第24話 闇霧

     ***


 あのときの自分は何も知らなすぎた、と東は今になって思う。


 魔物の力を借りて國保の命を奪い、のちに章子が生んだ男児の命も奪い、もう自分は魔物に乗っ取られているのと変わらないと悟った。


 魔物が憑いているせいなのか、生来の性格なのか、幸子は私欲を満たすためなら見境がなくなっている。章子の部屋から玉櫛を盗んでこいだの、保親に自分の元に通って欲しいからと保親の思考を操れだの、幸子の欲は尽きることを知らない。


 もしものことを考えてのことだろうが、青が次期当主だと決まっているのに幸子は男児を欲していた。


 くだらないと思いつつ東は幸子にも逆らえない。


 そんな傀儡と化した自分の鈍色に染まった心を魔物が毎日のように抉ってきていた。


『これから、お前は何人殺すんだろうねえ』

『盗人にも、人殺しにもなって、……もうお前は魔物と変わらないよ』

『不安だろう。怖いだろう。清き青に、いつ見つかるかわからないものねえ』

『大丈夫さ。お前には私がいるじゃないか。私はお前を見放さないよ』

『私はお前に寂しい思いはさせないからね』


 わかっている。

 孤独に耐えられない不安な心が魔物を引き寄せているのだと。


 深紅の瞳は現世を映し出さない。

 

 美しいだろう景色も、青も。


 もう、自分に残された道は魔物と共に歩む道しか残されていないのかもしれない。

 

 東は親しみと嫌味を込めて魔物に『闇霧あんむ』と名付け、心の中で呼んでいた。


 だが、京樂に来てからは、天皇家が召し抱えている一等の巫覡――神子の存在を恐れてか闇霧は姿を現さなかった。


 もしも公家町に闇霧が現れようものなら、神子が気配を察知して跡形もなく昇華してしまうだろう。


 しかし、東は京樂にも不穏な空気が流れていることに気が付いていた。


 青の侍女として京樂にやってきたため、御所に参じることはないが何やら御所から嫌な気配がするのだ。意識を飛ばして探ろうにも、神子が御所に結界を張っているのか何も掴めなかった。


 玉島を出た東は舟を漕ぎながら青の気を見つめる。青の湖のような豊かで清らかな美しい気に魅せられて山の精霊や水の精霊たちが青の周りに集まってきていた。


 穏やかな光景に布作面の下で、東は柔く頬を揺らした。


 そして、すぐに唇を噛み締める。


 こんな闇に塗れた自分が青の側にいていいのだろうか。


 事実を知ったら、青はどうするだろう。

 頬を叩くだろうか。


 いや、頬を叩かれるだけならまだ良い方だ。

 何も言わず冷たく軽蔑されるかもしれない。


 それを想像するだけで、東の胸が氷の刃で突き刺されたような痛みを伴った。


 東は、幻想が作り出した痛みを振り払うように大きく櫂を漕ぐ。


 不意に、そよ風に乗って棚引く青の気が東を撫でていく。

 慈しみを帯びたそれに、東の鈍色の心が昏い音を立てて深く軋んだ。

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