ました。丸窓から入った朝日が優しく部屋を照らしている。時刻は6時30分。まだここにいられるということは、父親からの命令や、違反は確認されていないということだろう。


昨日、姿を消してはじめに口付けた。そのことを思い出して、ぽっと顔が赤らむ。柔らかかった唇を思い出して、頭がくらっとする。


姿を消すと、地球鏡に映らない。そう言った満月の言葉。たぶん本当なのだろう。あれを月から見られていれば、即帰還は免れない。まだここにいるということは見られていないということ。


はじめにあんなこと言われて、イラッとした。キスはやけを起こした自分の暴走でもあったが、キスしたい衝動をもう止められなかった。


縁側の窓を開けると、風が心地よく入ってくる。思わず目を瞑って大きく伸びをした。昨日は一日中家の中にいたから、体が鈍っている。


少しだけ。公園までくらいなら、歩いてもいいだろうと、ワンピースに着替えて家を出て公園を目指す。


「おはようございます」


後ろから急に声をかけられてビクッとする。女性の声だ。「すみません、突然。あの、SNS動画で話題になっている方ですよね? あのトリック、ぜひ私たちの番組で披露していただけませんか。もちろんお礼はしますので……」


西野弥生と自己紹介をしたかわいらしい女性は、腰を低くしてゆめに番組出演依頼をした。


「人違いじゃないですか? 何のことかわかりません」


ゆめはプイッとして、歩き始めるが向こうも簡単にはあきらめない。


「ウサギにも変身できるのですか?」


ピタッと足を止め、その人の方を振り返る。なぜ、そのことまで知っているの? 

ゆめは眉根を寄せて睨みつけた。


「雪ちゃんに会ったことありますよね?あなたに公園で会ったと言っていました。もちろん、ウサギのあなたに」


「ゆきちゃん……?」


名前には覚えがないが、公園で一緒に遊んだ女の子だろうか。


「あの子が言ってましたよ。お姉さんはウサギに変身できるんだって。昨日の動画、素晴らしかったです。あなたのトリックをみんな求めています。ぜひ協力していただけませんか」


なんで、なんで知ってるの? 知られたら帰らなきゃいけないのに、もう二度とはじめにも会えないのに、好きでもない人と結婚しなきゃいけないのに……。


胸の奥が急に苦しくなる。息があがって吸うことができない。ガクンとその場にしゃがみ込む。


「えっ!! 大丈夫ですか……??」


女の人の声が遠くに聞こえて、目の前が真っ暗になった。目を覚ますと、ベッドの上だった。無機質であたたかみなんか全然ないその部屋。あわてて体を起こすと、ひどい頭痛がして頭を抱えた。


痛みが引くのを待ってあたりを見回す。ここはどこ? 早く帰らないとはじめがきっと心配してる……。


「あ、起きましたか? 大丈夫ですか?」


さっき声をかけてきた西野弥生が、部屋に入ってくる。


「あの、ここは……」


「安心してください、ここは病室です。医者に見せたところ過呼吸とのことでしたので、処置をしました。あの公園からここまですぐでしたので、慌ててこちらに連れてきてしまって……驚かせて申し訳ありません」


その女性は頭を下げた。


「もう、大丈夫です。あの……家に帰りたいので、これで失礼します」


「タクシーを呼びます。少しお待ちください。お茶、そこのテーブルにあるものは飲んでいただいてけっこうです。トイレは後ろにありますのでそちらをご利用ください」


そういって弥生は部屋を出ていった。ドアが閉まってすぐ、カチャンと音がする。


──まさか……。


慌ててドアを確認すると、鍵がかけられていて開かない。バッと後ろを振り返り窓を見る。鉄格子がはめてあって、窓も10センチほどしか開かず、外には出られない。


「うそ……、閉じ込められた??」


血の気がザーッと引いていく。

最初からこうするつもりだったんだろう……。嵌められた。


このままここにいたら、ウサギに変身する姿も見られてしまう。


姿を消したって、透明になるだけだから、壁をすり抜けて逃げることはできない。


どのみちそうなったら強制帰還だ。

8畳ほどの部屋の真ん中で、へなへなと座り込む。ごめん、はじめ。こんな風にお別れにすることになるなんて思ってなかった……。


このままじゃ、はじめの願いも叶えてもらえない。いったい何をしに地球に来たのだろう。


涙がとめどなく流れてくる。あんなに外に出るなと言われていたのに出た自分の軽率な行動。いまさら嘆いても仕方ない。なんとかしなきゃ……。


ひとしきり泣いて冷静になると、あの人の話の内容な矛盾があることに気づく。ウサギになる姿をあの公園のトイレで会った女の子に見られていたら、とっくに強制帰還させられているだろう。


変身する姿を見られた訳ではない。それなら月の入りまでになんとかここを出られれば……。


翡翠の勾玉で必死に満月に呼びかけるが、反応がない。こういう時に限って連絡がとれないのだからと呆れる。朔からも連絡がない。ん……? なんかおかしい。


***


ピンポーンピンポーン──


何度も繰り返し押されるインターホンの音。目を覚ますとまだ7時前。こんなに朝早くから誰?


