第12話 歌謡曲歌手の道へ

  私は自費で佐原徹先生の下でレッスンを始めた。勿論自費と言っても高名な先生だ。今の持ち金ではとても足りない。だが先生は足りない分は出世払いで良いと優しく言ってくれた。一度は手がけた教え子を不憫に思ったのだろう。それは有り難い話だがそんなに甘えて良いものか。やせ我慢しても今は先生の情けに縋るしかない。きっといつかは何倍も恩返しをしたいと肝に銘じた。その翌日からレッスンが始まった。


そのその佐原先生はレッスンの途中に、こんな事を言った。

 「ところで君は以前のようにポップス歌手になりたいのか」

 「……他に知りませんし、私はどういう歌が良いのでしょうか」

「私が思うに君の声は演歌に向いているね。少しテンポを遅くすれば声も伸びるし」

「えっ演歌ですか?」

 演歌、考えた事もない世界だが、今までテンポの速い曲でなんとか誤魔化して来た。 私は選ぶ自由はない。演歌に詳しい先生がそうだと言われれば、その道を進むべきだと思った。

それから週二回から三回のレッスンが始まった。しかし他の日はすることがない。つまり無職で収入がない。これではやがて貯金も底をつく。だからと言ってアルバイトはしたいが、忘れ去られたアイドルと言っても顔は知られている。見つかったら落ちぶれたアイドルがアルバイトをやっていると噂になり、やがては週刊詩に恰好のネタとされる。それを覚悟で働く勇気はなかった。


つづく

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