第47話 黒狼は番に逆らえない

 前線のラスムスに、事の顛末について詳細をしたためる。

 ハータイネンの水疱瘡が予想どおりヴァラートから持ち込まれたこと。癒しの寵力で片づけたこと。そしてヴァラートの皇子が現れたこと。

 事実だけを淡々と連ねた。

 カビーア皇子の力を封じて捕らえたこと。

 そして代わりにラーシュが倒れて、今は快復したこと。

 そこまでを書いて、リヴシェは手を止めた。

 ここから先は、直接話した方が良い。それが礼儀だと思う。


 ラスムスへの急ぎの手紙を、白い魔法の鳥に託した。


「急いでお願いね」


 ふぁさふぁさっと軽く幾度か羽ばたきをして、セキセイインコほどの大きさの鳥が窓から飛び立って行く。


「わたくしも一度、前線に戻らなきゃ」


 こぼれた言葉を、傍にいたラーシュが拾う。

 いつにもまして甘く優しく微笑んで。


「まさか一人でとか、思ってないよね」


 いや、思ってました。

 この場合の「一人で」とは、ラーシュ抜きでという意味だけど。

 だってラスムスに「ラーシュと結婚します」と言うのに、気まずいと普通は思うだろう。当の相手ラーシュがリヴシェの隣にいたら。それはあまりにデリカシーがなさすぎる。

 けどラーシュには譲る気など微塵もないようだ。


「危険きわまりないところに、リーヴ一人でなんて。僕が許すと思うの?」


 じりじりと距離を詰められて、リヴシェの身体は椅子の背にぎゅうっと押しつけられてゆく。

 

「一人で行くわ。それが礼儀だと思う」


 ここで少しでも迷った風を見せたらダメだ。強引に押し切られるに決まっている。ラーシュ相手の駆け引きに、弱気は厳禁だ。

 決然と答えると、うーとラーシュは唸った。


「どうしても?」


「ええ、どうしてもよ」


 それでも青い瞳は恨みがましくリヴシェをじぃっと見つめている。

 不満たらたらだ。

 ここで目を逸らしたらダメと頑張る。


「……かった」


 いかにも不承不承に口にした言葉は、聴き取れないくらい小さかった。




 前線へは聖殿から転移魔法で飛ばしてもらった。

 高位の神官2人がかりでだから、大勢を一気に飛ばすラスムスの凄さがあらためてわかる。

 砦の一室、リヴシェにあてられた部屋に着いた。

 開け放たれた窓から入る潮風が心地良い。

 すんと鼻を鳴らして深呼吸すると、胸に抱えた憂鬱が少しだけマシになったみたいだ。


「言い訳を聞かせてもらおう」


 今一番聞きたくない声。

 怖ろしいくらい無表情の、だからこそよけいに怖ろしい声。

 どきんと心臓が跳ね上がって、息が止まる。


「言い訳くらい、聞いてやると言っている」


 窓の向こう、バルコニーにラスムスはいた。

 リヴシェに背を向けたまま。


「ごめんなさい。わたくし、ラーシュと結婚します」


 こういうところ、リヴシェはとても不器用だ。婉曲的に断るような芸当はできない。

 慣れないことはしないに限る。

 正直に誠実に思いを伝えるだけだ。


「黒狼のつがい、その意味を知っているか?

 魂の片割れ、唯一無二、それなくしては生きてはゆけぬ。そういう存在だ。

 つまりおまえの代わりはいない」


 音もなく身体を反転させて、ラスムスはリヴシェの手をとった。

 その手に唇を落とす。


「おまえを一人でハータイネンにやった。俺はどうしようもない愚か者だ」


 苦し気に言う唇は震えていた。

 あの時、ラスムスとリヴシェ二人ともが前線を離れるなど、絶対にできなかった。強力な魔力を持つ二人がともに離れれば、ヴィシェフラド沖に張られた結界が解けてヴァラートの侵攻を許したに違いない。だから仕方なかった。

 ラスムスにだってわかっているはずだ。

 避けられない選択だったからこそ、それならばその結果の現在は運命だ。


「わたくしはラーシュを愛しています」


 一番きつい言葉だと思う。けど今はそれを告げなくてはいけない。下手に曖昧にぼかしては、かえって残酷だ。


「もう決めたことだから。あなたのつがいにはなれない」


 ラーシュを失ったかと思った、あの瞬間が頭をよぎる。

 あんな思いは二度と嫌だ。だからここはなんとしても、頑として拒み続けないといけない。


「その忌々しいほどのヤツのにおいは、すぐに消してくれよう。上書きすれば良いだけだ。

 返さない。もともと俺のものだ。

 つがいとは神の決めた一対、人の身が変えられるものではない」


 何を言われても、リヴシェは首を振った。

 考えたくはないけど、もしラスムスが強行手段に出るのなら、全力で抵抗するつもりだ。リヴシェの持つ力すべてを使って。

 

「その表情かお、俺を拒んでいるのだとわかってなお、愛おしい」


 ふっ……と、ラスムスが泣いているように笑った。


「これがつがいの力だ。俺はおまえにけして逆らえない」


 リヴシェの右手をしっかり取ったまま、ラスムスの薄い青の瞳が切ない色を浮かべる。


「おまえの望みのままにと、今は言ってやろう。

 どんな残酷な願いでも俺はきくしかない。この世で最も大切な、我がつがいの願いなのだから」


 こんな表情をさせたのは自分だ。申し訳なさ、罪悪感でリヴシェも泣きそうになる。

 けど泣くのは反則だ。傷つけた側がやって良いことじゃない。

 傷つけた側はあくまでも冷淡に悪役に徹する、それが礼儀だ。


「おわかりいただけて良かった」


 右手を強引に引き抜いて、にこりともしないで背を向ける。


「参りましょう。

 今後の処理について、話さねばならないことがたくさんありますわ」


 ヴァラートとの戦は事実上終わりだ。

 今後はより面倒な戦後処理が始まる。始めるよりお仕舞いを綺麗におさめることこそ、実は難しい。

 集めた人員や物資の解放、処分や返還。

 ヴァラートとの国交の方針決定、賠償金は求めるか。求めるとしたらどの程度か。

 考えなければならないことは山積みだった。


「ヴィシェフラドの差配は、王配たるラーシュ・マティアスに任せるつもりです。

 ご承知おきください」


 背をむけたまま告げて、扉を開ける。

 ラスムスがなんと答えたか、リヴシェは知らなかった。

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