ドンドンドンと玄関の戸が叩かれる。

はじめは慌ててパジャマのまま下へ降りていく。カメラで確認すると、夏樹の姿があった。


「おーい!! はじめ!! 起きてるか? ゆめいる??」


朝からゆめに用なの? 近所迷惑にもなるのであわててドアを開けると、夏樹が飛び込んできた。


「わぁ! ちょっと……!!」


「おい、ゆめは? 家にいるか?」


あわてて祖父の部屋を見にいくと、ゆめの姿はない。玄関に靴もない。


「ゆめ、いないかも……」


「やっぱり……さっき、公園散歩してたらゆめらしき人が、女の人と話してて、途中で気分悪くなったのか倒れ込んで、車に乗せられてったんだよ!! まさかと思って追いかけたけど見失っちゃって……誘拐されたのかも!?」「えぇっ、ゆっ誘拐!!?」


「SNS見たら、こんな動画の配信予告があがってて」


夏樹のスマホをのぞく。動画のタイトルは『SNSで話題の消えた女の子緊急出演!! 消失と変身。ふたつの能力を本日夕方、生披露!!』


「なに、これ……」


「なぁ、警察に通報したほうがいいんじゃねぇか? ゆめには連絡できるのかよ」


「あ、警察……えっと、どうしよう。ゆめはスマホ持ってないし……朔さんに連絡できるかな、でも連絡先知らないし……」


ウロウロとリビングを歩き回っていると、いきなり夏樹に張り倒された。


「バカヤロー!! しっかりしろよ!! 命に関わるかもしれないんだろ!?」


ハッとして頭がすーっと冷静になる。


「そうだね。ちょっと作戦立てる」


「俺も協力するから」


「塾は?」


「んなこと言ってられっか!!」


おじゃまします!! と大きな声で夏樹は言いながら靴を脱ぐとドカドカと家に入ってきた。なんか思わず笑えてしまった。


しばらくするとかえでもやってきて、リビングでゆめ救出のための作戦会議が始まった。


「さっきの動画、生配信が始まってる。これ、ゆめじゃねぇか?」


部屋の中にベッドがひとつ。ソファにテレビもある。カメラはソファに座った女の子の背中を捉えている。顔はみえないけど間違いない、ゆめだ。


「とにかく、警察に連絡しましょう」

「そうだな、所詮俺たちじゃやることに限界がある」

「うん……、そうだね警察に連絡……」


ピンポーン


インターホンが鳴って、カメラを確認すると朔の姿があった。あわてて玄関へ行くとこちらも真っ青。何が起こったかはわかっているようだ。


「こちらは朔さん。ゆめの保護者」


簡単に夏樹とかえでに紹介をする。


「朔さん、ゆめの居場所はわかりましたか?」


「それがまだ……ああ、どこに行ってしまわれたのでしょう」


「やっぱり警察に……」


とかえでか言うと「それはいけません!」と朔。


「えっなんで……」


かえでが不思議そうに首を傾げる。


「私たちには追われる身なんです!!」


「ええっ!?」


夏樹とかえでの声が重なる。はじめは追われる身!? とびっくりする。


「実は、お嬢さまは敵に命を狙われていて、執事の私と一時避難しにきたのです。いま、事件になれば、居場所がバレてしまって命が危ない。それだけは避けなくては……」


朔の演技に、思わず吹き出しそうになるのを堪える。夏樹とかえでは信じたかどうかわからないが、警察に連絡するのは思い止まった。


「とっ、とにかく、連れ戻さないと。動画配信はどうなってるかな」


はじめが言うと、かえでがタブレットを取り出した。

動画配信はまだ続いていて、殺風景な部屋と、ゆめの後ろ姿を映していた。


「この場所ってマンションかな、それともビルの一室か?」


夏樹が身を乗り出してタブレットを覗き込む。ちょっと後ろに身を引いて、頬を赤くしたかえでを見て、あれ? とはじめは首を傾げた。


なんかいつもと違う? 


