第30話 それは魅了ではない

「前皇帝を始末してきた」


 狼の姿のまま、ラスムスは冷たい声で言った。


「ヴァラートに通じていた」


 なにか言ったり聞いたりしてはいけない気がした。

 前皇帝といえば、ラスムスには父だ。ヴァラートと通じているとは、ラスムスに剣を向けたということで、かなりデリケートな問題だと思うから。


「皇位に未練があった。それが動機だと本人は言っていたが、それほどの愚か者ではない。

 俺に勝てると、ヤツは思っていなかったはずだ。

 最初から自分を犠牲にするつもりだった。そうとしか考えられない」


 狼のままの姿でも、ラスムスが怒っているのはわかる。

 きっと生きていてほしかったのだと思う。皇位を奪った時、ラスムスは父に特に何もしなかった。実の父を幽閉したリヴシェより、よほど寛大だ。そのままにしておけば、きっと面倒なことになるはずなのに、その面倒ごと抑え込める力がラスムスにはあって、だから寛大にしていられた。前皇帝も息子の思いを理解していたから、特に目立ったことはしなかったはずなのに。


 ジェリオ親子をひきとった辺りから、少しずつ彼はおかしくなっていった。

 隣国の愛妾をひきとるなどと、面倒ごとを自ら招き入れるようなものだ。老獪な狼皇帝と言われた前皇帝に、あまりにも似合わない。

 

 もしかして……。


「あの女がいなくなった」


 ラスムスの短い言葉に、やはりそうかと納得する。

 二コラ・ジェリオのために、前皇帝は犠牲になったんだ。


「あの女を俺の側室にと、ヤツが薦めたのは知っているだろう?

 あの後も、しつこいくらいに言ってきた。

 取り合わないでいたら、これだ。

 あの女は、人の心を操る力でも持っているのではないのか?」


 まあ、そう思うだろうと思う。

 ファンタジー小説のあるあるのひとつ、魅了の魔力のことだ。

 神や魔法の存在する世界のことで、その中のひとつに人を虜にする力、魅了の魔法が存在するのは本当だ。でも二コラにその力があるかとなると。

 

「多分、そんな力はないと思いますわ」


 欲しいと、二コラは心から思っているだろうけど。


「もし彼女に魅了の力があったら、ここにいた時ラーシュも惹かれていたでしょう?

 神官も騎士も侍従もみんな。でもそんなことはなかった」


 むしろ気持ち悪いと思っていたくらいだ。ラーシュなどは二コラを害虫と呼んでさえいた。


「ノルデンフェルトでも同じでは? 」

 

 ラスムスとラーシュは互いに目を合わせ、すっとすぐに背ける。どうやらそのとおりだと思ったらしい。


「ではなぜだ。ヤツもそれからお前の父も、なぜあの女にグダグダになる。

 今回はあのヴァラートもだ。ヴァラートの皇子まで、あの女に惹かれているらしいからな」


「ヴィシェフラドの先王に関してなら、なんとなくわかりますわ。

 先王は彼女をかわいそうだと思っていました。自分の血を継ぎながら、王族とは認められず、だから王族としての教育も扱いも受けられない。

 彼女はその先王の気持ちにぴったり合う接し方をしたのだと思います。

 天真爛漫で無邪気で、礼儀をわきまえないけどそれは悪意からではない。礼儀を知らないだけで、土台にはいつも思いやりや愛情がある。

 なにかあるたびに『そんなつもりではないんです』と泣きながら繰り返す。

 先王の引け目に、上手に付け込んだのだとわたくしは思っています」


 口に出して言うのは初めてだったけど、ずっと考えていたことだった。

 計算されているのだ。

 二コラ・ジェリオの表情や言葉のすべては、相手の意に沿うよう計算されている。

 前世で習ったコミュニケーションスキルの一部に、そんな手口があった。相手をよく観察して、相手の心情を推し量る。そして相手の思いを肯定しながら誘導し、最後には自分の望みを認めさせる。

 多分、二コラはこのスキルを使ったのだと。


「ノルデンフェルトの前皇帝に対しては、また違う態度と表情だったでしょう。

 あなたに対しても、また違ったのでは?」


 ラスムスの無言が、その答えだった。

 やはりそうだ。

 

「あなたやラーシュに効果がなかったのは、時機の問題だと思いますわ。

 これから先、また同じように接することがあれば、その時には効果があ……」


「絶対にない」

「絶対にないよ」


 ラーシュとラスムスの声が、二重奏で重なる。

 憮然とした表情で二人とも即座に否定するけど、ラーシュとラスムスは「失われた王国」のメインキャラで二コラを心から愛している設定だ。だからむしろ、黙っていても惹かれるのが自然で、彼女のスキルに揺らぎもしない方が不自然なのだと思うのだけど。

 そんなことを説明できるはずもないから、言い張るのはやめた。

 もっと建設的に話を進めよう。時間は有限で、しかもかなり余裕がない。


「あの子はいまどこにいるの?」


「ヴァラート使節団、特にあの皇子にかくまわれていると考えるのが、まず妥当なところだ。

 リーヴ、おまえを連れ去って、その後にあの女を女王にする。そして俺とも縁を結ばせれば、ヴァラートの傀儡が2つ出来上がるからな」


「まあそんなところでしょうね。

 リーヴを人質にとられれば、僕らは言いなりになるしかない。悔しいけど、あいつらの読みどおりだよ」


 ラスムスとラーシュの見解は一致している。

 互いに良いとは言えない仲の二人だけど、デキる男同士だから。こうして組んでいると、なんだか頼もしい。


「ヴァラートからの求婚を断れば、戦争になるのでしょう?」


 先王の時代のツケが、今まわってきた。今のヴィシェフラドにヴァラートを相手にする力は、まだない。5年先にはわからないけど、とにかく今はダメだ。


「だったら選択肢はひとつしかない。とにかく今は、求婚を受け入れると返事をするしか」


 婚約期間を長めに設定して、それでもダメなら一度嫁いで離婚するのもアリだ。

 生きてさえいれば、機会はきっと来る。

 ヴィシェフラドに砲弾が降るのは、なにより辛い。

 開戦か降伏かの二者択一を迫られる最悪の想定に比べれば、まだこれはぬるい方だ。ヴィシェフラドの国力が戻るまで、時間稼ぎをしなければ。

 リヴシェにしかできないことならば、逃げるわけにはゆかない。


 黒狼が大きなため息をついた。

 すぅと音もなく近づいて、間近でリヴシェを見上げる。


「俺のつがいはどうしてこう頑固なのだ。

 男心がまるでわかっていない。

 婚約者とやらは、なにをしていたものか」


 ちらとラーシュに視線をやって、バカにしたように鼻を鳴らす。


「助けてほしい。そう素直に言え。

 それがおまえの、今なすべきことだ」

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