業務内容、遂行します

※登場人物が不快な行動・発言をしております。

 


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 朝の出勤時間。

 ぴ、と社員証をカードリーダーにかざして入室すると、橋本が寄ってきた。


「おはよん、蓮花ちゃーん」

「おはようございます。橋本さん。すみませんが、その呼び方は不快なので、やめてください」

「朝から塩対応!」

「……」


 このやり取りも日常になりつつある。スルーしつつ、自席に鞄を置き、ラップトップの電源を入れる。

 机の上に「会議資料、コピー願います。十五部」と付箋のついた資料が置かれていた。

 何時からの会議で使用するのか、など必要な情報が全く書かれていない。仕方がないので、最優先で対応しておこうと判断し、コピー機へ向かう。


「蓮花ちゃーん! なんか手伝う?」

 

 べたべたと何故か橋本がついてくる。

 この男は、これをセクハラだと訴えると、そっちが無視している、と訴え返す。そのため、人事も対応しかねているのだそうだ。

 鉄の心臓だな、と蓮花はある意味感心する。

 一日に何度もアドレスやIDを聞いてきたり、隙を見て肩に手を置いたり、髪に触ってきたり。

 そんなことで女性の好意を得ることができると、本気で思っているのだろうか。


 黙っていたら、そのままコピー機までついてきた。

 

「その地味眼鏡の下、見たいなーなんで髪の毛染めないの? 逆に黒髪、燃えるけどねっ」


 とりあえず、ガン無視する。

 

「冷たい態度も、燃えるんだよねー俺」


 いっそのこと燃え尽きてくれまいか、と蓮花が溜息をついていると、珍しく二神が話しかけてきた。

 

「申し訳ない、ちょっと至急でそのコピー機、使いたいんですが」

「ちっ」

「どうぞ」

 蓮花がコピー機に広げていた資料をどかそうとすると

「あれ、その資料……ちょっと見ても良いですか?」

 と言ってこられたので承知する。

「どなたか分からないのですが、このメモがついていました」

「おかしいな? それもう、使わないやつですよ。誰の字だろう。一課長に確認した方が良いかもしれません」

「そうでしたか。教えてくださってありがとうございました」

「いえいえ、どういたしまして」


 一課長は、出社しているだろうか、と机の方を見ようとすると、橋本が立ちふさがった。

「なんで俺は無視なのに、二神とは話すんの? 差別じゃない?」


 ガシャン、ピッ、ピッ。――ウィーン――シャコーン、シャコーン。


 背後で二神がコピーをしている。

 蓮花は、気にせず答える。


「ただの業務上の会話です。橋本さんのは、業務ではありません」

「うわ、傷ついたー差別ー」


 ――シャコーン、シャコーン。


「差別?」

「そうだよ。俺は無視、二神は無視しない」


 その言い分で、本当に通じるとでも? と蓮花は呆れる。

 

「口説いてやってんだからさ、少しは嬉しそうに」

「口説いてて、ものすごい上から目線ですね」

「女なんて、どうせ若いうちしか相手してもらえねんだからさ」


 ――シャコーン、シャコーン。


「橋本さん。ここ、オフィスですよ」

「優等生ぶんじゃねーよ。どうせ影じゃビッチなんだろ? 派遣やってるぐらいなんだから、男漁りに来てんでしょ」

 

 なかなか凝り固まった価値観をしてるなあ、と蓮花は呆れた。


「すごい決めつけですね。非常に不快なご発言をされていること、お分かりにならないのですか」

「そっちこそ、この俺が話しかけてやってんのに、無視してんじゃん」

「会話になりませんね」

「あ! 今バカにした?」

「していません。事実を申し上げました」

「あーあ、社員にそんな口きいたらクビだよね、派遣ちゃん。クビにしてあげるねっ」


 

 ――ぞわり。

 背筋が、粟立つ。

 の、存在感が増した。神経を集中させるが……気配がつかめない。ここには人が、多すぎる。

 


「やれやれ。完全にアウトですね」

「あ?」


 振り返ると、二神が冷えた目でスマホを耳に当てていた。

 

「渡辺部長、今の発言全て、聞かれてましたよね」

 電話口で放つその名前は確か。

「え……」

「あとのことは、お任せしますね。朝から大変不快でしたので、しかるべきご対応を迅速にお願いいたします。では」

 タップして会話を終わらせた二神は、橋本に言った。

「こんなクソと同じ会社の人間だって思われたくないな。大変でしたね。えっと……」

「霞と申します」

「霞さん。人事部長に直接今の発言、聞いていただいていましたので、安心してください」

「なるほど。それはお手数をおかけいたしました」

「こちらこそ。不快な思いをさせて申し訳ありません」

「は? おいなに勝手に」


 二神も、橋本を無視した。

 

