One half

霜月このは

第1話

 人の波をかきわけて歩く。吹き付ける風が、首筋や指先を冷やす。あのどんよりとした曇り空が泣き出してしまう前に、早く家に帰りたい。そう思って、早足で横断歩道を渡っていた、そのときだった。


 ふわっと香る、甘い匂い。ローズ系の香水のような。

 私は、その香りを知っていた。


 思わず振り返る。すると、その人も振り返る。


 こちらをまっすぐ見つめながら、彼女は私の方へ向かってきた。その瞳から、私は目を離すことができない。

 忘れもしない、そこにいたのは、かつて私が誰よりも愛した女性だった。



かなめ……?」


 彼女は、私の名前を呼ぶ。まっすぐに私の目を見つめたまま。


琉海るみ、だよね」

「うん! やっぱり、要だった! 久しぶり! 元気にしてた?」


 そう言って、私の肩にぽん、と触れる。


「元気だよ。琉海は?」

「わたしも元気! ううん、今、元気になったとこ!」

「なにそれ」

「だって……要に会えたから」


 彼女はそんなことを言う。あの頃とちっとも変わらない、キラキラしたその瞳を向けて。



 *


 私と琉海が出会ったのは、大学一年生の夏だ。私がなんとなくで入部した音楽サークルに、琉海はいた。


 ふわふわとした天然パーマの髪に、素のままで十分に長いまつ毛は、まるでお人形さんのようで、そこに真っ白なワンピースなんて着ているものだから、見るからに女の子、という感じで。きっと男の子にモテるんだろうな、なんて思って。

 どちらかといえばボーイッシュな見た目で、黒ばかり好んで着ている私とは対照的だった。


 彼女の魅力はもちろん、それだけではない。

 琉海の声はとても美しくて、輝くようで。彼女が歌うと、その場が途端に明るく華やかな雰囲気に包まれる。

 私はその歌声を聴くのが好きだった。


 琉海は歌だけでなくピアノの演奏も上手だった。彼女の弾くピアノの音に合わせて、私も歌ってみると、不思議と心地よくて。今までの誰と一緒に演奏するよりも、琉海との演奏は楽しいものだった。


「ねえ、要の声って、このあたりの音域、ちょっとわたしと似てない?」


 あるとき、琉海はそんなことを言ってきた。

 録音を聞いてみると、確かに言わんとすることはわかる。確かにある音域に限れば、私の声と琉海の声は似ている瞬間がある。


 同じ音域でデュエットをしているところを聞けば、時々どちらが歌っているのかわからなくなるほどで。

 同じサークルの他の仲間なども、それを聴いて『まるで双子みたいだね』なんて感想を漏らすほど。

 しゃべる声は全く違うというのに。それがとても不思議だった。


 私と琉海の似ているところは、それだけではなかった。好きな音楽も好きな食べ物も、好きな小説も、全て同じで。

 私たちは同じサークルに入っていたけれど、それ以外でも、まるで示し合わせたかのように同じ授業を取ったり、別々に食べたお昼ご飯で選んだメニューも、よく一致していた。


 似ているというよりも、まるで何かの電波で繋がっているのではないかと思うことさえあった。

 たとえば、私が空腹を覚えて、まだお昼前だけど学食で何か食べようか、などと思ったまさにその瞬間、ポケットの中が震える。もちろんそれは、琉海からの食事の誘いだ。


 またあるときは、授業に集中できなくて、サボって歌の練習でもしようか、などと思い始めたタイミングで『今からカラオケに行こう』などと誘われた。毎度その誘いに乗ってしまう私も私だけど、そういうことは一度や二度ではない。


「要、この後、暇? ケーキ食べに行かない?」

「いいけど、この前行ったばっかりだよね?」

「だってケーキだよ? ケーキはいつ食べてもいいんだよ!」


 琉海はいつも、そんなような適当なことを言う。


「ほら、行くよ!」


 そう言って、私の手を取って歩き出す。琉海の手は温かくて、触れるとなぜだかピリピリとした感覚に襲われる。まるで、電気が走っているみたいだった。

 あるときそれを言ったら、琉海は驚いた様子で答えた。


「わたしも……それ、わかる」


 同じような感覚を琉海も感じているとわかって、私の胸は高鳴った。


「なんだろう? 要とわたしが、実は運命の人だったりして」


 琉海は冗談ぽくそう言って笑うけど、その言葉で私の心の中は、重い雲のようななにかで覆われる。


 それが何なのかなんて、本当は考えるまでもないのだけど、私はそれをあえて曖昧なままにしておきたかった。

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