「なあ、マンションにしてはシンプルすぎだろ」


夏樹の声にハッとする。病室、といってもいいくらいの部屋だ。


「そうねやけに殺風景な気がする」


「これ病院かもな」


夏樹が腕を組んでそうつぶやく。


「そうか病院か。確かにドアが普通より厚いね。特殊なドアにみえる。窓は……これ鉄格子だ」


はじめもタブレットに釘付けになる。スマホで動画を検索していたかえでが口を開く。


「この人の動画はこれしかないけど、お気に入りに入ってる動画は医療系が多いね。個人の特定ができればいいんだけど……調べてみるね」


「他のSNSで名前検索してみる。夏樹はこの近くで精神科のある病院検索してくれる? 隔離病棟かも」


はじめは自分のスマホを取り出して、検索をし始めた。


「なるほど。わかった。車のナンバーはわかんなかったけど、多分三文字だったから世田谷か八王子。とりあえず世田谷区内の精神科のある病院を探してみるわ」


それぞれのやることをまとめていく。はたと気がつく朔のこと。すっかり存在を忘れてた。

ぱっと顔を上げると悲しそうな顔。すみません、ほんと。そうだ、朔さんに聞けば……。


「ごめん朔さん、ちょっとこっちきてください」


「わかりました」


夏樹とかえでは不思議そうな顔をしたが、自分の調べるものに手一杯で、声をかけることができないようだった。


はじめと朔はリビングを出て離れの方の廊下に移動する。


「朔さんの力があれば、わかります? ゆめは今どこにいますか? ちきゅ

う……鏡? でしたっけ? それ使ってもらえませんか?」


「それが、なぜかよく見えないそうで……月にも確認していますが、なんとも……」


「ええっ!? 朔さんもわからない? じゃあ……ゆめと連絡は取れますか?」


「それが、姫さまが倒れたあたりはまだ声をかけられたのですが、もうそちらもうまくいかなくなって……」


「そうですか……目星をつけたらすぐ出発します。タクシー乗せてもらえますか?」


「もちろんです、外で待機してますね」リビングに戻ると、夏樹とかえでがタブレットに釘付けになっていた。


「はじめ、また動画配信はじまったぞ」

「ゆめちゃん、あんまり動いてないわね」

「ねぇ、これ……」


動画は部屋の後方から撮っているようで、ゆめの背中を捉えている。ソファに座ってるゆめは……船を漕いでいた。


「ゆめちゃん、寝てる?」

「そんな感じだな」

「すごい、肝座ってる」


三人で顔を見合わせて、ゲラゲラ笑った。


「早く助けてあげなきゃね」

「だな」

「かえで、タブレットの音量、最大にできる?」


かえでがタブレットの音量を最大にすると、かすかに外の音が聞こえてくる。


ミンミンミンと、シャンシャンシャンという蝉の声。

時折り、踏切のカンカンカンという音に加えて発車のベルのような音も聞こえる。


「ミンミンミンはわかるけど、シャンシャンシャンはなんだ?」


「たぶん、クマゼミだよ」


はじめが言うと、夏樹が不思議そうに腕を組んだ。


「クマゼミってこの辺じゃほとんど聞かないよな。アブラゼミならまだしも」


「クマゼミの北限って最近どんどん北上してるんだよ。東京でもこの辺より南の方ならいると思う」


「世田谷区、南、駅の近くで精神科のある病院。だいぶ絞れそうね」


「夏樹、さっき調べた病院の中で条件に合うところありそう?」

「うーん、そうだな。C病院か、T病院のふたつだな。どっちも精神科の専門病院だよ」


「この人の動画のお気に入り動画の中に、T病院の宣伝動画があるわ」


「よし、じゃあT病院にまず行こう」


出かける支度をしていると、零がリビングのドアをドカンと開けて入ってきた。


「びっくりした! 零、脅かさないでよ」


「零さん、帰ってたんですか?」


「……誰?」


はじめ、かえで、夏樹がそれぞれ零の顔を見た。

零は表にいた朔に説明を受けてきたらしい。


「ちょっと零!! 待ってよ!!」


後ろからきた見知らぬ女性。誰?


「あ、かえでちゃん久しぶり。君ははじめましてだね、はじめの兄の零です。こっちは彼女の詩穂」


「こんにちは、はじめまして」


笑顔の爽やかな女性。っていうかゆめに似てる……。

 

「犯人のアジトに潜り込むんだろ? 大人がいた方がいいと思うんだ。俺らも連れてって!」


零の目はランランと輝いている。 


「アジトって……零、面白がってるでしょ!?」

 

