本編 第3章 「幸せは潮の香り」

第14話 「スノードームの壊し方」

 深瀬先輩が目の前で消えた後のこと。

 僕はランさんと二度と来ないと思っていたビルに来ていた。

 散らかった部屋の主であるランさんはソファに足を組んで座っている。


「で、どこから知りたいのー?」

「分かってて聞いてますよね」

「……まーね」


 正直、知りたいことしかなかった。

 頭の中はぐちゃぐちゃで、何の整理も出来てない。


「何が起こったんですか? 深瀬先輩って何ですか?」

「まー、そうなるか」


 どこから説明しようかなー、と顎に手を当て考え始める。


「じゃあ、藍って何者ってとこから始めようかな」

「夢って言ってましたけど」

「まー、その通りなんだけどね」


 その言葉を聞いて、ズシンと胃の辺りが重たくなった。

 少し前、夢か現実か分からないって思っていたけど、他の人に言われると心が締め付けられる。

 しかも、夢の専門家である先輩の親族に。


「正確に言うと、夢を叶えたいって願いそのものかなー」

「願い……」

「あれ、冷静だねー?」

「そんなことはないです」


 表に出てないだけで、ショックは受けていた。

 だって好きな人が夢だって、自分と違う存在だなんて知ったら悲しいだろう。怒るための余裕と、泣くだけの気力が備わっていないだけだ。


「もっと取り乱すかと思ったんだけど」

「取り乱す元気がないだけです」

「本当にそれだけ?」


 僕が何か隠し事をしているんじゃないかって疑うような目をしていた。


「本当ですよ。先輩が夢だなんて、本人から一度も聞いてないですし。でも……」

「でも?」

「初めて会った時、春休み明けに再会した時、あまりにも出来過ぎてたんです。それこそ夢だって疑ってたくらい」


 今思うと、あの時の直感は合っていたんだな。

 間違っていてほしかった。少なくとも、現実だって信じる前に、夢だって知りたかった。

 そうすれば、この喪失感を味わうことなんてなかっただろうから。


「そーゆー言い方するってことは夢じゃないって思ったきっかけでもあったの?」

「学生証見せられた時ですかね」

「なんでー?」

「僕一人を言いくるめるために、わざわざ身分証偽装しないでしょ」

「どーだかね」

「ま、結局は最初の予想通りだったわけですけど」

「そんなもんだよ」


 ランさんは小さく笑った。

 何かを諦めたような、投げやりな笑い方に見えた。

 僕は探るようなことを言わなかった、今は先輩のことで手いっぱいだったから。


「夢なのに触れたり会話が出来る理由ってなんですか?」

「浅葱くん。夢ってね、理屈じゃないんだ」


 ランさんは前のめりの体勢になって語り始める。


「願いの強さが大切なんだ、突き詰めていけば現実に辿り着くことだって出来る。それこそ夢と現実の境を曖昧にすることだって可能だよ」


 ついこの間、露草から似たような話を聞いたことを思い出した。

 確か、夢と現実は隣り合っているとか、夢は一番身近なパラレルワールドとか言っていた気がする。


「先輩は夢なのに、親族とかいう概念あるんですね」

「夢って人がいないと成り立たないからね」

「もしかしてベースがいる、とか?」

「おー正解、詳しいねー」


 ランさんは、お見事! と手を叩く。

 なんだよ、露草。あいつ何でも知ってるわけじゃないとか言っときながら、しっかり詳しいじゃないか。


「友人に似たようなことを聞いたので。それより、先輩のベースって……」

「それは教えられないな。浅葱くんの接し方が変わっちゃうだろーから」

「絶対?」

「うん、こればかりはね。藍には幸せな夢を見てもらいたいから」


 僕に伝えるためではなく、先輩へ向けられた愛情のような言葉に聞こえた。

 ああ、大事に思ってるんだな。

 そう感じ取るには十分だった。僕の母さんとは違う、慈愛に満ちたような瞳をしてるんだから。

 これ以上、何か言うのは野暮ってもんだろう。


「もっと聞きたい?」

「いえ、まだ本題が残ってるので。なんで先輩が消えたのかって」


 こっちに関しては見当もついてない。

 そりゃそうだ、だって目の前で人が消えるなんて見たことないんだから。


「浅葱くんてさー、夢見る?」


 足を組みなおしながら、ランさんは言った。


「ぐーぐー寝てる時に見るやつ」

「まあ、たまに」

「高いところから落ちる夢を見たらさ、ビクッて飛び起きたこととかないー?」


 そんな話、前に湊と舞ちゃんとしたな。

 夢の内容を覚えてなくても驚くし、嫌な汗をかくって。僕も一度や二度は見たことがあるような、普遍的な夢だ。


「あー、いやらしい意味じゃなくてね」

「そういう冗談はいらないです」

「もー、浅葱くんは冷たいなー」


 ランさんは、わざとらしくいじけたような声を出す。

 ついさっきまでは立派な保護者の顔をしていたのに、すぐにこういう話を始めるんだから、この人は。


「そうしないとランさん悪ノリするでしょう」

「まーね」

「認めないでください」

「真面目に話すから許してよー」

「お願いしますよ」


 僕がそう言うと、ランさんはどこからかスノードームを取り出した。

 ランさんの手の平に収まるサイズで、サンタとクリスマスツリーが入ったよく見るデザインのものだ。


「あたしが関わってる研究ではね、夢ってコレに例えることが多いの」


 スノードームを指差して言う。


「好きな物だけ詰め込んだ、自分だけの小さな世界。ガラスのドームで蓋をして外に出て行かないように閉じ込めてる。一見、隙が無いように見えるけど弱点があってねー」

「弱点?」


 僕が首を傾げていると、ランさんは立ち上がった。スノードームを握った右手を上に掲げる。


「右手を離したらどーなる?」

「どうって、割れるんじゃないですか?」


 ランさんの身長は大体百六十後半くらい、手を上に伸ばしているからスノードームは二メートルくらいの高さにある。

 落下したらガラスにヒビが入ったり、割れたりして中身が漏れるだろう。


「そーゆーこと。夢ってねー、落差に弱いの」

「落差、ですか」

「それこそ高いとこから落ちる物理的なものもそーだし、感情とか精神的なものも関係するね」

「感情の起伏ってことで合ってます?」

「うん、それで合ってるよ」


 ランさんは頷いた。

 たとえ話は終わりなのか手を降ろしてソファに座る。


「君と約束して、君と帰ろーって思ってた時に、絶対にいないと思っていたあたしの存在に驚いたんだろーね。感情が落ちたんだ」

「どうすれば、また会えますか?」

「明日にでも会えるんじゃないー?」


 ランさんは一気に気の抜けた話し方に戻る。


「本当ですか?」


 と、思わず不安になる。


「安定するだろーから」

「安定しなかったら?」

「会えない」


 当たり前のように、言い切った。

 冗談とか悪ふざけじゃないって分かるくらいの真剣な声だった。


「安定する方法ってありますか?」

「夢ってその人しか見られないからさー、難しいんだよね。でもねー、あるにはあるよ」

「どんな方法ですか?」

「そもそも感情の落差を作らなきゃいい。そうすれば覚めないしね」

「そのためには何事もなく過ごせ、とか言いませんよね?」


 一年間、透明な青春を過ごした僕には分かる。

 何もないって僕にとっては、つまらないものだった。けれど良い言い方をすれば平穏で安心出来るものだ。


「まー、それも一つの手ではあるよ。でも、もっと良い手がある」

「それは、何ですか?」


 よくぞ聞いてくれた、と言いたげな表情をする。


「藍の夢を叶えるんだよ」

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