第5話 バルの喧騒

 柾木さんと一緒に降り立った駅は、私がいつも乗る方向とは逆で、電車からは見たことがあっても降りたことのない駅だった。駅からは幹線道路沿いにいくつか建つホテルのネオン サインが紫や赤にチカチカと光って見えていた。駅前は再開発が進んでいるらしく、新しい市庁舎がそびえ、その周りに出来たばかりのマンションやオフィス ビルが立ち並んでいた。通りを進むと、ところどころに工事がこれから始まる更地があり、そのうちの一つは金属製の安全壁で囲まれていた。工事の予定表が下がったその壁には「新装開店!」と謳うキャバレーの移転先を告げる巨大な広告が派手な色合いで印刷されていた。どうやら、以前あった猥雑な町並みを、再開発でオフィスとマンションに置き換えようという都市計画のようだった。

 司法書士の事務所やはんこ屋の間に、開店したばかりのおしゃれなパン屋やオーガニックのお店がぽつりぽつりと建つ街並みを抜けて、少し大きな通りの交差点に着いた。横断歩道の向こうには、これまでの無機質な風景とは全く違う、昔ながらの商店街が続いているのが見えた。

 商店街に入ると、昭和から店構えの変わっていない様子のラーメン屋や履物店、薬局などが並んでいる。飲み屋も多く、九時を回っていても通りは賑わっていた。その向こうに、一際賑わっている店があり、その前には大きなワインの樽が三つ並んでいた。その樽をテーブル代わりにして、人々が背の高い椅子に座ったり、立ったままでグラスを傾けている。その日は比較的暖かかったが、十二月の夜は冷える。それでも彼らは気にするでもなく、コートにくるまったまま煙草の煙を燻らせながら思い思いに飲食と会話を楽しんでいた。樽の間には店内へと続く扉が開け放しになっていた。

 扉を通り抜けると、雑多な喧騒に包まれた。客の半数近くは外国人で、日本語とよく聞き取れない外国語がかなりの音量で飛び交っていた。バルの隅には小さなステージがあり、スペイン人と思われる男女が音楽を演奏していた。男性はギターを弾いており、その横では女性がフラメンコの衣装を着て歌を歌っていた。その演奏を熱心に見入る人たちと、構わずにおしゃべりを続ける人の熱気で店内は溢れていた。私はお店の中をぐるりと見渡したが、テーブルはいっぱいのようだった。それでも柾木さんは構わずにずんずんと店の奥に歩いて行った。

 店内で働いていた何人かのうち、ちょうどキッチンから皿を持って出てきた若い男性が私たちに気がついて、「いらっしゃいませー!」と声をかける。そして、やはりぐるりと店内をみ回してから「すいません、今いっぱいなんで……」と申し訳なさそうな顔をした。

「バカ言え、二人くらいどうにかなんだろ」

 柾木さんはそう言いながら、眼鏡を外した。

 途端に給仕の男性が笑顔になる。

「カイ先輩! 久し振りです!」

 抱きつかんばかりに柾木さんに走り寄るが、柾木さんは「いいから先に置いてこい」と顎で男性の持つ皿を指し示した。男性は「はい!」と元気よく返事をして、柾木さんの横をすり抜けて行く。それと同時に、カウンターの奥に向かって「店長! カイ先輩っす!」と叫んだ。

 ハムがぶら下がったカウンターの向こうには三人いて、それぞれが料理やドリンクの用意をしていた。そのうちのフライパンを振っていた大柄な男性が目を上げた。カウンターに近付いて行く柾木さんに気が付くと、やはり嬉しそうに口を大きく開いて笑顔になった。

「会うのは久し振りだな、元気か」

 カウンター越しに柾木さんに話しかける。柾木さんも「おかげさまで何とかやってます」と笑顔で返した。

(どうしよう。柾木さん、別人なんですけど。こんなに笑う人じゃないよね?)

 私は柾木さんにくっついてカウンターの側まで行き、なんとなくその場に立った。柾木さんは、「ここ片付けていいすか?」とそのままカウンターの一番端に積んであった缶ビールの箱や、野菜の入った段ボールを片付け始めた。店長と呼ばれた人が、フライパンから料理を皿に移しながら言う。

「あー、良太にやらせるから。今日は客なんだから」

「いいっすよ。あいつ忙しそうだし」

 柾木さんは、先程の若い男性の方を顎で示した。そして箱を抱えて言った。

「これ、裏持ってっちゃっていいすか?」

「うん、倉庫の空いてるとこ適当に置いちゃって」

「了解っす」

 聞いた事のない言葉使いの柾木さんに私が戸惑っていると、柾木さんはちょっとバツが悪そうに笑って「ちょっと待っててください」と言って、重ねた箱を持って去って行った。手持ち無沙汰にきょろきょろしていると店長さんと目が合った。店長さんはにっこり笑うと手近にあったメニューを手に取り、私に差し出した。

「いらっしゃい。これ、ドリンク メニューね。待ってる間に何かお作りします」

「……ありがとうございます」

 上目遣いにお辞儀をして、メニューを開いた。

 メニューの一番上には「当店オリジナル! ウィンター サングリア!」とあり、大きなグラスにフルーツが浮かんだ赤ワインの写真が添えてあった。周りのテーブルを見てみると、ちらほらとそれを飲んでいる人たちがいた。中には、大きなジャグいっぱいのサングリアを分け合って飲んでいるグループもあった。それがとても美味しそうだった。私は店長さんに、メニューの写真を見せた。

「じゃあ、これを……」

 店長さんは野菜を切っていたまな板から目を上げて、私が指で示したサングリアを確認すると笑顔でうなずいた。

「自分で言うのも何ですけどね、美味いんですよ、これ。少々お待ちください」

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