第16話 束の間の休息


 樹海で歩みを重ねること約一時間。

 針葉樹の密度が明らかに減り続け、楕円形の広い空間に辿り着く。


 その中央には、深い褐色の溶岩洞窟。

 恐る恐る、そこに一歩足を踏み入れれば、地下迷宮ダンジョンの雰囲気が変わったのを肌で察する。

 目的地までは、頭の中に入っている地図を確認する限り、残りの路程は五分の一にも満たない。


 だが、これまでより、何処か暗く緊迫感漂う空気が、チームの歩みを重くさせている。

 背後で立ち尽くすカレンが、不意に息を吞む。

 そんな気後れしそうになっているチームメンバーを鼓舞するが如く、グレンが率先して洞窟の奥へと足を進めた。



 洞窟の探索に入って数分が経つ。

 雰囲気の変化を人間よりも敏感に感じているのか、魔物モンスターとの遭遇頻度も極端に少なくなってきた。

 その傾向は、洞窟の奥に進むほど更に強くなる。


 何時しか、自分たちの足音だけが地下迷宮ダンジョンの洞窟内に反響する。


 地下迷宮ダンジョン全体が寝静まってしまったかのような不気味な静寂。

 人里離れた廃道のトンネル。魔物の気配も雑音もしないので、地下迷宮ダンジョンと呼ぶよりは其方の印象に近い。

 そんな感想を抱きつつ、目的地の最後の分岐を左折し、以降道なりに進み終えると、地下迷宮ダンジョンの最果てとなる視界の開けた空間に行き当たる。


 縦横一〇メートル四方の巨大な広間。

 岩肌が剥き出しになっていた洞窟形状の通路と違い、正方形にくり貫かれた人工的な部屋と同じく壁面が平らに整っている。

 特に空間の中央には、人間が滞在していた形跡が多く残り、使い捨てのサバイバル用品や携帯食料の包み紙、ブリキの缶詰、壊れ果てた武器に魔鉱石で加工された魔導具などの一部が散乱していた。


 本来なら国、地方自治体に雇われた特別傭人が地下迷宮ダンジョン内の清掃や管理業務を行うのだが、危険で重労働、更には名誉もない不人気な仕事とあって、緩慢的に人手が足りておらず、清掃が行き届いてない事は珍しい光景ではなかった。


 ゆっくりとした足取りで、グレンが部屋全体を見回しながら侵入していく。

 それに倣い俺達も後に続くと、正面にはさらに奥まで続いている道幅の大きな一本道が存在した。その果てには巨大な横開きの扉が見える。

 初級地下迷宮ビギナーダンジョン【小鬼が嗤う巣窟】のボス部屋、その入口であった。

 今いる場所は、迷宮主ダンジョンボス戦を控える挑戦者たちが、最後の休息を取る待機所だ。



「……ここで少し休憩を取ろう」



 グレンが振り返り、そう告げた。

 これまでも、決して楽な道中では無かったが、この先には真の意味で長く険しい戦いが待っている。魔物も迷宮主ダンジョンボスの気配を恐れて近寄ってこないだけに、腰を落ち着けて精神と体力の回復を図れるだろう。


 グレンの言葉にそれぞれ頷いて、広間の中央に移動すると、楽な態勢で各々がその場に座り込んだ。

 薄茶色でシンプルな構造の背嚢から、取り出した水筒で水を飲んでいると、正面に座ったカレンがポツリと呟く。



迷宮主ダンジョンボス戦か……どんな感じなんだろうね」

「聞いた話では、幾つかのパターンが有るらしいな……」



 迷宮主ダンジョンボス戦は、実際に入ってみるまで分からないことは多い。

 数少ない確定事項が、その地下迷宮ダンジョンに出没する魔物の上位種がボスになるという一点のみ。だが、単に上位種と言っても、幾つか種類があるので、戦う前からコレと断言するのは不可能である。


 まあ、それでもある程度の推測は立てられる。初級地下迷宮ビギナーダンジョン【小鬼が嗤う巣窟】は、その名の通り小鬼ゴブリン系統の魔物が主なだけに上位種も、小鬼騎士ゴブリン・ナイト小鬼将軍ゴブリン・ジェネラル小鬼王ゴブリン・キングの何れかが出現することになるだろう。


 その出現率もこれまでの攻略から割り出されており、九割方ナイト、一割でジェネラル、小数点以下の確率でキングが出現するらしい。

 ベルネクス魔導幼年学校の創設以来、キングはたった一度だけ出現した記録があると聞く。


 その際には、何度も迷宮主ダンジョンボスを狩り続けた確かな実績と才能を持つ八人編成の分隊スカッドが、決死の覚悟で挑んでなお、約半数が再起不能になった程の強敵であったという噂だ。



