本編 第5章 「天気も敵」

第32話 「夢がいなくなった後は」

 夢だと思いたかった。

 さっきの電話番号にかけなおそうと思った、でも非通知だと出来なくて。先輩はこれを見越してたんだって気が付いた。


 やっぱり無理しても嫌われても同じゴンドラに乗るべきだった。

 夢が全て叶ってしまったら先輩がどうなるか、考えてなかった。

 いや、目を逸らしてただけかもしれない。

 僕は、先輩の夢を叶えるって大義名分に甘えてたんだ。


 ―どうなりたいのです?―


 舞ちゃんにそう聞かれていたのに、うやむやにしていた。

 ずっと隣にいられるだろうって甘えて。

 ずっとこんな日々が続けばいいって願って。

 先輩の夢を叶えるためだって、自分から目を背けていた。


 踏み出すのが怖かった。

 この夢が覚めることが嫌だった。


 そう言い訳して、今まで逃げていた。

 重い腰を上げるには遅すぎたのだ。好きと伝えると決めるタイミングは、とっくのとうに過ぎ去っていたのだ。

 それに気が付いたのは、全部終わってから。夢が覚めてから。


「せんぱーい! どこですか!」


 自然と足が動いてた。

 芝生を、コンクリートを、砂浜を蹴って公園内を駆け巡る。

 どこにも見当たらない。でも、それは西日が僕の視界を奪っているせいだと信じた。

 僕は諦めたくなかったから。


 夕焼け色に染まった公園内は、やけに広く感じた。

 渚橋も、海浜公園も、水族園の前も赤いワンピースの女の子はいない。

 まるでこの茜色の空に溶け込んでしまったかのように。

 身体が重い。肺が痛む。喉が渇く。息が切れる。視界が眩む。苦しくて仕方がなくても、足を止めようだなんて思えなかった。

 だって、このままお別れなんてしたくなかったから。

 観覧車の近くまで戻ってきたとき、僕はヘロヘロだった。

 この時の僕を動かしていたのは「先輩を見つけなきゃ」って思いだけで、身体はとっくについていってなくて。

 足がもつれて勢いのままに地面にぶつかった。

 ガツンと衝撃が膝と手の平に走る。


「ツッ!」


 呻き声にすらならない空気が口から漏れた。

 濃い土の匂いが、口に入った雑草の苦みが、現実だって教えてくれる。

 手足の痛みによって、夢じゃないんだって気付かされる。

 すぐに立ち上がることが出来なくて、しばらくの間は地面にへばりついていた。


―「そんなことないよ、だって私にとってのヒーローだもん」―


 こんなところで躓いている暇はない。

 こんなところで止まっているわけにはいかない。

 無気力に横たわってはダメだ。


「あ」


 その瞬間、ある人が頭をかすめた。

 ランさんなら何か知ってるかもしれない。

 なんであの人のことが頭から抜け落ちていたのだろう。先輩について、夢について、僕より何倍も詳しいのに。

 零四七五から始まる電話番号を打ち込んでいく。


 プルルルル、プルルルル、プルルルル、プッ!


「もしもし、ランさん!」

『おかけになった電話をお呼びしましたが、お出になりません』


 僕の声を被せるように、無機質な自動音声が聞こえてきた。

 出かけているのか、寝ているのか、僕には分からない。

 どちらにせよ、直接行くしかない。

 転んだ痛みで身体の疲労を誤魔化しながら、駅まで走る。

 喉は焼けるように痛んで、足は靴底と地面がくっついているかのように上がらない。でも、前に進むことを止めない。

 改札を通って、ホームまで続く階段を一段とばしに上る。途中ガクンと踏み外しそうになった。


 その瞬間、視界がブラックアウトする。

 多分、疲労がピークに達していたのだろう。

 でもそんなの関係ない。

 そんなつまらないことで足を止めるわけにはいかない。


「ここで、諦めるかよ」


 もはや音にすらなってない。

 でも、そう自分に言い聞かせて無理やり身体を引きずり上げる。

 ようやくホームに辿り着いた時、発車ベルが耳に届く。


 この電車を逃しちゃまずい。

 僕はそれだけを考えて、『駆け込み乗車はおやめください』の声を無視して、倒れ込むように電車に乗った。

 僕の身体が電車の床に叩きつけられる。さっきと違って固い床が僕の全身を迎え入れる。

 遠くでパンポーンパンポーンと電車が閉まる音がした気がした。

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