第九話 二つ目のお願い

 女の子の家の前で待つなんて、生まれて初めてだ。玉砕して来いと言われたが、振り向かれる自信なんて全くなかった。


 冬月邸―ここら辺じゃ、この豪邸を知らない人はいない。家の近くを何回も通ったことはあったが、自分とは住む世界が違う人間が住んでいると思っていた。改めて見るとその屋敷の大きさに驚いてしまう。有紗がこのお屋敷のお嬢様だとは。池から見ると向こう岸まで建物が続いていた。


 時計の針を見る。もうすぐ七時になる。田中さんの話では有紗は七時ちょうどに家を出てくるようだった。


 時計の針が七時に近づいてくる。


 自分の心臓が早鐘はやがねを打つ。


 息が苦しくて、たまらない。


 会うのが怖い。


 お嬢様だと分かった途端に見るものが全て変わった。


 自分とは住む世界が違いすぎる。


 僕は逃げたくなる心を必死になって抑えた。


 有紗が僕に声をかけたことに比べたら、待つことなんて大したことない。


 そうだ。有紗はあの時、勇気を出して僕に声をかけたのだ。


 今はそれだけを信じるんだ。


 ぎぎーっと大きな音をたてて、目の前の門がゆっくりと開いていく。


 扉の中から姿を現したのは『有紗だ』。


 待ち焦がれていた彼女は、制服に身を包み、肩までの髪の毛は風に少し揺れていた。昨日と変わらない髪型と制服。


 それでも彼女は眩いばかりの輝きを放っているように見えた。


 いつもよりも遥かに可愛くそして、とても愛おしい。


 僕が呆然ぼうぜんと有紗を見ていると、有紗の顔が驚きの表情に変わった。


「あれ、れれれ、佐藤くん?」


 有紗は僕の顔をじっと見つめる。


「ごめん、家の前にまで来てしまった……」


 気の利いた言葉が思い浮かばない。事実のみを告げ、そのまま立ち尽くす。


「わたしの家バレてたか。もしかしたら気づいてない可能性、ワンチャンあるかと思ってたんだよ」


 口に手を当てて、あはははっと笑う有紗。その表情を見て、少し心が軽くなったような気がした。


「でっ、ねっ、わたしに何か用なのかなっ?」


 後ろ手にいつもの悪戯ぽい笑顔だ。その笑顔を見ていると昨日のことが嘘だったように感じられた。


「えとさ、もしよかったら一緒に……その」


「一緒に学校、行こうか!」


 僕が話しにくそうにしていると、有紗は僕の手を思い切り引いて、走り出した。


「ちょっと待って、その前に。昨日のこと……」


「昨日、あっ、そうだよ!」


 思い切り、僕の方に振り向いて小さな声で言った。


「3択でいくよ?」


「なんの3択?」


「昨日のこと知りたいんでしょ。それなら、3択で行かないとダメでしょ」


「ダメなの?」


「そうだよぉ、人生はクイズだよ。えらい人も言ってた、……かもしんない」


「かもかよーっ」


 いつもの有紗だ。心配することなどなかったんだ。昨日の苦しみから解放されたように感じた。


「じゃあ行くよ。私は昨日屋上で何をしてたでしょうか」


 そう、今の彼女は紛れもなく”いつもの有紗”だった。なら、真実だけを伝えないとダメだよな。


「抱きしめられてた!」


 僕が答えると目の前の有紗は、大きな瞳をさらに大きくして……。


「えっ、ええええっ。クイズにならないじゃん。ていうか、もしかして佐藤くん、エスパー?」


 と言う。驚く方向が違うような気がした。エスパーなんて大それたものじゃなくて……。


「普通の人間だよ」


 いや違う、本当は女々しいだけのモブ男だ。


「だよねえ、安心したよぉ、エスパーなら私のこと全部知られてるってことだよね。それは恥ずかしすぎるよ」


「恥ずかしいこと考えてたの?」


「えーっ、乙女の秘密、知ろうとするんですか?」


「いえ、そんな事しないよ」


 そこで有紗は背伸びをして僕の顔を覗き込んだ。慌てて僕は距離をとってしまう。


「あはははっ、いつもの佐藤くんだ」


「ちょっとびっくりするよ」


「……、もしかして佐藤くんも屋上にいたの?」


 じっと僕の目を見つめる有紗の目。その瞳に吸い込まれそうだ。もし、有紗の心の中が覗けたら、何が見えるんだろうか。


「ごめん、気になって……」


「そっか、気にしてくれてたんだ。それはそうと、昨日のこと知りたい?」


 知りたい。昨日、なぜ抱きしめられていたんだよ。君のことがこんなに好きなのに。なぜ太一なんかに。なんて、こと言えるわけもなくて。


「もちろん、それに田中さんも心配してたよ」


「あーっ、だから今日はひさみん来てないのか」


「ひさみんって?」


「久美のあだ名だよー、言ったら毎回、言うなって言われるけどね」


 あはははっ、と笑う。


「昨日、電話かけてきたんだよ。いつもと違ったって」


「そうか、昨日のわたし、みんなを心配させてたんだね。君が屋上まで来るくらいにね」

 

