7回目

 おいしょ、と言いながら立ち上がり、遥さんは鞄を手に取った。そして再び、スマートフォンを取り出す。


「少し情報を探したい。私一人で見てみてもいいかい?」


「勿論です」


 スマホの中に入っている情報は、基本的にプライベートの空間だ。それを管理するのは未来のものであったとしても遥さん自身だし、その機密は俺が触れるべきではないだろう。


「ありがたいね。そこまで時間をかけるつもりは無い」


「はい」


 ぽちぽち、と慣れた手つきでスマホを操作し始める遥さんを横目に、一つ溜息をついた。少し時間ができたが、かといってすることがあるわけでもなかった。何をして待つべきか……


 あ。

 思考のフォーカスが、彼女の手元に集中する。


 そういえば、何でここにスマホがあるのか、という理由までは考えられていなかった。先輩の鞄、というものが大きな要素であったが故に、その背景が見えていなかった。

 今考えれば、おかしな話である。

 一切タイムリープが始まる前とこの教室は変化していない。つまり、時間の影響を受けていないと考えていた。その上扉や窓、つまり外界に繋がっている部分は徹底的に封鎖されている。


 つまり、この鞄は存在するはずがない。

 物理的に、出来ないのだ。俺の鞄が消失したのも同じ理由で不可解だ。起きた現象は真逆だが、要因は全く同じ場所にある。どうやって、この鞄たちは移動したのか?


 一体、いつからこの不可解は起きていた?

 タイムリープが起きる前に、不知火遥は飛び降りていた。つまり、俺たちは一回目が起きる前に八年後の時間軸を見ていた可能性がある。ならば同時期、同じタイミングで、鞄の消失・出現も起こったのと考える方が筋が通っている。


 複雑な思考が絡み合って、脳に熱がこもりだす。

 でも、もう少しな気がする。星空のように散らばった点が、もう少しで直線状に並ぶ。でも、もう一手足りない。もう少し、もう少しもう少し……!!


「深呼吸」


「ぷはっ!?」


 いつの間にか止まっていた息を取り戻すため、何回も深呼吸する。回り始める酸素が思考を明確にして、視界を鮮やかにする。


「私が言うのもなんだが、君の思考への入り込み方は不安になるよ」


「すいません、でも」


「あぁ、顔を見たらわかるさ。もう少し、だろう?」


「……流石ですね」


「右耳に書いてある」


「額とかじゃなく?」


 俺は随分特殊な場所で意思を表明しているらしい。今後はイヤーカフでもしながら遥さんと話すことにするかなぁ。


「私も一つ情報を見つけたんだが、どうしたい?このまま考えるかい?」


「いや……先に、先輩の方から聞きたいです」


「了解したよ」


 もう少しで真相にたどり着けるという実感はある。けれど、その一手がぼやけて見えないのも確かだった。何ていうかな、歴史の問題に対面して、ずーっと思いつかない時見たいな脳内だ。

 浮かんできているようで、その実何も思いついていない。


「私が見つけたのは、私の遺書だ」


「!?」


 さらり、と遥さんが口にしたのは、これまた常識の範囲外なもので。


「私もまだそれがあると分かっただけでね。読んではいない」


「でもそれって」


「そう、要因に直接繋がるかもしれない」


 誰かに書き遺した文章。そこに、死への道筋が書いてあったとしても不思議な話ではない。


「スマホで遺書、か。めんどくさかったのかな?」


「急いでたんじゃないですかね」


 どちらもあり得そうだな。

 伝統とか趣を大事にするタイプじゃないのもそうだし、自分が決めた予定の日時を守るためならいろんなものを投げ捨てる。そんな想像は容易くできるような人だ。


「さて、読み上げて行くとしよう」


「良いんですか?」


「私とて人間だ、ノーダメージとはいかないだろう」


 けれどね、と紡ぐその唇の端は、楽しそうに歪んでいた。


「こんな餌を眼前にぶら下げられて、喰いつかない方がおかしいだろう?」


「……そうでした」


 知識欲。彼女を彼女たらしめるたった一つの、それでいて彼女の根本であるもの。それが恐怖も、知らないという選択肢も飲み込んだ。たった、それだけの話だった。




 ◆



 これを読んでいるのは、誰だ?