はじめは大きく息をつく。


「わかった。零も一緒に行こう。でもその前にちょっとかまかけようと思う」


そういってはじめは動画の配信者にダイレクトメールを送った。


『その人は偽物です。本物は私。よかったら対決をやりませんか? 動画の収益はそちらもちでかまいませんので』


「うわ、まじか」


はじめのスマホをのぞきこんで、夏樹が呆れたようにいう。かえでも後ろからのぞきこむ。


「あ、返事来てる。『面白そうですね。待ち合わせはどこにしますか』だって。はじめくん、どこにするの?」


はじめは無言でスマホをタップする。


『今日の17時に、A駅公園で』


「A駅公園って……」


かえでが消えそうな声で言う。

塾の隣のA駅公園。ゆめがつれさられたであろうその公園を、はじめは対決の場に指定した。「おい、ゆめを助けたらそれでいいだろう? なんで対決するんだよ」


「だめだよ。ゆめのうわさも払拭しないと。ゆめは来週もうちにいるんだよ。その間ずっと隠れてるわけにもいかないし。……、詩穂さん!!」


「はっ、はいっ!!」


急に話しかけられて、詩穂の体はビクッと跳ねた。


「ちょっとお願いがあるのですが……」


***


朔のタクシーに、はじめ、夏樹、零の三人で乗り込んでT病院へ向かう。


詩穂とかえでは準備のため家で待機。タブレットで動画をチェックし、動きがあれば報告する情報収集係をしてもらうことになった。


「5分くらいだと思います。思ったより近いですね」


朔がハンドルを握りながら言う。


「まず、外から様子さぐろう」


はじめの言葉に夏樹と零も黙ってうなづいた。


「そのゴキゴキコロリスプレーは、なんか使うのか?」


夏樹が不思議そうに、はじめが持っているスプレーについて訊いてきた。


「うん、火災報知器を誤作動させる。ゆめの病室が一階だったらだけど……。窓越しにこれ渡して火災報知器にかけてもらおうと思って。どさくさにまぎれて助けだすつもり」


「やり方荒いな、はじめ。本当に大丈夫か?」


零が心配そうに身を乗り出してくる。


「とにかく早く助けてあげたい」


はじめは下唇を噛む。きっと不安でいっぱいに違いない。


「……やるっきゃねえな」


夏樹は窓の外を見ながらぽつりと呟いた。


タクシーの座り順は、後部座席に夏樹、零。助手席にはじめ。


「とりあえず病院の外からアプローチしてみる。零は見張りを。夏樹は朝、ゆめを連れ去った車がないか、病院の駐車場を探してみてくれる?」


「わかった」

「りょーかい」


病院の少し手前で降りて、それぞれ歩き出す。朔はタクシーに残ってもらい、三人で向かう。


大通りから少し入ったところにあるT病院。


「はじめ、詩穂から連絡。病院の位置と窓から入る光と影の方向で予測する限り、窓があるのはたぶん南側だって」


「オッケー」


T病院は三階建て。一階は北側に玄関と外来。その奥が入院病棟のようだ。予想としてはだいたい合っている。


道路から病院の南側をみると、一階の庭に面して鉄格子のある窓が3つ。2階以上は窓はあってもとても小さく、鉄格子まではない。ということは一階にいるのか?


この三つのうちのどれかだと推測する。ゆめの部屋はどれだろう。


「はじめ、車あったぞ。外来患者用の駐車場にそれらしいのが止めてあった。運転席に人はいなかったけど、エンジンかかってたから車の中で動画配信やってるのかも」


「了解、それ見張っててもらっていい? たぶん移動にはそれ使うと思うから。あとナンバーメモして」


はじめはスマホで動画をチェックする。生配信は止まっている。画面は今日の夕方にA公園で対決があるとのテロップだけ。今ならいける。

1番奥の窓が少し開いている。動画の窓も少しだけ開いていた。はじめはサッと小走りでその窓の前まで近づく。


10センチも開いていない窓からのぞくと……いた。

「ゆめ?」


ソファに、ぼーっと座っていた女の子。間違いなくゆめだ。


「はじめっ!!」


ゆめが慌てて窓まで近寄ってくる。手を入れると、ゆめがそっと握る。冷たい。ひとり不安でいっぱいだったのが伝わる。


「ごめん、遅くなって。病院の中からそっち行くから、そのまま待ってて」


「うん……」


ゆめは涙を浮かべている。

鉄格子を動かしてみたがもちろんビクともしない。やっぱり中から入るしかないか。ゆめに声をかけて、ゴキゴキコロリスプレーを渡し、北側に玄関に回り込む。朔にタクシーを玄関に横付けしてもらうよう、零に頼んでおいた。


時刻は10:32 外来は患者が多く、忙しない雰囲気。この方が都合がいい。


さ、そろそろ始まるかな。はじめはナースステーションに面会希望の旨を伝える。


案内板を見て、部屋番号を言うと、看護師さんは「その部屋は空き部屋のはずですが……」と不思議そうな顔をする。


ジリリリリリリ!!!


突然大きな音が鳴り、あたりがざわざわする。「空き部屋の火災報知器が作動しています」誰かの声がする。


看護師さんが、部屋の確認に行く。その後ろをどさくさに紛れてついていく。ドアを開けると同時に、ゆめが外に飛び出してきた。


「えっ!?」


という看護師さんの声を聞き終わる前に手を引っ張って玄関へ走った。騒然とする病院内。


病院の外へ出るとすでに待機していた朔のタクシー。零も夏樹もすでに乗りこんでいる。はじめとゆめが乗るとほぼ同時に朔はタクシーを急発進させて、病院をあとにした。はじめの膝に突っ伏して、ゆめはわんわん泣いていた。はじめは背中をなでて声をかける。


「もう大丈夫だよ、ごめんね。怖い思いさせて。家に帰ろう」


5分もしないうちに家につく。あたりに不審車両はとりあえずない。裏口からそっと入ると、血相をかえて、かえでと詩穂が走ってきた。


「どうだった……!! ゆめちゃん!!」

「大丈夫? けがとかしてない?」


かえでと詩穂が矢継ぎ早に声をかける。向田も出勤してきたようで、心配そうに見つめている。リビングまでみんなで行き、ソファにゆめを座らせて、一息つく。


「みんな、ごめんねー!! もう大丈夫だから!!」


さっきのタクシーとはうってかわって、元気な笑顔を見せる。リビングのローテーブルを囲って、現状を把握する。


「えっと、無事にゆめは戻ってこれたから、とりあえずはよし。次は昨日の動画のことをなんとかしようと思い──」


はじめはハッとした。ゆめの能力を知る人と知らない人がいる中でこの話をすればみんなの頭が混乱するに違いない。どうする? もう解散するか、適当に理由つけて話を進めるか……。「あんなフェイク動画つくったうえに、誘拐までするなんて。なんてどうかしてるわね」


