昼中に墜つ白烏-10-

 つい数分前まで多少傍若無人な気のある神と見紛うほど秀麗な男だったのが、今や悪魔や死神のように悍ましい薄ら笑いを浮かべている。美人は怒ると怖いと言うが、その比ではないくらいに不祥な何かを直感させた。

 炯々とした眼光が、未だ獲物を捉えた捕食者の如く僕を射抜いている。先まで見え隠れしていた人間的側面の一切はなりを潜め、表層から芯部に至るまで獣のような獰猛さを孕むその姿から、人としての感情は微塵たりとも読み取れない。話の通じる相手ではなくなったのだと、直感的にそう悟るほどに。


 これほどまでに様変わりした彼が、人間らしく問い質すなんて真似をするようには思えなかった。外見は同じだというのに、中身だけを猛獣と挿げ替えたのかと見紛う禍々しさを醸しているのだ。獣が人道に適った行為を展開するなど、そのような芸当できるはずもない。ただ蹂躙者として暴虐の限りを尽くさんとする、そんな猟奇的な情景だけが、容易に予見し得た。


「言ったろ、一望監視施設パノプティコンの監視室が、俺達の行く末を見守ってる・・・・・って。第一級接触禁忌種たる俺が、侵入者たるお前を排除する様を見守ってる・・・・・ってよ!」


「ま、待ってください! 今までそんな血腥い雰囲気じゃなかったじゃないですか! 何でいきなり……!?」


「仕方ねえだろ、監視官奴らがそう望まれるんだ。ああ、そう簡単には殺さねえさ。まだ侵入経路が割れてねえ。きっちり吐いてもらわねえとな」


 話を聞いてくれない男の異常性に気付くまで、さして時間はかからなかった。譫言のようにぶつぶつと何かを呟きながら、冷めた瞳で見下ろしてくる姿の恐ろしさは、正しく尋常ではなかった。死を覚悟する程度に、総毛立つのが歴然とする。

 何だこの緊急事態。何だこの絶体絶命。今までの和やかさはどこへ行った。男は僕の左手を後ろ手で押さえ付け、右手を踏み付けにして背後でマウントを取っていた。蹂躙される実状を安易に良しはとせず、後ろ手に押さえ付けられた左手と踏み付けにされた右手に力を入れた、丁度その時。


「うわああああああ!!」


 耳をつんざく絶叫が口から飛び出したのは、何かが右肩を凄まじい勢いで貫通したからだった。室内に木霊する銃声がビリビリと耳の奥で反響する。即座に例の拳銃で撃たれたのだと理解するが、間髪入れず襲い来る激痛に身悶える。

 やけに熱く鼓動する肩から止め処なく流れる血液に反比例して、冷水を掛けられたかのように錯覚する脳。僕自身、「まさか発砲する訳がない」と、どこか高を括っていたのであろう。容赦のない一撃に死を予感して、余計な失策をしないようそっと口を噤んだ。


 右肩に空いた穴からダラダラと出血が止まらないせいか、生暖かい感触が右半身に広がっていく。じわじわと失われていく血液の感覚は、出血多量死の可能性を想定に入れざるを得ないほどに鮮明で。それは容赦なく酷い焦りを与えていった。それでも他人事のように「汚れた部屋の後片付けは、俺の仕事なんだ。だからあまり煩わせるなよ」と念押しする彼の一言一言に、僕は無我夢中で頷く他なかった。


「ここの警備は最高水準に匹敵する程度に、ハッキング・クラッキング・侵入行為の対策が綿密に敷かれている。だが、それを難なく突破したのがお前だ。監視カメラの配置に死角はない、カメラ自体乗っ取るにも重厚なファイヤーウォールが準備されている。さてここで問題だ。お前の侵入経路はどこだ? どうやって監視官の目を掻い潜って入って来た? 仲間はいるのか?」


「そ、んなの、覚えてないってさっき」


 男は僕の両腕を背後に回して、ベルトポケットから取り出した手錠でそれを一纏めにすると、乱暴に襟刳りを引っ掴む。次には僕をソファから引き摺り落とし、冷たく硬いフローリングの上に転がした。ごろりと俯せに転がった反動で迸る出血。瞬く間に床を赤く染め上げ、流血の夥しさを物語る。


 痛みに喘ぐ僕を足蹴りで仰向けにすれば、恐怖に滲んだ僕の瞳と残忍に歪む男の瞳がち合う。こちらの恐怖心を一際助長させるような何の感情も映さない男の仄暗い眼差しは、ぞっとするほど底冷えしている。

 男は顔色一つ変えぬまま、傷口にめり込むように僕の右肩を踵で踏み付けた。

 瞬間、悲痛な叫び声を上げるが、即座に銃身バレルを突き付けられ、【押し黙る】以外の選択肢を奪われる。苦悶の色を浮かべながら、「静かにすると約束します」と言わんばかりに、ただ只管首を縦に振るしかない凄惨な状況を、甘んじて受け入れた。


 男にマウントポジションを占められ、互いの視線を一致させるがために髪を鷲掴みにされ、更には蟀谷こめかみに拳銃を押し当てられるが、それでも一切抵抗しなかった。否、できなかったのである。

 厳然たる力量差を見せ付けた上で、男は途端に大人しくなった僕に対し、一音一音を明確に発音した静かな声音で問い掛ける。


「いいか? 質問に答えないという選択肢は、お前には用意されていない。面倒だが仕切り直しだ。お前はどこからここに入った?」


「分かりません。記憶にない、んです。気が付いた、ら、ここにいて――い゛っ!」


 掴まれた頭をガツンと床に叩き付けられ、身体はくたりと動かなくなる。急に焦点の合わなくなった両目は虚ろになって、打ち付けられた後頭部の激痛に悶絶する身体は一度だけ跳ねたが、それさえも男に押さえ付けられ静止する。突発的に開き掛けた口からは意味を持たない言葉しか生じず、更には指一本たりとも体躯は動かない。脳からの信号が途絶えて動けないのだ。


 男は動作も言葉もなくしたこちらに全く気を緩めることをせず、ただじっと静観し続けている。単純に観察すると言っても、数分待てども動く兆候のない僕を見下ろすだけの行為だ。当然飽きが生じたであろう男が次に起こしたアクションは、「おい」と無骨に声を掛けることであった。続け様に「死ぬなら情報吐くもの吐いてから死ね」などと冷ややかな言葉を放つその姿は、脳震盪によって一時的な混乱が生じている人間からすれば冷酷非道極まりなく、殊更恐怖を助長させる要因となった。しかし最も恐ろしかったのは彼の発言や行動などはでなく、人間味のない行為を平然と振る舞う彼自身に他ならなかった。

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