「まあ、確率的にキングは除外していいと思う。現実的な予想としては、ナイトかジェネラルのどちらかだろうな」

「それに付属する形で、迷宮主ダンジョンボスが使役する雑兵の小鬼ゴブリンが同時に多数出現するとも聞くけど、それらはこれまで同様の対応で問題ないでしょうね。状況によるとしても、カレンの制圧力を活かして、開幕直後に広域制圧系の魔術を叩き込んでやれば、難なく処理できるはずよ」



 基本的に迷宮主ダンジョンボス戦は、ボス単独という訳ではなく、その迷宮主ダンジョンボスに従属する低級魔物も数十匹単位で現れる。チームの前衛組がボスを抑えている間に、後衛組の支援でそれらの魔物を排除して、落ち着いて迷宮主ダンジョンボス単体と相対出来る状況を作り出すのが迷宮主ダンジョンボス戦の一般的な基本戦術セオリーだ。

 それこそ、セリシアが言ったように、超火力の範囲攻撃を持つ俺達なら、開幕直後に大規模な魔術を行使して、即座に全ての低級魔物を排除してしまってもいい。


 そして、こんな事は今更改めて言うまでもなく、カレンも分かっている。

 彼女が言いたいのは、そう言うことではないのだろう。



「そう、だね。普通の魔物には大丈夫だろうけど……今になって迷宮主ダンジョンボス相手に私の魔術が通用するのか、ちょっと心配になってきちゃったんだ……」

「……初めてだから不安になるのも分かるが、カレンの、そして俺達の実力なら大丈夫だ。先生や先輩の話でも、俺達ならナイトなら楽勝で、仮にジェネラルでも多少手古摺る事はあっても勝ちは揺るがない、ってお墨付きを貰っているぐらいだしな」



 緊張からか、どことなく表情が固いカレンに対して、グレンが安心させるように言い含めた。

 現にグレンたちの実力は、迷宮主ダンジョンボス戦の常連である最上級生の分隊スカッドに全く見劣りしない。加えて、数多の教え子を導いてきた教師陣の太鼓判もあるなら、過度に不安がる必要もないように思える。

 だが、どれだけ安心材料を提示されたところで、高い素質を持っていても気が弱いところのあるカレンにとっては、未知の敵と言うだけで何よりも恐ろしいのだろう。それを長い付き合いで知っているからこそ、グレンの言葉に乗るように、セリシアも軽い調子で口にする。



「油断や過信は禁物だけど、緊張し過ぎる余り、張り詰めすぎるのも問題ね。その歳にして中級上位の魔術を数十回単位で扱える貴方に、同条件での白兵戦なら大人の教師陣にすら勝るグレン、対高位魔人を想定して製作された私の魔導拳銃なら初級地下迷宮ビギナーダンジョン迷宮主ダンジョンボスだろうと貫けない理由はないし、そこの男だって、日頃の大言壮語の十分の一ぐらいの活躍ぐらいは期待出来るでしょう」

「そうだぞ、カレン! たかだか、多少デカい程度の小鬼ゴブリン相手に緊張などしている場合か! この世で魔帝討伐という大事を成せるのは俺様と、まあ一枚劣るが貴様らだけなのだ。なのに、その自信の無さでは、いずれ来たる最終戦争を共に乗り越える事など夢物語だぞ!」



 俺が何時もの調子で冗談半分――逆に言えば半分は冗談じゃない――激励を口にすると、ただの戯言と受け取ったセリシアとグレンが、同調の意を示した。



「魔帝討伐とか最終戦争だとかの話はさておき、クリスの言っていることにも一理はあるな。少なくとも、迷宮主ダンジョンボス戦に挑む上では、クリスぐらいの心意気の方が心強い」

「ここまで来るとこれはこれで問題がある気もするわね。いつも思うけど、その過剰な自信は一体どこから来るのよ……あなたの場合は、少しは自分の力を疑ったらどうなの?」

「ふん、俺様は自身の可能性を誰よりも客観的に見ているだけだ」



 そんなやり取りをしていると、不意にクスクスと笑い声が耳に届く。

 そちらを見やれば、頬を緩め口元を和らげたカレンがいて、彼女の緊張は解きほぐされたらしい。

 そうして、俺達はもう少しだけ下らない軽口を交えながら、束の間の休息を堪能した。

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