第21話 青藤色の小さな花

 家督を継ぐことに青が憂慮しているのは着衣のことだけではない。


 およそ、一か月ほど京樂に滞在するのだが、会合が終わり、日が暮れたのちに毎晩のように饗宴が開かれる。


 青も一度だけ保親に連れられて参加したが、朝廷に仕える公家らの会話はもっぱらかけひきめいたものばかりで、自分がいかに天皇のお気に入りかを言い合っていた。


 青は、程度の低い会話にうんざりした。


 寡黙な保親は積極的に公家の輪に入ることもなく、大きながたいを漬物石のように動かすこともなく、ちびちびと酒を嗜んでいた。中央から離れた予波ノ島を治める保親は天皇の下で政を行う彼らの話にはついていけないのだろう。


 美弥藤家は昔年に皇族から武家へ下った賜姓皇族だ。元を辿れば、皇族に行きつく家系ではあるが、武家に変わりない。本来なら武家が領土を治めることはないが、まつろわぬ民を討伐した当時の功績として美弥藤家に予波ノ島を与えられた。


 だが、そのことを良く思っていない公家は何かと嫌味を言ってよこすのだ。それは主に自分を――女子を跡取りに据えたことを冷やかす言葉だった。


 その中でも青が頭にきたことがある。


『側室の子を――しかも女子を後釜に据えたから、奥方は臥せってしまったのではないか』


 自分のことをまだ冷やかされるのはまだ我慢できるが、これは章子のことも侮辱している。

 

 章子は、そのような狭量な人ではない。


 側室の子である自分が風邪で寝込んでいたときに見舞いに来てくれただけではなく、自身が中央から取り寄せていた和薬を分け与えてくれ、幸子の身も案じてくれていた思慮深い女性だ。


 それにも拘わらず、幸子は嫌味な女だと繰り言を言っていたが。


 公家の物言いに、発言を撤回しろ、と気色ばんだ青が口を開こうとしたとき、保親が静かに腕を伸ばして青を制し『体調が優れないだけです』と答えていただけだった。


 下手に争いたくないのか、ただの腑抜けなのか。


 そのときのことを思い出して苛立ちが再燃した青は、傍らに落ちていた小石を湖に放り投げた。湖面に映る青空が揺れる。ゆらゆらと波を立てて広がっていく波紋を見つめていた青は漠然と思う。


 私は当主に向いていない。


 湖のほとりに咲く青藤色の小さな花が、柔らかな風に煽られて頼りなく揺れている。自嘲した青はすっくと立ち上がり、刀を抜いた。


 湖に向けて刀を構え、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。


 深い息と共に無用な思考を押し流して身体の中を通る一本の芯を感じていく。

 芯を天へ繋ぐよう精神統一し、刀を振り下ろした。


 陽光を受けた刃が銀色の光を放ち、空を走る。

 それを追う桜の花びらたちに青は目を細めた。

 

 手首をしならせ、回転させながら上げた刀が背に添う。

 丁寧に息をめぐらせ、弧を描きながら下ろして舞うと、銀色の日輪が生まれる。


 青が舞うたびに、瑠璃色の袂が花開く。


 頭の中を無垢にして型には嵌めず、自由に、心の赴くままに。

 光と色が織り成す旋律が、とめどなく溢れる。

 

 耳に触れる、花びらを攫う風の音。

 囁くように擦れ合う葉の音。

 草を噛む、自分の足音。

 

 繋がり合い、重なり合う音たちを心地よく聴く。

 

 刃の切っ先を薙ぎ、桜の花びらが流れるように舞うさまを見届ける呂色の瞳の端に白い影が映り込んだ。


 白い人影へ首を巡らせた青は苦笑する。


「覗き見か?」


 気配を消して樹木の脇に立っていた白い人影――東が歩を進める。


「覗き見だなんて、人聞きの悪い」

 

 

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