かえでが当たり前のようにそう言う。

たしかに、ゆめの消失の能力を実際に見た人はほんのわずかだ。ほとんどの人は実際には見ていない。あれがフェイクだというのを事実にしてしまう方が早い。


「そうだね、あのフェイク動画のタネ明かしの動画あげちゃえばいいかと思ってる」


みんなはうんうんとうなづいた。


「私、いいアプリ持ってるよ、友だちと遊ぶ用にダウンロードしたんだけど」


かえでがスマホのアプリを立ち上げて、夏樹を動画で撮影する。加工ボタンをタップすれば、キラキラと光の粒になって夏樹が消えた。


「すげー!!」

「やるねぇ、かえでちゃん」

「すごいわぁ」

「便利なものがあるのですね」

「このアプリ、いま人気なのよね。私も持ってるよ」

 

夏樹、零、向田、朔、詩穂が口々に言う。


「よし、じゃあこれを使っていくつも動画を撮って、SNSにあげよう」


「はじめ、対決はどうするんだ?」


夏樹が怪訝そうに訊く。


「もちろんやるよ。楽しい対決にするつもり」


はじめはニカっと笑って白い歯を見せた。ゆめと背格好が似ている詩穂と、カメラマンのかえで、用心棒に零の3人であちこちで動画を撮ってもらうよう頼んだ。東京の観光名所で消失する動画。これなら場外市場にいたことも辻褄を合わせられる。


夏樹はゆめと会った雪という小学生の女の子に協力してもらうため、公園にその子を探しに行ってもらった。


その間に、SNSを確認すると、犯人と思しき人からダイレクトメールが来ていた。


"病院を大混乱にしてくださって、ありがとうございます。17時のA駅公園、楽しみにしていますね。必ずいきますから"


思わずごくんと唾を飲こむ。そっちは面白い動画がとれればいいんだろ? なら面白い動画にしてやるよ。


ゆめは少しゆっくりすると、祖父の部屋へいった。


向田は少し遅くなったが、みんなが帰ったらお昼にしようとキッチンで忙しそうにする。


はじめがリビングで今後の作戦について考えているところへ朔が話があると声をかけてきた。


ふたりは二階のはじめの部屋で、ローテーブルを囲んで座った。


「はじめ様、この度はありがとうございます」


「いえ……」


「先ほど月とも連絡が取れました。大王様も満月様も、感謝しておられます。それで姫様の地球滞在期間ですが、いろいろありましたので、明日の月の入りをもって帰還せよとのことです。突然のことで申し訳ありません……」


「えええっ!!! あっ、明日帰るの!?」


はじめは思わず身を乗り出した。


「はい、大変お世話になりました」


朔はペコリと頭を下げる。


「そんな……」


はじめはガクンと項垂れた。あと一週間はあると思っていたのに。もうお別れだなんて。まだ、ゆめと楽しい想い出、全然作れていない。悲壮感が肩に重くのしかかる。「どうしても、明日ですか?」


「はい」


「伸ばす方法は……」


「……、とりあえずは、ありません」


はじめはもう言葉が出てこなかった。

ややあって、口を開く。


「朔さんに、お願いがあります。このメモにあるものを買ってきてもらえますか?」


はじめは、夕方の対決に備えて買い出しを朔に頼んだ。


「明日帰るのを、ゆめは知ってるの?」


「はい、先ほど私からお話させてもらいました。それと大王様は約束通りはじめ様の願いを叶えると仰っておられますので、考えておいてください。姫様の帰還の直前にお聞きします」


