襲撃と切り札

 衣更市美術館。現代美術家と古典芸術のレプリカを中心に収納しているそこは、市民には広く開け放たれていて、中学生以下は全部無料で見に行くことができる。

 現代美術はよくわからずとも、古典のレプリカは有名作も多いため、レプリカと頭ではわかっていても見惚れてしまう美しさがある。

 今日は土曜だから、人が比較的混雑している中、時折ひりつく感覚に陥り、思わず風呂敷に手をかけるものの、桜子さんに手を止められた。


「あれはふたりを捕らえに来た陰陽寮です。こちらを狙っている訳ではありません」

「……ここまでピリピリした気配を撒き散らして、逆に怪しまれませんか?」

「みもざさん。あなたは霊力がちょっと上がっています。小草生先生だったらいざ知らず、風花さんはなにも気付いてないでしょう? つまりはそういうことです」

「ああ……」


 元々鼻が利くうらら先生はひりつく方向にちらりと視線を向けただけで、それ以上はなにも言わなかった。でも風花ちゃんは私が瞬時に殺気を出してようやく気付くくらいで、たしかに気付いてはいなかったんだ。

 そっか……。

 通報したとは言っていたけれど、やっぱり陰陽寮や退魔師は、仲春くんと照日さんのことを。

 頭の隅では「そんなの当たり前だ」とわかっているし、「ふたりの恋は祝福されるべきではない」と理解はしている。

 ただ……。

 今を生きる私というよりも、前世の私がそこに違和感を持っているような気がする。


【照日ルートでしか、彼女は生存することができないのに、そのルートが私が介入したことで変則的になってしまっている。私だってそのまんまの照日ルートを認める訳にはいかないけど、本当に彼女だけはどうにもならないの?】


 現状の結界を壊さずに、なおかつ照日さんを再び眠りにつかさない方法って、あと二日で見つけられるものなのかなと、少しだけ溜息が漏れた。

 その中で、私たちは美術館へと向かう緩やかな坂を登っていく。


「ここの要石の場所は……」

「現代アートのモニュメントと一緒に並んでいるはずです」

「なるほど」


 外には不可思議な形のモニュメントが多数展示してある。そのうちのひとつに要石があるんだな。

 さっさと修繕してしまえば、残りはあとひとつなんだけれど。私たちはそれを探して、美術館の周りをぐるっと回りはじめたとき。

 ザックザックと足音が響き、その音に違和感を覚えた。

 その音は、先祖返りの足音にしてはやけに重たい。まるで眠っている体を引きずっているような。


「なっ……」


 目が虚ろになって歩いているのは、人間だった。

 ……先祖返りじゃない。正真正銘、普通の人間だった。

 しかも服装もデートらしい同じ指輪をはめたカップルやら、卒業旅行に来たらしい大学生グループやら、スーツを着た美術関係の仕事の人やら、衣更市美術館に行こうとした人たちが手当たり次第こちらに歩いてきている。

 ……こんな大規模人数を操れるのなんて、結界の霊力をそのまんま自分の力として使用できる照日さんしかいない。

 風花ちゃんが修復を続けてくれている結界の霊力が、この人たちを操る神通力に換算されてしまっているんだ。


「……風花。あんたの勘が当たったみたいじゃないか」

「嬉しくないですよ!? でも……一般人なんてどうしましょうか……」


 先祖返りだったら、一旦血を抜いてしまえば、すぐに傷口が塞がって、本能のままに暴れる衝動は抑えられる。でも。操られてしまって正気を失ってしまった人間なんて、どうすればいいの。

