天文台の悪意

 次の日、私たちはなんとかうらら先生のうわばみっぷりから守り通した鍋の出汁を使ったおじやをいただくと、その足で衣更市天文台へと向かう。

 衣更市天文台は、何代か前の市長により広く開放されていて、市民の小中学生だったらただで見学できるようになっている。私たちもここでプラネタリウムを見た覚えがあるけれど、なんでこんなところに要石が置いてあるのかがわからない。


「まだいさらメディアパークのほうが、私立図書館だから綺麗な石のひとつやふたつ、庭石として置いているかもしれないって理由付けができるんですけど、どうして市立天文台の中に要石があるんでしょうか?」


 海のほうが近くなってきて、水鳥がついーっと飛んでいるのを眺めながら、私が素朴な疑問を口にする。すると、桜子さんが丁寧に説明してくれた。


「元々陰陽道は星と密接な繋がりがありますから。衣更市が元々が異形の血を封印するための流刑地だってことを知っている現代人はわずかですが、星見を行う場所を市が管理しているというのはなにもおかしい話ではありません。星の観測を正しく行いながら、結界の維持管理は行われていたはずです」


 そういえば、陰陽道ってあんまり詳しい訳じゃないけれど、星についての神様なり、青龍白虎朱雀玄武と言った四神なりを星に例えるようなネタは、前世でも見たような覚えがある。たしかに結界の維持はともかく、星の観測自体を市が支えるのは当然なのか。

 納得したようなしなかったような顔をしていたら、うらら先生は腕を組んだ。


「でもそうなったら、中庭だったらさっさと風花が血をかけて霊力を分け与えた上で結界コーティングをスムーズに行えたけれど、市の管理物に血をかけるっていうのは、それやって大丈夫なのかい? 私たちが結界を張るためにやったことで、器物破損罪で逮捕ー……なんてことになったら、残り五カ所の要石の修復も厳しくなるんだけど」


 ……そうだ。なにも知らない人からしてみれば、いきなり血をかけてきたら、そんなの不審人物だし、最悪通報されても仕方がないんだ。

 そうあっさりと指摘されて、みるみる風花ちゃんは涙目になって萎縮してしまったけれど、それを桜子さんはあっさりとはね除ける。


「それはありえません。市立の建物については、既に陰陽寮のほうで根回しが済んでいますから。上層部には陰陽寮の監査だと通達をしていますし、現場のスタッフには東京の幹部の視察という風に話は通していますから。平日だから昨日と同じく人は少ないでしょうけど、先祖返りが出るかもわかりませんから、そちらに気を遣ったほうがよろしいかと思います」


 国家権力強いなあ。私たちは感心しながら、目的の建物を目指した。

 衣更市天文台は三階建ての建物であり、プラネタリウム、宇宙や星に関する展示、ときどき地元のアーティストとのコラボフェアが行われる牧歌的な場所だ。要石があり、市が保護管理しているということは、展示品の中にあるということだろうか。

 桜子さんが受付でなにやら見せたら、受付スタッフが顔色を変えて「少々お待ちください」と言ってすっ飛んでいってしまった。それに私たちは顔を見合わせる。


「なんだ、この分だったら市の管理物だった場合は、風花が逮捕される心配はなくなる訳か」

「市の、管理物じゃなかったら、わたし、逮捕されますかね……?」

「うらら先生、うらら先生、さすがに風花ちゃんをからかい過ぎです」


 涙目でプルプル震えている風花ちゃんを抱き締めて慰めつつ、私たちはスタッフを待っていると、かっちりとしたスーツの女性がやってきた。


「大変お待たせしました。こちら奥へどうぞ」


 そう言いながら、私たちを奥の【スタッフオンリー】と書かれている通路へと連れて行ってくれた。


****


「陰陽寮の方々がわざわざやってきてくださるとは思ってもみませんでした……」

「いえ。我々も衣更市の安寧を心より願っていますから。今回はご協力感謝しております」


 普段の凜々しい陰陽師姿や、真面目だけれどところどころとぼけたお姉さんの桜子さんを知っていると、こうやってきびきびと館長さんとお話をしている桜子さんが遠い人にも見える。

