第26話 無罪放免

     ***


 東と口を聞かなくなって五日目の夜。


 何も言ってくる気配のない東に苛立ちを募らせていた青は、公家が集う饗宴に参加していた。いつもなら保親だけが参加しているのだが、今宵は、美弥藤家で饗宴が催される日だったために参加しないわけにはいかなかった。


 饗宴は、屋敷の南側にある客間で行われている。高灯台の明かりが客人の赤ら顔を薄く照らしている中、侍女のひとりとして東が酒を運んでいた。


 青は東を視界に入れないよう黙々と食事を進める。


 公家町を順繰りに、それぞれの屋敷に招かれて饗宴が開かれるが、本来なら保親の正室である章子が主となって客人をもて成さなければならない。


 しかし、章子が不在なのは周知の事実。


 それにも拘わらず、性懲りもなく公家らはまたそのことをここぞとばかりに突いてくる。陳腐な言葉を吐く公家らを保親が軽く受け流しているとき、ひとつの声が上がった。


「次期当主殿は女子であるのだから、そちがもて成せばよいではないか」


 いつも揶揄してくる公家のひとり・松老院照重しょうろういんてるしげが青に向かって「酒を注いでくれ」と盃を差し出した。左右に間延びした顔から、青は心の中で蛙と呼んでいる。


 青は嘆息をつきかえて思いとどまる。


 ここは保親の顔を立てるためにも堪えなければならないと青は自分を叱咤し、にっこりと笑って見せて立ち上がった。

 すると、


「女子が着飾ることなく袴を着ておるなど、わしらを馬鹿にしておるのかの」

「女子が家を継げるわけがなかろうに」


 ひそひそと陰気な言葉が沸き立つ。


 青は気にすることなく颯爽と松老院まで近づいて腰を下ろした。一礼し、銚子の持ち手に手を伸ばしたとき、横から松老院に肘を当てられてしまい、銚子が転げて中の熱した酒が撒けてしまった。


「すまぬ、すまぬ。ちょっと肘が当たってしまったのだ。火傷はしておらんか?」


 と蛙の汗ばんだむっくりとした手が青の手を握り締めた。手の先からぞわっと全身に悪寒が走り抜けたが、青は笑顔を崩すことなく耐えた。


「大丈夫、ですので、手を離していただけませんか?」


 極力、優しい口調を心がけた青ではあるが、顔が強張っていたのは否めない。


 そのとき、鋭い視線を感じた青は肩越しに視線を映した。


 そこにいたのは、空いた酒を下げていた東だった。東がこちらに歩を進めようとしていたので青は東を睨みつけた。


 青の気を感じた東は立ち止まる。


 何故、と問われたような気がした青は、ふいっと視線を逸らした。


 後頭部に東の戸惑ったような視線を感じながら、青は笑顔を繕って丁寧に松老院の手をのけようとした。が、


「おぉ、よく見れば、可愛らしい顔をしているではないか。保親の子とは思えんな」


 がははは、と品のない笑声を放ちながら抱き寄せられてしまう。

 気持ち悪い爺だ、と思いながらも冷静に青は呆れ返る。


 よくもまぁ、父上がいる前でこのような醜態をさらせられるな。

 

 唖然とする青の気持ちなど知る由もない蛙は続けて言う。


「よし、私の息子に嫁ぐか? 側室ではあるがな。……松老院に嫁げば、安泰、安泰。どうだ、保親。そうすれば、美弥藤家も皆に認められようぞ」


 当の保親は静かにこちらを見据えるだけで何も言わなかった。


 確かに松老院家は、代々天皇家に仕えている由緒正しい家柄である。位階は、上から数えて六番目の従三位に叙されており、天皇を警護する近衛大将に任じられている。正四位の美弥藤家より位が高いからこそ八年前の企みもないものとされたのだ。


 この松老院こそ、美弥藤家の譜代の臣だった蓮水家と手を組んで保親を予波ノ島国守から引きずり降ろそうとした張本人だ。しかし、蓮水直成に唆されたのだと言い張り、神志名天皇に縋りついた松老院は無罪放免となった。


 

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