第13話

「で、ジュリアン」


 マチアスが運転する車の中、ポレットはコリンヌに聞こえないよう小声で、しかし極めて刺々しい調子でジュリアンを咎めた。


「なんであんたのお姉さんも同行する訳?」

「ご、ごめん……これには訳が……」

「てっきりお礼を言いに来ただけかと思ったら、私も試練に付いていくのよ~って……。あんたの周りには揃いも揃って過保護な人間しかいないの?」


 助手席に座っていたコリンヌは二人のヒソヒソ話に気付いたようで、振り返ってニコニコしながらポレットを見た。その光景は昨日振り向きながら錠菓をくれたジョゼットの姿と重なり、ポレットはデジャブを覚えない訳にはいかなかった。


「ポレット、あなた腕っぷしが相当強いようだけど何かなさっているのかしら?」


 コリンヌは世間話を装って情報収集を開始した。


「うん、東洋のジャポレーンって国を知ってる?」

「もちろん知ってるわ。この前に万博でジャポレーンのスタイリッシュな版画や淡い色調の伝統衣装を堪能したの。ジュネの文化とはまるで違うのね。繊細で不思議な色使いで、まさにエキゾチックって感じ」

「私ね、実はジャポレーンの領事館で空手を習っているの」

「カラテ?」

「うん、私が7歳の時の話なんだけど……」


◆◆◆


 それは3年前の、ポレットがまだ7歳の頃の出来事だった。


 普段は家で仕事をするシモンが珍しく用事で家を空けていたため、ポレットと当時4歳のジャニーヌがシモーヌの職場兼実家であるビストロ「バイユモン・ド・シャ」で夕飯を食べようと繁華街に向かっていた時のことだった。


「おねえちゃあん、”きっしゅ”まだあるかな?あれだーいすき!」

「まーたキッシュ?たまには他の料理を食べなさいよ。あんたカスレって食べたことある?すっごく美味し……」


 二人が呑気に夕飯の話をしながら歩いている最中、どこからか男たちの怒声が聞こえてきた。


「おらあ!くそジジイ、わかったかよコラ!」

「悪かった!許してくれよ!もうやめてくれえ!」


 ロエベ通りのど真ん中で何やら騒ぎがあるようだった。ポレットがジャニーヌの手を引いて現場に向かってみると、ビストロの常連である家具職人のダミアンが地べたにうずくまっていた。


(ダミアンのおっちゃん!)


 倒れ込むダミアンの周りをいかつい若者三人組が取り囲み、助けを請う彼を何度も執拗に蹴っていた。ダミアンの皺くちゃの顔は腫れあがり、口と鼻からはぼたぼたと血を流し、離れた場所に落ちている眼鏡はヒビだらけでフレームも折れ曲がっていた。


「ちょっとお、誰か助けてあげなさいよ」

「酔っ払い同士の喧嘩だろ?ほっとけほっとけ」

「やばいやばい、骨折れてるよありゃ。警官はまだ来ないのかよ」


 通行人はトラブルに巻き込まれまいと遠巻きに見ているだけだった。姉妹は酔っ払いだが親切で、いつも二人にポケット菓子をくれるダミアンのおっちゃんを助けてあげたかった。でも幼い女の子二人が喧嘩の仲裁をできる訳がない。ジャニーヌは目の前のショッキングな光景に大泣きし始めた。


「おねえちゃあああん!おっちゃんちがでてる、うわああああああ!」

「ジャニーヌ、落ち着いて。うっううっ、うわああああ!」


 ポレットもジャニーヌの悲痛な泣き声にもらい泣きをしてしまった。


(何とかしないとおっちゃんが死んじゃう!でもでも、あんな怖そうな男たちに立ち向かえるわけないじゃない……)


 周りを見渡したが、通行人は我関せずを決め込み誰一人として関わろうとしない。


(どうして周りの大人たちは誰もおっちゃんを助けてくれないの?)


 そこにスーツ姿の小柄な男が静かに男たちの間に入っていった。まさか自分たちに歯向かう人間が他にいると思わなかった若者たちは一様に驚いた顔をした。


「おいおい、まさか俺たちに文句があるってか?」


 眼鏡をかけたこの中年男性は異邦人のようだが、口から出たジュネ語は流暢だった。


「君たちは人殺しになりたいのか?私が相手になるよ。だからもうこの男は放っておきなさい」


 周囲を囲んでいた通行人たちが一斉に騒めき始めた。


「おいおい、あの東洋人のおっさん何考えてんだ」

「あーあ、知らねーぞ」

「ちょっとお、警官はまだなの?これ以上血は見たくないわ」


 見物人たちが心配するもの無理はなかった。髪が白くなりかけているこの異邦人は身長が170cmもなかったし、どう見ても50歳は超えていた。それに対し刺青をした若者三人の背丈は軽く180cmはあり、腕も丸太のように太かった。


 酔っぱらっていた若者達は相手を嘲る嫌な笑い声を出した。


「なんだあ?またジジイ相手かよ」

「東洋人か?ちっちぇえなあおい」

「おめー勇気あんな。おし、ハンデとして一発だけ先に殴らせてやるよ」


 その異邦人はくすりと笑った。

 

「そうかい?じゃあお言葉に甘えて……」


 男が三人の中に飛び込んだ後のことをポレットはよく思い出せない。顎を砕くパンチや弧を描くキックはそれほど早い動きだったし、1分も掛からないうちに三人組は地面に寝転んでいたからだ。ポレットは目の前の出来事が信じられなかった。ガラの悪いチンピラどもをバッタバッタとなぎ倒す小柄な中年男。それは彼女にとって、この世の法則が逆転してしまったような驚天動地の大事件だったのだ。


(すごい、すごい、すごおおおおおい!)


 その頃は今よりも少しだけ引っ込み思案だったポレット。彼女はありったけの勇気を出して警官と話し込んでいる異邦人に話し掛けに行き、生涯続けることになる空手と初めて出会うのであった。


◆◆◆

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