 有紗の視線はわたしのことどう思ってるのって聞いているように感じた。本当は好きだと言いたい。だが、その2文字をいう自信が全くない。それを言ったら玉砕してしまうような嫌な予感がした。


「えっと、あのさ、やはりラブレターだから気になるじゃん」


 笑いながら、僕は言い訳で取り繕う。


「だよねぇ、テレビ番組で行ったら、クイズの答えが出る前にコマーシャルが入るようなもんだよね」


「いや、そう言うのとは違う、と思うけど……」


「そうか、それとは違うのかぁ。まっ、いいや。その答えの前にね。二つ目のお願いしてもいい?」


 有紗は違うと言った言葉を軽く流してしまう。そしてじっと僕の目を見た。その目は暗く憂いを湛えているように見えた。


「えっ? 二つ目のお願い?」


「だよぉ、二つ目だよ」


「いいけども、なんか思わせぶりだな」


「いいの、いいの。じゃあさ、言うねぇ」


 有紗は瞳を閉じて、両手をギュッと握った。


「次の中間テストなんだけどね。佐藤くん、わたしよりもいい点数取ってください」


 それだけ言うと息をふうっと吐き出した。驚いたのは、僕だ。

 

「えっ、えええええっ、本気まじですか?」


「はい、本気です」


 有紗といえば毎回学年二位の天才だ。彼女より上位の点数を取るなんて可能なことなんだろうか。有紗は条件を付け加える。


「全科目とは言わないよ。とりあえず、そうだねぇ、一科目でいいや」


 平均点あたりでうろうろしている僕にはそれさえ不可能なことだとは思えた。しかも、有紗は……。


「ごめん、後もう一つ条件。お願い、学年の順位が張り出されるよね。あそこに載ってください」


 ”お願い”の部分が強調されたように感じる。


「確か学年の30人までの上位者が張り出されるんだっけ?」


「そうそう。だめ、かな?」


 有紗は僕をじっと見つめる。そんな目で見られたら、うんと言わないわけにはいかないじゃないか。


 試験まで二ヶ月か。不可能に思えるほど遠い距離に見える。もう話すこともできないと思っていた。今は、その可能性に賭けてもいいと感じた。


「もちろん、教えてあげるよ」


「えっ、冬月さんとが教えてくれるの?」


「学校では目立つから、君の家でね」


 そう言ってニッコリと微笑む。そこまで言わせたら、もう迷ってなんていられる訳がない。


「わかった。頑張るよ」


「うん、一緒に頑張ろう」


 ただ、どうして、こんなことを言い出したのだろう。やはり僕が頭が良くないからだろうか。


「やっぱり頭がいい方がいいよね。太一とか……」


 僕がそう言うと有紗は悲しげに答えた。


「ごめん、正直。頭の良さなんて、どうだっていいよ。けどね、わたしもひとりで生きてるわけじゃない。空気なんて読みたくもないし、こんなお願いしたくないんだけどねぇ」


 太一のことと関係があるのだろうか。あの時、何を言われたんだ。


「太一のことは……」


「ごめん、その話もうちょっと待ってねぇ。秘密があった方が謎があっていいでしょ」


 と微かに笑った。


「そうなの?」


「うん、きっとそうだよ。じゃあ、一緒に学校いくよーっ」


 有紗はそれだけ言うと今度はニッコリ笑って、僕の手を握った。少し歩いて立ち止まる。


「学校ではごめん、あまり目立たない方がいいと思うからさ」


「あまり声をかけない方がいいのか」


「ごめんねぇ。中間終わったら全部話すから」


 きっと太一と関係があるのだろう。屋上で何を言われたのか。結局、本当の答えはもらえていない。ただ、一緒に勉強ができる。そのことがとても嬉しかった。




――――――


 佐藤くん、勇気出してよかったね。それにしても30位なんて大丈夫なの?


 一緒に勉強、学校では他人のふり。


 二重生活が始まりそうです……。


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ここ重要! 


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