朔は立ち上がって、買い物に出かけた。

それぞれが外に出て、家の中が静かになる。リビングから向田の包丁で何かを切る音が小気味よく聞こえるだけだ。


はじめはゆめのことが気になって、声をかけに行った。


「ゆめ、ちょっと入っていい?」


「うん」


そっと襖を開けると、ニッと笑顔のゆめが布団の上で座っていた。笑顔だけど目は真っ赤。泣いていたのかな。


「はじめ、どうした?」


「明日帰るって、朔さんに聞いた。大王様っていうのはゆめのお父さんなのかな? その人が決めたんならもうどうしようもないんだろ?」


「うん、そう……。ごめんね、ほんと勝手で。もうちょっと一緒にいたかったんだけ……ど……」


ゆめは涙を一粒落とした。そこから止まらなくなってどんどん涙が溢れる。


「ちょっ、ゆめ、大丈夫?」


あわあわと慌てるも、背中をさするくらいしかできない。


「ごめ……もう、二度と地球には来られないし、はじめにも会えないし、好きじゃない人と結婚しなきゃいけないし、もう心の中めちゃくちゃ……」


両手で顔を覆って、嗚咽が漏れる。


「僕もそうだよ、明日でお別れなんて……悲しすぎる」


弾かれたようにゆめは顔を上げた。


「ほんと? はじめも悲しい?」


「うん、もちろん」「ゆめ、もしかしてなんだけど昨日僕に目をつぶってって言ったよね? その時ってもしかして……その……」


「……うん。したよ」


やっぱりそうなんだ。初めてだったからわかんなかったけど、なんとなくそうなような気がしていた。


「でもここにまだいるってことは、バレてないの?」


「うん……姿を消している間は月からも見えないみたいなの」


「そっか……」


「ごめんね。急にあんなことして。嫌だったよね」


あははと苦々しくゆめは笑う。


「……そんなことない。嬉しかったよ。もしかしたらゆめも、僕と同じ気持ちなんじゃないかなと思って……」


「……おなじ?」


「うん、ねぇゆめ。今日は月がきれいだね」


「……は? 月? まだ出てないけど……」


「ふふっ、ちょっと元気になった?」


「えっ、あっうん。そうだね。ありがとう」


「ねぇ、姿消せる?ちょっと長めに」


「長め? やってみるけど……」


ゆめはぐっと体に力をこめる。すーっと姿が消えたところで、はじめはそこにいるであろうゆめをぎゅっと抱きしめた。


「僕が必ず守ってあげるから……」


たぶんこの辺りが耳元であろうと目星をつけてささやくと、透明なゆめが体をビクッとさせる。


「うん……」


はじめの背中にゆめの手が回ったのか、体がぎゅっと近くなった。


「昨日のやつ、もう一回してくれる?」


はじめは体を少し離して、目を瞑る。

昨日よりも長く、唇に温かいものが触れて、胸がこれ以上ないくらい早く鼓動を打つ。


どちらともなくすっと離れて、しばらくするとゆめの姿もすーっと現れた。顔が真っ赤だ。


「ゆめ、ありがとう」


黙ってほほ笑むゆめの目に涙が浮かんでいた。バタバタと玄関から人が入ってくる音がして、慌ててリビングへゆめと向かう。


「おかえり、みんな。どうだった?」


はじめが声をかけると、暑い、お茶が欲しい、お腹すいたと言いながら、ダラダラと汗をかいて疲れ果てた様子のかえでチーム。


ソファーに突っ伏した夏樹、ホームセンターの袋を抱えたまま、麦茶を煽っている朔。


一仕事終えたような雰囲気に笑いが込み上げる。


「はじめくん、動画は10本は撮ったから、あとは加工してあげるだけよ」


汗をハンカチで拭きながら、かえでが笑顔を向ける。


「あの女の子には頼んでおいた。友だち集められるだけ集めてくれるって」


夏樹が気怠そうに顔だけ上げた。


「頼まれたものは買ってきました。これでどうするのですか?」


朔は不思議そうな顔で、ビニール袋を少し上げた。


「さあさあみなさん、簡単ですけど、ざるそばと天ぷらです」


ドーンと大皿にこれでもかという量の天ぷらと、それぞれ器に用意されたざるそばが、ダイニングテーブルや、ローテーブルに並ぶ。


ダイニングテーブルの前にかえでと夏樹、零と詩穂。ローテーブルの前にはじめとゆめ、朔と向田がそれぞれ座る。みんなでいただきますをしてズルズルと蕎麦をすすった。


わいわいガヤガヤ賑やかい。こんなに賑やかなのは、初めてじゃないかと思うくらいだ。「へぇー、詩穂さん美容師なんですね」

「うん、駅の近くにソレイユって店あるでしょ、あそこ」

「じゃあ俺の髪、今度ただで切ってくださいよ」

「やだ。割引くらいはいいかな」

「詩穂、俺もそろそろ切ってほしいな」

「いいよ、今晩やろうか」

「あー、零さんはいいんだ」

「彼氏は特別」


ダイニングテーブルからはゲラゲラ笑い声がする。詩穂さんはとってもフランクな感じでとっつきやすい。遠くから見たら、本当ゆめとそっくり。


「はじめ、びようしってなに?」


向こうの声が聞こえたのか、ゆめがそう訊いてくる。


「ああ、髪を切る仕事をする人のことだよ」

「髪……、そっか」

「はじめ様、夕方の作戦のことまた詳しく教えてください」

「なんだかワクワクしますわね!!」


向田はまた楽しそうな顔をする。ドラマの中に入ってきてるみたいな気がするのかな。


食べ終わり、みんなで片付けをすませると、ソファやローテーブルの周りに集まって作戦会議をはじめた。


「きょうの17時にA駅公園で始めます。その名も、『大長縄跳び大会、みんなA駅に集まれ!!』 です」


「はぁーー????」


はじめ以外の全員の声が揃う。ザワザワと「やっぱりはじめは天然だ」「なんなのそれ?」「今からでも遅くない別の作戦を!!」など、あちこちから声が飛ぶ。


「静かに! 朔さんにホームセンターで、長縄は買ってきてもらいました。参加できるのは高校生以下の子どもです。おみやげも用意します。このあと駄菓子屋に走ってもらいます。零と夏樹!! よろしくね」


「えーっ!! また?」

「はじめちゃーん、人使い荒いって」


夏樹と零が項垂れるのをよそに話を進める。


「肝心の犯人はどうするの?」


「刑事告発できない以上、やり返すことは難しいです。僕らも病院を混乱させたので、ヘタしたら逆手に取られる可能性もあります。一応、ゆめが監禁された動画は保存してあるので強くは出てこないとは思うけど」


「むこうは最初から生配信してくるでしょう? はじめくんどう出るつもり?」


「大変申し訳ないのですが、ここで詩穂さんの出番です」


「へっ!? 私?」


みんなの視線がバッと詩織に向く。


「はい。ゆめになりすまして、犯人のカメラに向かって『実はあれは加工でしたー! お騒がせしましたテヘペロ♡ 』でお願いします」


「え……てへぺろ? なんだそれ古っ!!」

「死後に近いな、詩穂ファイト!」

「テヘペロって……私が言うの?? まじか……言えるかな」


ざわつくなかで夏樹が声を上げる


「ところで犯人は特定できたのかよ」


「うん、ゆめが言ってた西野弥生って人はT病院の娘っぽい。動画配信で食べてく決意をしたってSNSに書いてた。その第一弾にゆめの消失騒動の真相を暴こうとしたみたいだね。最初だから張り切りすぎたのかも。さすがに誘拐はやりすぎだよね」


