第17話 オルティス氏

 そうして私は今年最後の出勤日、二十八日を迎えた。

 今日も柾木さんは朝からオルティス氏につきっきりだ。午前中は社内報やニュース リリースで使う写真撮影があるらしい。撮影用のライトが運び込まれた社長室やオフィスはいつもより三割増しで眩しかった。なんとメイクさんまで来て、社長やオルティス氏だけでなく、横に立つ秘書の加藤さんにも念入りなお化粧を施している。加藤さんはいつもキレイにしているが、今日は女優並みだった。暖かい日で、外でも撮影していたようだが、軽いジャケットをふわりとまとった加藤さんは Eclat のモデルのようになっていた。

 柾木さんはいつものサラリーマン ルックだ。メイクの人に何か言われていたが断っていたようだ。そういうところは柾木さんらしい。撮影が進むフロアのあちら側をちらちらと見やってはいたが、柾木さんと目が合うことはなかった。

 お昼からは、立食パーティーでオルティス氏を見送ることになっている。オルティス氏の発つ便が夕方なので、パーティーの後、直接空港に向かうそうだ。

 私はクライアントとの電話が長引いてパーティーの始まりには間に合わなかった。会場に着いた時にはもう、皆あちこちに固まって食事を楽しんでいた。私は自分の部署の人たちがどこにいるのかすぐに見つからなかったので、まずは料理を取ることにした。

 パーティーはなかなか豪華だった。ケータリング サービスが入り、お寿司やサンドイッチのほかに、その場で温かい料理も作って提供されていた。そして、なんとアルコールも揃っていた。飲める派の人たちはちょっと悪い事をしている気分になりながらも、ビールやカクテルを楽しんでいた。

 柾木さんの事を気にしながらも、現金な私は何を食べようかきょろきょろしながら料理の並ぶテーブルの間を歩いた。するとトマトやブロッコリーの入ったスパニッシュ オムレツが目に入った。先日食べたトルティーヤ デ パタタスを思い出し、コロッケなどと併せてマイ タパスの一皿を作り上げた。飲み物はどうしようかと思ったが、気分はやけ酒だ。仕上げに赤ワインを頂いて座れそうな所を探した。しかし、立食という事で、ホール内にある椅子の数は限られていた。ホールからテラスに出るガラス戸が開いていたので、日の当たる所なら外でも寒くないかと思い、テラスに出てみた。テラスは植え込みや隣り合うビルに囲まれて中庭のようになっている。風もなく、暖かかった。近い場所にひとつベンチがあったが先客がいた。オルティス氏だ。彼は煙草を吸っているようだった。

 邪魔しても悪いし、偉い人と二人になって何を話したらよいのか分からないので回れ右をしようとしたら声をかけられた。

「Hello」

「……ハロー」

「It’s ok. You can sit here. I will go soon」

 オルティス氏はベンチの自分の横の空いた場所を手でぽんぽんと叩いた。

(座れって事?)

 偉い人の言う事を無視するわけには行かない。少なくとも英語でよかったとしよう。英語もよく分からないけど……。私はおとなしくオルティス氏の隣に腰掛けた。

「You must be one of the project members, no?」

 えーと、プロジェクトのメンバーでしょって言ってるんだよね?

「イエース、アイ アム アカリ サエグサ」

「What do you do? What is your role in the project?」

 ホワット ドゥ ユー ドゥ? プロジェクトで何してるかって聞いてるの?

「えーと、アイ アム セールス エンジニア。カスタマー コミュニケーション」

「I see」

 そこで会話が終わってしまった。オルティス氏はのんびりと煙草をふかしている。どうしよう。自分から話しかけておいて止めちゃうってありなの? だからって、突然立ち去ったら悪いよね。えーと、話題、話題……。私はお皿の料理を一口食べた。……うん、これだ。

「アイ ラブ スパニッシュ フード。ベリー グッド。ベリー テイスティー」

 そう言って私は親指を立てた。オルティス氏は煙を吐きながら笑った。

「Ah, ¿Sí? ¿Qué te gusta? What is your favorite dish?」

 んー、好きな料理か……。

「アイ ライク スパニッシュ オムレット」

 私は自分のお皿を指差した。オルティス氏は苦笑した。

「That’s not Spanish! You know? Ours is “tortilla.” Tortilla de patatas, tortilla de cebolla…」

 あっ、トルティーヤ デ パタタスって言った!