 私は風呂敷に包んだまま、神通刀を構えると、できる限り峰内を選ぶ。でも。

 普通の人であれば、鳩尾に衝撃が走れば一瞬息が詰まり、気絶する。でも彼らは痛覚すら弄られてしまっているのか、峰内をしても止まってくれない。

 そうなった場合、急所を狙うしかなくなるけど、すぐに治療をしないと危ないのに。

 私は困り果てている中、うらら先生は「ふう……」と首を振った。


「……うらら先生?」

「みもざ。身体能力はあんたが一番あるだろう? 足止めしててやるから、風花を抱えてさっさと要石を捜し出して修繕してきな」

「そんな……この大人数を、うらら先生ひとりでですか?」

「私ひとりじゃなくって、麦秋もいるだろうさ」

「そりゃ、そうです、けど……!」


 桜子さんはひとり、懐に入れていた式神を次から次へと飛ばして、操られている人たちに貼り付けていた。途端に傍目からもビクンビクンと体がはねたと思ったら、人が倒れていく……おそらくは、雷を召喚する簡易スタンガンなんだと思う。

 私は風花ちゃんと一緒にぐるっと周りを見た。

 ……私の戦い方じゃ、大人数を相手どるのは無理だ。女神の神通力と九尾の狐の神通力、どちらが上なのかは私にもわからないけれど、今はふたりを信じよう。


「……お願いします! 風花ちゃん行こう!」

「え、ええ! うらら先生! 無茶しないでくださいね! ちゃんと家帰ってお酒飲みましょうね! 奮発して牛タンの燻製買っちゃいますから!」

「おお、豪勢だねえ。悪かない」


 うらら先生と桜子さんが身構えているのを見ながら、私は風花ちゃんを抱える。桜子さんと比べると、彼女のほうが豊満な分体重はあるけれど、抱えきれないほど重くもない。

 私が抱えて走りはじめる中。ぶわり……と辺りの気配が変わった。


「……え?」


 思わず振り返って、唖然とした。

 うらら先生は普段から飄々としていて、いい加減なことを言っているものの、異形の血を表にすることなんて全くなかった。

 しかし今の彼女はどうだろう。

 金髪の髪が風で靡き、その向こうから伸びているのは、紛れもなく狐のとんがった耳。そしてスカートとコートの下から覗かせているのは、ふさふさとした九つの尾。

 そういえば……うらら先生、最後に退魔師の体液を摂ったのはいつだったっけと今更ながら思い至った。

 私にしがみついている風花ちゃんは、泣きそうな顔をしている。


「風花ちゃん?」

「……多分ですけど、うらら先生は、結界の修復が進んだら仲春くんと照日さんが帰って来ることは織り込み済みだったんだと思います」

「え……?」

「だから……いざという時のために、神通力で自分自身に魅了をかけて、本能を無理矢理抑え込んで、理性を保ったまま本能全開で神通力を引きずり出そうとしてたんだと思います……」

「……まさか」

「……うらら先生、ずっと知らない人たちから勝手に好かれるの嫌がってたのに、わたしたちのために、この場にいる操られている人全員を」


 無茶苦茶だ。

 退魔師の体液を全くもらわずに、ひとりで自分自身に魅了をかけて耐え忍び、本能に抗いながら本能全開で。

 この場にいる人間全員を魅了にかけようだなんて。

 そんな無茶苦茶なことしたら、理性が蒸発して、もう戻れなくなってしまうかもしれないのに。

 でも……こんな大人数、今の私たちだったら抑えきることができない。

 甘い匂いが広がってきた。まるで鼻腔から忍び込み、脳髄まで侵入して全身を蕩かせようとするような、甘い甘い匂いだ。

 先祖返りの私たちすら翻弄する匂いだ。霊力のある退魔師や陰陽師、先祖返りだったらいざ知らず、ただの人間ではこの匂いに抗うことなど不可能だ。

 私たちは涙を溢しながら、モニュメントの元へと走り続けた。

 早く結界を完全に塞がないと。早く結界を元に戻さないと。

 大切な人がいなくなってしまうからと。


****


 現代アートのモニュメントの並びは、神通力で操られた人々があっちこっちに行ってしまったせいなのか、うらら先生渾身の魅了の神通力にやられてしまったのか、先程までの人通りとはうってかわって人が全くいなかった。

