第4話

『う、嘘じゃろ?だ、誰か、嘘だと言ってくれ!』


老人は狼狽えていた。


なぜなら、

いま目の前で自分の葬式が始まっているからだ。


棺桶の中には青白い顔をして白装束を着せられている自分の姿が見える。


老人の記憶は朧げでいつどうしてここに来たのかすら思い出せない状態だった。


たしか、ついさっきまで自宅の部屋で休んでいたはずだ。


なのに、どうしてこんなことになっているのか……。


気がつけばセレモニーホールの一室で勝手に自分の葬式が始まっていたのだ。


もう何が何だかわからないと老人は悲鳴を上げている。


葬式では自分の写真に向かって、偉そうなお坊さんが意味のわからないお経を唱えている。また葬式に参列している遺族たちは本当に悲しいのかよくわからないが、式場の角では遺産相続の話を小声で話し合っている親戚連中がいた。


『みんな馬鹿にしおって!!ど、どれだけ、わしを死なせたいんじゃ!!ワシの金も土地も大事な財産を誰がお前らなんぞにやるもんかっ!!』


老人にとってこの葬式はなにもかもが全て癪に障るものであった。


そんな気に入らない葬式の喪主はどうやら息子、長男のようだ。その隣に息子の嫁も喪服に身を包み数珠を握りしめておとなしく座っている。


老人は文句のひとつ言ってやりたいと息子夫婦のもとに近づいた。


『お、お前たち、こ、これはどういうことじゃ』


俯く息子たちの前に立ち説教するも、無視される始末、そんな時、老人の耳のあたりに息子夫婦の声が聞こえてきた。


「やれやれ、親父も無駄に長生きして、やっと死んでくれて本当に良かったよ。おかげで病院の治療費の支払いもなくなって楽になったな」

「お祖父さんの遺産なんて分けても大したものじゃないし、相続税もあるわね。ああ、土地の管理もあるし、ほんと大変だわぁ」


息子夫婦の心の声を聞いた老人はさらに機嫌を損ねるばかりか顔を赤くして憤り、息子夫婦の前に立って怒鳴りはじめた。


『お、お前たち!何の冗談じゃ!!わ、ワシはまだ死んでおらんぞ!!相続だのなんだの、失礼にも程がある!!いい加減にせい!!この親不孝者どもがぁ!!』


老人こと、東島とうじま平蔵へいぞうは怒り心頭である。


角ばった顔と強い毛根は彼の特徴だ。髪は染めておらず白髪のままだが、毛は太く禿げてはいない。眉毛も太く、目は大きい。無骨で厳つい顔立ちと目力は凄みというか気の弱い人にとっては恐れを感じさせる強烈な眼力を持っていた。背は少し曲がっていたが、霊体だからか今はまっすぐになってシャンと立つことができている。


彼は今、とてつもなく憤慨し、どれだけお前たちを気にかけてやったことか!恩知らずが!などと正座して黙する息子夫婦に対して仁王立ちのまま罵声を浴びせていた。


しかし、どれだけ大声で喚いても息子夫婦はまったく反応せず、また自分の存在を誰にも気づいてもらえない。


平蔵は怒りに身をまかせて拳を握りしめると、怒りのまま息子の頭にむけてゲンコツを振り下ろすが、なぜか振り下ろした拳が息子の頭を通り抜けてしまう。

平蔵は余計に腹が立って何度拳を振り下ろすが全く掠りもしない。


『な、なんじゃ、ど、どういうことじゃ!?ワシはこの通りピンピンしとるぞ、だ、誰か、話できる者はここにおらんのか?』


東島平蔵がいくら葬式の会場を見渡して大声をあげても、結局誰も気づいてはくれなかった。


平蔵は仕方なく棺桶の中にいる自分の体に入れば元に戻れるのではないかと試してみるものの、亡骸となった肉の身は一切動く事もなく、人魂となった自分だけがジタバタ動くのであった。


棺桶の中では暗闇に包まれている。そして聞こえてくるのは木魚を叩く音と坊さんの読経の声だけだ。


『むう、これに何の功徳があるんじゃろうか』


平蔵は坊さんの読経を聞いて首を傾げる。


仏教を学んだことのない平蔵にとってせっかくお坊さんの読誦するありがたいお経もなんの救いの手立てにもなってはいないようだった。馬の耳でもあるまいが、お経の意味がまったくわからんと呟いている。


ただ一つ、平蔵が理解できたことはこの葬式を通して自分が本当に死んだということ。


『わし、本当に死んでしもうたんか……』


自らの死に落胆し、しょげる平蔵はこれからどうなるのじゃろうかと体を丸める。


平蔵の体は葬式の式場の天井あたりでまるで手放した風船のようにふわふわと浮いて漂っている。平蔵の魂は空中を浮遊して葬式の会場全体を俯瞰して見ているのだが、当の本人は自分が空中浮遊していることすら気が付かないのであった。


しばらくすると葬式も終わり、平蔵の亡骸の入った棺桶は霊柩車に乗せられた。そして一時間もせぬうちに平蔵の棺桶は火葬場へと運ばれる。


『わ、ワシの身体をも、燃やすのか!?そ、そうしたらもう、ワシは元にもどれんではないか』


平蔵は焦った。そしてどうにか亡骸を燃やさせないよう必死に抵抗を試みるが、結局どうすることも出来ずに棺桶は火葬場の中へと運ばれていった。


『もう、終わりじゃ……』


項垂れる平蔵の近くでは火葬場で亡骸を焼かれ悶絶する死者の声が聞こえてくる。


『わ、ワシ以外にも、混乱しておる者がおるんかのう』


平蔵は自分と同じ境遇の者たちが他にもいるのかと思い、隣を見てみるものの、声は聞こえても結局相手の姿は見えなかった。


そしてそんなことをしている間にも平蔵の亡骸は燃やされていく。


『あ、ああ!!も、もう、終わりじゃあ!』


焼却炉の中で棺桶と死骸となった我が身は燃え続けている。


平蔵はどうすることもできず呆然となって燃えた自分の姿を見ているとあっという間に亡骸は骨となり、砕けてボロボロになっていった。


『こ、これが、わしの最後なのか』


呆気ない幕引きだ。


死んだとはいえ、こんな仕打ちは酷いと嘆く平蔵はシクシクと泣き続け悲しみに暮れた。そして息子夫婦の耳元に近づいてはお前たちには血も涙もないのかと怒鳴りつけるように文句を言っている。


火葬が終わり遺影と骨壷を運ぶ息子夫婦の後を追っていくと、ようやく家路に着いたようで久しぶりの我が家を見て平蔵は大層喜んだ。


そして我が家に戻った平蔵はさっそく自分の部屋へと戻っていった。


しかし部屋に戻るも、自分が使っていたベット、筆記用具や本棚など全て整理されており、持ち物は全て片付けられて綺麗さっぱりと何もない。


そんな自分の部屋を見て平蔵の心は更に落ち込んでいった。


『もう、すべて無くなってもうた……』


ワシはもうこの世におられんのかと項垂れる平蔵はすっかりいじけてしまう。


数日後、


静かに仏壇の前に座る平蔵は線香をあげられている自分の写真を見て、再びため息を吐いた。


『このまま、遺骨と一緒に墓場に閉じ込められるんかのう……』


寂しいもんじゃ、


誰も相手にしてもらえないまま時間だけが過ぎていく。時々は居間に息子夫婦が見ているテレビを一緒に見たりするものの、退屈な日であっで時間は流れるように過ぎていく。


そんな平蔵に次なる大きな変化が訪れたのは、お墓への納骨が終わり、家に戻ったその数日後のことだった。

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