ほぉーと感嘆の息が漏れる。「はじめもそれなりにやるな」「いやいやハッタリかも」「弟よ、見違えたぞ」などワイワイと声が聞こえる。


「あ……あのね」


ゆめが口を開く。「西野さん、私が倒れたから病院に連れて行ってくれたのかもしれないの。あのまま倒れてたら大変なことになってたかもしれない。すごく悪い人ってわけでもないと思う。特に痛いこともされてないし……」


そういいながらも、ゆめは下を向いてしまった。


「……了解。ゆめが言うなら信じるよ。僕も手荒なことはしたくない。その西野さんと僕らがWin-Winの関係になれる、それが大長縄大会なんだ」


「……」


「この大会は、夏休みの子どもたちを楽しませるために、動画配信者の西野弥生がT病院とタックを組んでやりましたってことにしちゃうの。T病院は思春期心療内科に力入れてるから……ほらこれ見て」


SNSにのっていた広告を印刷したものをはじめは見せた。


「ほんと、思春期相談に気軽に応じますって書いてあるわね」


「これを逆手にとる。T病院も宣伝になるし、楽しい企画をやれば西野さんは文句が言えない。『何』で対決するかなんて言ってないしね」


「ほんとにうまくいくかな」「面白いじゃん」「体育祭みたいなもんだね」「盛り上がってきましたわ!!」


ワッとみんなが盛り上がる。


「よし、じゃあ役割分担するね。零と夏樹と朔さん、駄菓子屋にお菓子の詰め合わせ200セット買いに行ってきて!」


「なに? 200!? そんなに買うのかよ」

「はじめちゃーん、ひどすぎ」

「私もですか!?」


三人から罵声が飛ぶ。「金に糸目つけてる場合? 広場で思いっきりやるんだから人が集まるに決まってるでしょ? 200でも足らないくらいだよ。朔さんは車出して欲しいのでよろしくお願いします。隣駅のお菓子の問屋街いけばすぐあるから!! もう2時過ぎてるし、時間ないからすぐ行って!! 

4時半にはA駅公園に、集合で!! お金は……朔さんお願いできますか?」


「はい、お任せを」


三人はバタバタと出かけていった。零と夏樹の文句がブツブツ聞こえてたけど。


「かえでは去年、体育祭の長縄大会仕切ったよね? あの要領で、司会担当してほしいから下準備できる? 拡声器は祖父が町内会で使ってたのがあるから、あとで倉庫から出してくる。必要なものあったら言って」


「わかったわ」


「詩穂さんは、ゆめの今着てる服に着替えてください。着替えたら、かえでの手伝いをお願いします。僕はSNSの方やります。向田さんはゆめと留守番ね」


「えっ!? わたし留守番!? やだやだ、みんなと一緒に行く!!」


ゆめは思わず立ち上がって、訴えた。


「ダメだよ、もしものことがあったらどうするの? 近くに本人がいれば詩穂さんが替え玉だってバレちゃうかもしれないんだよ? 申し訳ないけど留守番してて」


「そんな……」


「ゆめちゃん、私の下準備手伝ってくれる? 家でできること一緒にやろう」


かえでになだめられて、するするとその場に座りむと、小さくうなづいた。それじゃ! とはじめが手を打つとそれぞれが準備に取りかかった。


「あのー、ぼっちゃま」


向田が自室へ行こうと、廊下に出たはじめに声をかける。


「どうしたの向田さん」


「あの、さっきのお話の西野弥生さんに心当たりがあって……」


「えっ!? そうなの?」


「はい、確かにT病院のお嬢さまではあると思うのですが、その……以前にもはな様がいらした時に、あの……見てしまったようでその……」


「えっ!? なに? 向田さん……」


「いえ、あのなんでもありません!! 私、夕食の買い物にいってきますね」


バタバタと向田は買い物に行ってしまった。何も言わなかったけど、向田は何か

に気がついていたんだ。西野弥生は、はなの何を見たんだろう。もし変身するところを見た、またはそうだと推測される状況を知っているとすれば、作戦変えておかないと……。


はじめは慌てて祖父のDIY専用倉庫に行って、ガサガサと材料を漁り始めた。***


ゆめは、和室で詩穂に服を脱いで渡していた。


「すごい量の服ね」

「はい、服は困らなかったです」


はじめの母親のタンスには溢れるほど若い頃の洋服や着物が入っていた。それを見た詩穂が息をつく。


「あの……詩穂さんは、零さんとご結婚なさるのですか」

「うーん、そうだね。まだ先だと思うけど、そうなれたらいいなと思ってるよ」


着替えながら詩穂はそう言うと、ワンピースの後ろのファスナーを閉めた。


「"はな"は、結婚したんだって? 零に聞いた」


詩穂も特例でゆめのことや、姉のことを話しても大丈夫な人。

そう思うと、少し胸のつかえがとれる。


「はい、幸せそうですよ」

「……よかった」

「あの……姉とは何かあったのですか?」

「どうして?」

「先日、姉と零さんと私とでお話した時に、詩穂と話すことなんかないって言ってたので……」


「あははっ、そうなんだ。まあたしかに。実はあの時、はなと私で零を取り合って、私と零がくっついたの。だから話すことなんかなくて当然よ」

「ええーっ!!」


ゆめはワンピースを選ぶ手を思わず止めた。そんなことがあったなんて知らなかった。零が言った話は気を使った嘘だったのか?