「イエース、トルティーヤ デ パタタス イズ グッド。アイ イート オン クリスマス」

 私はかばんから携帯を取り出して、スペイン バルで食べた料理の写真をオルティス氏に見せた。オルティス氏はうなずきながら、写真を見ていた。

「Yes, they look quite authentic…」

 私が写真を次々にめくっていくと、柾木さんのギター演奏が始まった。アルベルトさんと弾いていた速い三連符の曲だ。オルティス氏が思わず画面を覗き込む。ビデオは長く続かなかった。オルティス氏は私の携帯に手を伸ばし、画面を指先でタップした。柾木さんの演奏が再び始まる。

「Is this Kai?」

 オルティス氏は私の顔を見た。私は勢いよくうなずく。

「イエス! 櫂さんです!」

 オルティス氏はもう一度画面に視線を戻す。

「Bof! És increïble! But, I mean, he never told me that he can play the guitar」

 オルティス氏は柾木さんがギター弾けるの知らなかったって事だよね? そうです! 私も知りませんでした!

「ノー、ノー。アイ ディド ノット ノウ トゥー」

 私は手を振った。

「イン カンパニー、ミスター マサキ」

 私は少し恐い顔を作って、「グッド モーニング」と言いながらロボットのようにお辞儀をして、さっと横を向き高速でキーボードを打つ真似をした。

「テレフォン」

 キーボードを打ちながら電話をとる真似をする。

「イエス、イエス。オーケー、グッバイ」

 恐い顔のまま電話を切ってまたキーボードをガチャガチャと打つ真似をした。

「ノー スマイル」

 私は自分の顔を指差した。オルティス氏は、私のパントマイムに呆れたような笑いをこぼした。

「Ah… yes, he is very smart but he is very, very serious」

 オルティス氏が二本目の煙草に火を点ける。

「イエス、シリアス イン カンパニー。バット」

 私は人差し指を立てた。

「ウィズ ギター、ミスター マサキ イズ ベリー ハッピー」

 私はギターを弾く真似をする。

「ベリー ファスト」

 フラメンコ ギターの音を口で真似ながら、右手を素早く動かしてエア ギターを弾いてみせた。

「アンド ウィズ スマイル」

 満面の笑顔であちこちを見る様子をする。

「ヒー イズ グッド ギターリスト」

「And you are a good actress」

 オルティス氏が何か言って笑ったが、煙草を咥えたままだったのでよく聞き取れなかった。

 私は携帯の画面に映ったままになっている柾木さんとアルベルトさんの写真を見下ろした。柾木さんの弾く「セビーリャ」で見た想像の青空を思い出した。そのまま画面に見入っていた私をオルティス氏が覗き込んだ。

「Akari-san」

 目を上げてオルティス氏を見る。

「You like Kai, don’t you?」

(「カイのことが好きなんでしょ」って?)

 ……そうか、私は柾木さんのことが好きなんだ。

 分かってはいた。でも改めて考えてみると変な感じだ。二人で過ごした夜の記憶が甦ってくる。あんなに近くに感じたけれど、柾木さんはそうでもなかったのかもしれない。またじわっと来てしまう。泣いてはいけない。

「……でも、人の心は読めないでしょう?」

 日本語での私の呟きにオルティス氏には首をひねった。

「ユー キャンノット リード サムワンズ ハート」

 私の言葉を聞いてオルティス氏はにやりと笑った。

「Huh, you seem to have a bit of a struggle」

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