 その中で、私たちは必死に要石を探す。

 変わったポーズを取る人の像、鐘なのか鈴なのかよくわからないオブジェ、そもそもなにを現しているのかがさっぱりわからないマーク……。

 その中で、私たちがこの数日すっかりと見慣れてしまったものをやっと見かけた。


「風花ちゃん! あった!」

「はい! ……っみもざちゃん!」


 私は風呂敷で包んだまま、神通刀で背後を殴り飛ばそうとした。しかしそれは、同じく弓矢を入れる筒で受け止められてしまった。


「みもざ……」

「……仲春くん、まだ諦めないんだね」

「諦めきれるもんじゃないって、今でも必死に結界の修復しようとしてるお前にもわかるんじゃねえの? 頑固だもんな、お前も」


 またこの人はこういうことを言う。

 私は内心イラッとする。でも、仲春くんしか今はいない。ということは、照日さんはうらら先生や桜子さんのほうに行ったんだ。

 私は無理矢理風呂敷を破き、中の神通力の鞘を抜いた。


「風花ちゃん! 私が抑えている間に、さっさとやって!」

「風花! それ以上やるな!」


 ふたり同時にかけた言葉に、風花ちゃんは強張った顔で、私たちの顔を交互に見る。

 今の風花ちゃんは、ルートに入ってないから仲春くんに対しての恋愛感情はないけれど、しばらくの間苦楽を共にした相手だ……私たちを置いていなくなったあとも、仲間だと思っていてもおかしくはない。

 ……私だって、この人のことを、好きになってもらえなくても、仲間のままでいたかった。でも、無理だった。

 でも……本当に誰かを切り捨てないと、誰もなんともなれないの?

 私は仲春くんと神通刀と弓で打ち合った。本当は刀と弓で打ち合いなんてするもんじゃないけれど、弓全体には霊力がコーティングされていて、頑丈になっている。

 ……きっとこの方法も、照日さんに教わったんだろう。

 私の知らない彼を知って、「ほらもう仲間じゃない」と切り捨てたい自分と、「どうにもならないの?」と今更になって叫ぶ自分で、頭が割れそうになる。


「……帰って。結界を完全に修復させないと……うらら先生が帰ってこられない」

「うらら先生、なんかあったのか?」

「あなた本気で言っているの!? 照日さんが美術館に来た人たち操って、私たちを襲ってきたんだよ! うらら先生、その人たちを止めるために……理性失うかもしれないくらい、ギリギリの神通力で魅了を皆にかけて、止めようとしてる……このままじゃうらら先生、元に戻れなくなるじゃない!」

「あいつ……俺に相談もなしにそんなことしたのかよ」


 仲春くんの言葉に、私はイラリとする。

 好きって言葉に、責任を取らな過ぎるんだ。好きだったらなにをしてもいいって、そんなの好き勝手じゃない。好きだったら好き勝手しても許すって、そんなの横暴が過ぎる。


「あなたはどれだけ照日さんを好きでもいいけど、それで人がどれだけ迷惑してもいいの!? 先祖返りや退魔師、陰陽師だったらともかく……操ってる人たちは全員、ただの人間なんだよ!? 先祖返りですらないんだよ!?」

「……お前はいっつもそうだ! いっつも正しい側に立とうとする! お前はそうじゃなかったら生きていけないからって! 皆が皆、正しい側に立てるって、どうして思えないんだよ……!」

「…………っ!!」


 一番痛いところだった。

 私は、ルールから外れることが怖い。小さい頃から先祖返りの兆候が出ていた果てに、暴力で人を屈服させてしまったことがあるからこそ、人間社会に溶け込もうと必死だったからだ。

 桜子さんの使い魔になったとしても、十数年染み込んだ生き方が、一朝一夕で変わるもんでもない。

 でも。


「それのなにが悪いの!? 私の好きな人が、そういう生き方しかできない人なんだ! それに合わせてなにがいけないの!?」

「そっくりそのまんまお前に返すよ! 俺は……照日がどれだけあくどいことをしようが……あいつが生きててくれたら、それでいいんだよ!!」


 ガツンガツンと鈍い音が響き合う。

 それは恋の音によく似ている。恋は、ちっとも綺麗じゃない。きっと金属の鈍い音がするものだ。

 恋は、穢くて意固地で頑ななものだ。

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