「一課長、渡辺部長からお呼び出しがあると思いますよ」

「……分かった」


 いつの間にかコピー機エリアには、多数の社員たちが集まっており、その中に橋本の上司である一課長もいた。


「いやいや、俺社員だ……」

「橋本。お前はもう黙れ。こっちに来い」


 ――課長も、アウトだね。私への謝罪がなかった。

 

「一課長もダメだね。情けないなあ」


 二神の独り言と全く同じタイミングだったので、蓮花は思わずまじまじとその顔を見てしまった。そしてその肩越しに、尾崎と目が合った――なぜか、怯えていた……

 

 

 

 ※ ※ ※

 


 

 結局橋本は、自己都合退職になった。

 人事部長は「セクハラでクビになるのと、自分で辞めるのどっちが良い?」と聞いたらしい。甘いことだな、と蓮花は溜息をつく。再教育を行わず、あのような考えの人間を「大企業の職務経歴」保持のまま世間に放流するのだから。人事は人事たる仕事をしていないことにも、気づいていないのだろう。

 

「すみませんが、しばらく残業をお願いします」


 そのしわ寄せで、一課長が、プレゼン資料作りを蓮花に丸投げしてきた。

 来月行われる展覧会の出展企業ブースで、無限ループさせて流す、製品のプレゼンを作る人間が必要とのことだった。

 

「承知しました」


 カタログの山に大量の付箋。対象となる製品をマークしてくれているだけでもマシか、と資料の山を机に築き上げる。

 残業は願ったりかなったりだった。そろそろ夜のオフィスに残る口実を考えようか、と思っていた矢先だったからだ。


 出るか。誘うか。

 展覧会まで、十日ある。

 この十日が勝負だ、と蓮花は左手のひらを見つめた――よく見ると親指の付け根に、小さな蓮の花の刺青いれずみがある。ぱっと見は分からないので、万が一誰かに聞かれても「ホクロです」と言ってごまかせている。


蓮華れんげの出番、あると思う」


 つぶやくと、じく、と刺青が疼いた。


 

 

 ※ ※ ※

 


 

 月末の締め業務が終わって次の週の水曜日。落ち着いたせいか、残業をしている者は、蓮花だけだった。

 オフィスの施錠は、ビル入り口の警備員がしてくれるので心配はいらない。残っていることだけ伝えていれば大丈夫ということで、とりあえずは資料作りに集中していた。

 

「さて。どう出るかな」


 の気配が最も増したのは橋本に絡まれた時で、それ以降は再びを潜めてしまった。だから、餌を撒いた。


 私、最近ずっとひとりで残業なんです。憂鬱です――と。


 ラップトップ右下の時計は、夜九時を回ったところだ。しんとした暗いオフィスで、ブルーライトだけが蓮花を照らしている。

 カタカタ、カタカタ、カチッ、カチッ。

 カタログの写真を切り取って、商品説明をコピペし、体裁を整えていく。アニメーションも付ける。

 カタカタ、カタカタ……


「がんばってるねえ、れんかちゃーん」


 ゆらり、と立っていたのは――橋本だ。へらへらしている。


「橋本さん。退職されたのでは」

「今日、社員証返しに来たんだよ」

「お疲れ様でした」

「……こんのぉ、おまえのせいでええええええ!」


 激高して、襲い掛かってきた。


「うるせえな」


 蓮花は、立ち上がると――橋本の振りかぶった拳をその手で即座に弾き飛ばし、手首を握って後ろ手に捻りあげる。


「!?」

 

 そのまま足首を蹴り飛ばし、床につっ伏す姿勢にさせて背中に乗り上げ、腕を引き絞ったまま膝でぐりぐりと背中を押してやった。


「イダダダダ!」

「女を言葉と暴力で蹂躙できると思ったのか?」

「うぐぐぐ」

「蹂躙された気分はどうだ、ゴミクズ野郎。てめえのような脳みそ空っぽの、下半身だけで生きてる奴に、価値なんかねえよ。てめえが辞めた時、誰か惜しんでくれたか?」

「あがが」

「女は若いうちしか相手にされない、だっけ。何言ってんだか。そんなやつこそ将来『家に帰ってくんな。邪魔だし臭えんだよATM』って言われんだよ。あ、退職だからATMにもなれないか」

「うがぐぐ!」

「俺は違うって思ってんの? 好きにすれば。てめえなんかに興味ねえよバーカ」

 

 蓮花は、机の引き出しをガラガラ開けると、荷造り用のビニール紐で器用に橋本の手足を縛っていく。

 

「こ、こんな、こと、して! 犯罪だっ!」

「いやいや笑かすー。あたしに殴りかかってきたの誰? ほら防犯カメラついてるし」

「!!」

「これ、正当防衛。前科おつ」

 

 ガクリ、と首を垂れる橋本を、立ち上がって見下ろしながら、蓮花は静かに告げる。


「尾崎さん。これで満足ですか?」

「!」

 


 身を潜めていた尾崎が、震えながら立ち上がった――

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