 家族か?それとも遺物を捜索しに来た解析班か?まぁ、少なくとも私では無いな。読み直すのは物理的に不可能だ。私が死んだあと、この文章は誰かの目へと入り込むのだから。

 先に言っておこう、これは自己満だ。これを読む必要も、記録する必要もない。さぞ高尚な意思を以って私の遺物に手を付けた崇高なる死体漁りは、ここで帰って欲しい。


 さて、私は歴史の舞台から姿を消した。

 天才科学者 不知火遥は唐突に失踪した。探し回るメディアの姿は実に愉快、でもなかったが、まぁ時間つぶしにはなった。姿を消した理由は単純だ。研究をする必要が無くなった。はるかわたしで居る理由が無くなっただけだ。


 私もこうなるとは思っていなかったけれどもね。

 私の存在は、私が思っている以上に「 」に絡んでいたらしい。


 「 」はいつの間にかそこにいた。最初に気づいたのは、まだ物心ついたばかりだっただろう。離れたりすることはあれど、いつもそれは傍に在った。ああ、だからだろうな。私は、「 」を失った時に初めて。


 だから研究を止めた。君らが期待したような遺品を残すつもりは無い。

 だから死ぬ。


 訂正しておこうかな。

 読む必要がない、記録する必要もない。だが、ここまで読んだ死体漁りが居るのなら、考えてくれ。私がなぜ、この部室を選んだのか。私が何故、研究を止めたのか。私がなぜ、死にゆくのか。


 「 」の正体を。

 君らが考えてたどり着けるものなのかはわからない。実際のところ、世界はもうそれを忘れた。普通の人間は気づかない、私じゃなきゃ、知り得る事すらできなかった。でも、でも


 私の研究を享受するだけだったんだ。

 最後くらい、私を満足させてくれ。


 私を知って、考えてくれ。それが、せめてもの願いだ。

 では。



 ◆



「っ……!」


「以上だ」


 浮かんでくる。

 彼女がどんな顔で、この文章を書いたのか。きっと辛かったんだろう、きっと、きっと。だから、彼女はメモしたんだ。不可解に立ち会った時、彼女はそれを記述する。自分で抑えきれない虚しさを、文章として遺した。


 これは遺書じゃない。

 最後の、彼女の研究メモだ。


「後輩君、顔を上げてくれ」


 俯いてしまった俺に話しかける優しい声色が、脳まで届く。

 タイムリープが無かった先の世界では、彼女も同じ末路を辿るのだろうか。一人で抱え込んで、蹲って、自死を選ぶのだろうか。


「……はい」


 感情を、覚悟で押しつぶす。

 それだけは、させてはいけない。考えろ。


 彼女が誰に向けてでもなく、自分を研究するためだけに遺したメモ書きは。今この瞬間、俺たちのためのヒントになった。


「これで、何でここにスマホがあったかはわかりました」


「『私が何故、この部室を選んだのか』、だね」


 異常現象じゃないということは、これで明らかになった。

 これは彼女が自分で選んで、配置したものだった。無駄なものが一切なかったのも、元々使用するための鞄じゃないと考えれば辻褄は合う。


「だが、どうしてここにある?部室の中は前までと一切変わりがない」


「それは……っ、そうか!」


 

 遥さんはそう言った。


「先輩、部室は一切変わりないんですよね?」


「ああ、少しのずれも無いよ。それがどうかしたかい?」


 彼女はきょとんとした顔で尋ねる。

 遥さんにとって当たり前だからこそ気づけない。ズレが一切ない、なんてのは普通の人間には知覚できない。でも、彼女は違う。どんな風景でも、どんなに些細な物であっても記憶する。


 だから考えなかったんだ。

 タイムリープが始まる前と全く一緒の風景だったから、教室内には変更が加えられていないと思っていた。だから、鞄が消失し、出現したという思考になったんだ。


 実際は違う。鞄だとかそういう話じゃなくて、この部室自体が、元の場所とは異なる。限りなく八年前の今日に近づけられた、八年後の部室なんだ。


 それができる人間なんて、俺は一人しか知らない。


「……そういう、ことなんですね」


 落ちて行くその姿が、やっと気づいたのかと嘆いているようだった。 

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