「一目惚れなんて言うから、やっと踏ん切りついたと思ったんだけどな…」


寛子は、私より哀し気な瞳を、紅茶に向けながら言った。


「羅賀は忘れて逝ったんだよ…。私の中から、羅賀を消す事を…」


私は、ぽつりと言った。


「…じゃあ、なんで?その緒方君に一目惚れしたの…」


「一目惚れ…って言うか…がいたの」


「へ?」


如何にも、誰?と言いたげに、寛子は首を傾げた。


「キーホルダーよ。緒方君のリュックの留め具に…依里ちゃんがいたの…」


「だから、誰よ、って」


「羅賀が好きだったアイドル…」


「…」


寛子は、あぁ…と静かに頷いた。


いちいちちらつくのだ。直史の何処かに羅賀の影が…。笑顔が可愛い。寝癖。オタク…。それを、一目見た時から、私は見抜いてしまった。言ってしまえば、直史を好きになったのではなく、きっと、羅賀がちらついているだけなのだ。それは、私も解っていた。寛子も、この時解ったのだろう。


「それ…一目惚れじゃないよ。って言うか、恋でもないんじゃない?」


「解ってる…でも…どうしようもなく惹かれるの…」


「それなら、進め、って言う羅賀からの助言…なのかもね。もう、僕の事は忘れろって…」


その言葉に、私はドキッとした。そんな…羅賀が?私に?忘れろ?


「そんなはずないじゃない!!」


喫茶店の客全員が私に目をやった。寛子も、こんなに怒った私を初めて見た、と言わんばかりに、瞳孔を広げた。


「羅賀が…羅賀を…私が、忘れるなんて…あり得ない…」


ワナワナと手を震わせ、瞳からはあの日以来、見せる事のなかった涙が溢れていた。羅賀の遺体を目の当たりにしても、菟萌の瞳から涙が零れることは無かった。ただ、冷たくなった頬に触れ、震えだけが止まらないでいた。嘘だと思った。現実ではないと思った。何かの間違いであって欲しいと、そう思った。そうだ。これは夢だ。すぐに『菟萌ちゃん!』と笑うに違いない。『依里ちゃんがね、この写真がね、この山がね、…』そう、語りだすに違いない。


菟萌は、そのまま、涙と共に羅賀を、綺麗なまま自分の中に封印した。そんな菟萌の明らかに取り乱した態度に、寛子は確信した。菟萌は、直史の事を好きになっているのだろう、と。菟萌が、自覚してる以上に。それが、例え、羅賀の影に揺られた人形のような存在なのだとしても。それを、責めるつもりはない。否定するつもりもない。むしろ、菟萌が、前に進むためには、羅賀の影を消さなければならない。それは、親友の寛子が、羅賀を失ってからの菟萌に1番望んでいた事だった。




「菟萌、ゴメン」


寛子は、そっと謝罪した。その言葉に、菟萌はようやく我に返った。涙を流していた事、羅賀はまだ生きている…そう思っていた事、そして、直史の笑顔が浮かんでいた事に…。


「…菟萌、あんた、緒方君を好きになって良いと思う。忘れる…は、きっと出来るはずない。…って、私に言われたくないかも知れないけど…。でも、幸せになっても、羅賀は怒らないよ。それどころか、きっとあの笑顔で喜んでくれるよ」


菟萌は、何も言えない。そうかな?そうだね。そうかもね。そうだったら良いね。…言えない。



「私…緒方君が…好き…」

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