「…!!!!」



直史は、言葉を失った。



昨日さくじつ、菟萌から渡された書類の付箋に記された番号を、直史は、恐る恐るスマホの画面上で叩いた。しばしのコールの後、


「もしもし」


「あ…かっ川口先輩ですか!?」


「うん」


「あ…えっと…あ、あし、明日…映画…でも…」


「うん。良いよ。何時に何処に行けばいい?」


「あ、じゃあ、11時にY映画館で…良い…ですか?」


「うん。楽しみにしてる。じゃあ、明日ね」


「あ、はい!」



直史は、全身から力が抜けた。もうこれ以上ない勇気の使い方だ。疲れさえ感じさせる。





「ねぇ、菟萌、私思うの。羅賀は、確かにあんたを残した。でも、ちゃんと、恋の仕方を教えてくれたじゃない。信じる事も、安心も、相手の興味のある事に興味を持つ事も、絶対の愛も…。こんな言い方、間違いかも知れない。ケド、もしも、あの後、羅賀と別れでもしたら、菟萌は、きっともう恋なんて2度としなかったんじゃない?…出来…なかったんじゃない?」


「…羅賀と…別れてたら…?」


「うん。終わりが…あれじゃなければ、傷は、もしかしたらもっと違う形で、菟萌を苦しめたかも知れない、でしょ?」


菟萌は、正直、それは的を射ているかも知れない…と思った。そんな事…羅賀と…羅賀が生きていたら、別れるなんて、きっとそんな選択はしてない!とまたムキになりかけたが、ごくんっ!と、冷たくなったブレンドコーヒーと一緒に呑み込んだ。


「ねぇ、寛子…教えて。私は、羅賀を…忘れるべきなの?」


「ううん。思い出にしたら?って言ってるの」


「思い…出…」


菟萌は、それ以上、寛子の言葉は耳に入って来なかった。その表情で、寛子も、それに気づいた。寛子は、静かに、菟萌が我に返るのを待つことにした。そんな親友の気遣いにも気付かず、俯いて、ここに寛子がいる事も、ここが喫茶店である事も、どんどん時間が経っている事も、忘れたまま、3時間が経った。


「菟萌、そろそろ閉店だって」


「え…?あ…」


「すみません。お客様…」


店員が、トレーを抱え、少し困ったように、閉店を告げた。


「すみません!すぐ出ます!寛子もゴメン!!」


2人は慌てて店から出た。


「ごめんね、寛子。なんか、今日は迷惑かけた」


「良いよ。そんなの今に始まったこっちゃない。菟萌の病気だ。恋愛は…。しかも、不治の」


中学からの親友だからこそ言える、冗談と本音。それでも、この言葉を言うのには、さすがに寛子も度胸が要った。



「ねぇ、緒方君の事、頑張って…」


言いかけて、寛子は別の言葉を探した。


「賭けてみたら?菟萌に本当に必要な人なのかどうか、自分からいって、確かめるの。それでも、羅賀の影がちらついて、ダメだった言うなら、それで良いじゃない!あんたは、当たって砕けろを、してきたつもりだろうけど、本当は、1度もしてないのに気付いてる?」


「…寛子…。当たって…砕けろ…か…」




その言葉は、菟萌の心に、何故か、寛子の精いっぱいの声援に聴こえた。寛子は気が強い。いや、芯が通っている、と言った方が寛子に不快感を与えずに済むだろう。だからこそ、恋愛ごときで、ずーっと悩んできた菟萌に、苛立つときは言ってしまえばしょっちゅうだった。その度、寛子は慰める事はしてくれなかった。『馬鹿だね』とか『情けない』とか『ヘタレ』とか、もう散々だ。しかし、言葉の裏で、いつも寛子は菟萌を支えて来てくれた。



『嫌いなの?って聞かれて…なにも言えなかったら…別れる事になっちゃった…』


『それは、嫌いにならなくても嫌いになられるよ』


『つまんないって言われちゃった…。もう…飽きたって…』


『それは、あんたの魅力を探してくれなかった相手がつまんない奴なんだよ』


『イメージと違うって…もう私のイメージって何?』


『イメージなんて勝手に描いてただけじゃん!放っときな!』





菟萌は知っている。誰より、むしろ、自分より自分を解ってくれているのは、寛子だという事を。


その、寛子の言葉を、今度は、先へ進むために受け取ろう。



そう思った――――…。

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