「私とゆめちゃんも似てるけど、もちろんはなと私も似てて。それなりに攻防はあったよ。でも、零はそんなことがあったなんてしらないんじゃないかな。女同士でバチバチやってただけだから。淡い高校生の思い出だね」


「はぁ……」


「さ、これでよし。かえでちゃんの手伝いをしよっか」


「あの、詩穂さん。髪の毛を切るお仕事されてるんですよね? よかったら私の髪の毛を切ってもらえませんか?」


「ええっ!? ゆめちゃん、その美しいロングヘアを切るの?」


「お願いします。どうしてもみんなと一緒に公園に行きたいんです。切れば見た目は間違いなく変わるので……お願いします」


***


「ったく、人使い荒いよな。はじめは」

「本当ですね、200セットって……このタクシーに乗るのかな。一応ジャンボタクシーではあるけれども」


朔の運転するタクシーの中で、夏樹と零はまだボヤいていた。


「お二人とももうすぐ着きますよ」

「はーい」

「了解」


朔がコインパーキングにタクシーを止めに行っている間、夏樹と零は先に駄菓子の問屋街へ向かって歩き出していた。


「あの、零さんはゆめの消失について何か他にも知っているんですか…?」


夏樹にそう訊かれて、零は目を丸くしたが。すぐにこたえた。


「ん? 何も? フェイク動画だろ? タチ悪いよなほんと」


あははと笑いながら、零は夏樹の少し前を歩いていく。

気づいてて何も言わなかったんだな。夏樹っていい奴じゃん。そう思いながら、問屋街を目指した。


駄菓子の問屋街は個人にも売ってくれるお店がほとんど。零は大きなところに目星をつけて200円の詰め合わせを、200セット欲しいというと、びっくりされた。


ひとつひとつ今から詰めるのでは人手が足りないと、近隣の店の人を助っ人として集めてくれ、それに零たちも混じって、袋詰め作業が始まった。


「お兄ちゃんたち、こんなにたくさんってことはなんかイベントかい?」


店の奥のスペースで袋詰めをしていると、ひとりのおじさんに声をかけられた。


「今日の夕方、A駅公園で大長縄大会やるんすよ」

「そりゃおもしれぇな。ちょっと待ってくれよ。おーい! 美佐子」


反対側で作業していた女性をおじさんはこっちに呼んだ。しゃべっても手は動かす!! と叱られる。「なに? おじさん」

「こいつらのイベント、告知してやってくれよ。お前が言えば効果抜群だろ?」


美佐子というこの人は、問屋街のインフルエンサーで問屋街の魅力を動画配信しているらしい。中でも、駄菓子メシという、駄菓子を料理につかう動画が人気でメディアにもよく取り上げられるそう。


「いいよ、動画生配信しよっか」


そう言うが早いか、スマホを取り出すともう配信を始めたようだ。


「高校生以下のみんなは、きょう17時にA駅公園の広場に集合!! 長縄大会があるよー! 参加賞、いま急ピッチで袋詰めしてるから、ぜひきてねー!! 参加する人はイイね押してねー」


零たちもイェーイ!! と盛り上げ役を買って出る。イイねは180くらいついたようで、雪の友だちもいれると足らない可能性が出てきた。結局300セット購入し、ぎゅうぎゅうにタクシーに詰め込んで、A駅公園へ出発した。時刻は15:48

***


「あ、詩穂さんちょっとこれ、手伝ってもらえます……か……ええっ? ゆめちゃん、その髪っ……どうしたの??」


腰まであろうかというロングヘアを、バッサリショートボブにしたゆめを見て、かえでは絶句した。


「これなら、一緒にいけるでしょ? お願い私も公園に連れてって」


お願いしますと、かえでに頭を下げるゆめ。


「でも、はじめくんに聞いてみないと……」


ガチャ──


ちょうどよくはじめがリビングへ入ってくる。よっこらしょっと大きな机を抱えてきた。


3本足の机の下の正面には三角になるように鏡面シート付きの板が貼ってある。


机の下にスペースがあるのだが、広いところにおけば、鏡の反射でそれが消えたように見える仕組み。


「はじめくん、なにそれ?」

「面白そうだね」

「はじめ、何するの?」


かえで、詩穂、ゆめが口々に言う。


「ちょっとマジックショーを最後にや……ろうか……と……ってゆめ?? 髪の毛!! どうしたの?」


「詩穂さんにきってもらったの。これなら気がつかれないでしょう? だからお願い、私も公園に連れてって」


「ゆめ……。わかった。ちょっと冒険だけど、マジックショーにゆめも出てもらうつもりだから」


「マジックショー??」


女性3人の声が合わさる。はじめはコクンとうなづくいた。


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