 風花ちゃんは少しだけほっとしている様子だった。


「でもよかったです。昨日みたいに、いきなり先祖返りに襲われることはなさそうで」

「そうかい?」

「……うらら先生?」


 鼻が一番利くうらら先生は、日頃のとぼけた雰囲気は抜け落ちて、切れ長の目でじっと桜子さんと話をしている館長さんを睨んでいた。


「あ、あのう……?」

「おかしいんだよね。この通路」

「……おかしいとは?」

「匂いがないんだよ」


 その言葉に、はてと思う。

 うらら先生の言う匂いっていうのは、人の匂いってことでいいんだろうか。私が考え込んでいる中、風花ちゃんが口を開いた。


「あのう……それって、天文台のスタッフのですか? それとも、なにか別の……?」

「天文台の受付スタッフの匂いはたしかにしたね。でも、この手の建物は警備員だっているし、早朝勤務のスタッフは休憩をする……なのにどうして食べ物の匂いが微塵にもしないんだい?」


 それに私たちは押し黙った。普通に考えたら、通路なんかに食べ物の匂いなんかしない。天文台に遊びに来た人たちが食べ物の匂いをさせた通路なんか嫌がるだろうし。でも鼻が利くうらら先生がわざわざ指摘するってことは、休憩室から漂うわずかな匂いがしないってことだろう。

 でも……そんなことってありえるの?

 私は風花ちゃんと顔を見合わせた。


「風花ちゃん、桜子さんと一緒に要石のほうに行ってもらえますか?」

「そりゃかまいませんけど……でもみもざちゃんとうらら先生は……」

「……私は既に桜子さんと契約していますから、有事の際には呼び出されるかと思います。ひとまず、うらら先生と探ってみますね。もしかしたら、ここにも先祖返りが悪さをしているのかもしれませんし」

「……気を付けてくださいね」


 風花ちゃんは館長さんと桜子さんと一緒に要石の方へ。

 私はうらら先生と一緒に、スタッフルームを探し求めることにした。それにしても。私は廊下を足早に歩きながら、ひどく落ち着かない顔をしていた。


「あのう……うらら先生はしばらく考古学を囓ってたんですよね? 昔の古いものを取り扱っている場所って、空調はどんなもんでしょうか」

「基本的に、どこもかしこも、空調を効かせてたよ。熱や湿気で駄目になってしまうものって多いからね」

「じゃあ……今ひんやりしているのも、おかしくないんでしょうか?」

「いや、普通におかしい」


 どうも、廊下を歩いていても、建物の中とは思えないくらいに、寒いのだ。歯がカチカチ鳴るほど寒くはないけれど、大人しく立っていられない、足踏みするような寒さではある。うらら先生は辺りを見回し、やっと廊下を通った先に、休憩室を見つけた。


「衣更市は普通に雪が積もるだろ。その中で、冷蔵庫よりも寒くするのはありえない。空調が故障しているか……」

「……先祖返りの仕業、でしょうか」


 休憩室のドアノブを掴もうとした瞬間、うらら先生が私の手首を掴んだ。


「……ちょっとやめておきな。ここだ……さっきから鼻の奥が痛いんだよ」

「痛いって……そんな異臭ですか?」

「いーや。これは冷え過ぎて痛くて痛くてたまらなくなるやつだね。ちょっと狐火を出すよ」


 本当に小さな火花程度の狐火をドアノブに通すと、ジュワッと音が響いた。まるで氷が高速で溶けたような音。それからガチャンと音を立ててドアノブを回したうらら先生の後ろから休憩室を見て……絶句した。


「……なにこれ」


 氷の柱があちこちにできて、その氷の柱に襟ぐりを貫かれてぶら下がっている人たちが、青白くなって気絶している。それにうらら先生は「ちっ!」と舌打ちをした。


「これ、全員先祖返りにやられたね! 一旦溶かすから、下がって!」

「はい……!」


 うらら先生は休憩室に狐火を放り込むと、一気に室温を上げた。途端に氷は溶け、それにぶら下がっていた人々がバタバタと落ちてきた。室内は通常に戻ったものの、天文台スタッフの顔色は悪いまんまだ。


「ど、どうしましょう……これ、救急車……?」

「全員低体温症になってる。とりあえず休憩室だったら、仮眠用の毛布があるはずだから、それ引っ張り出して全員にかけて!」

「は、はい……!」


 うらら先生が久々に保険医らしい言動を取りはじめたので、私は慌ててそれに合わせて行動し、スタッフさんたちを温めようと必死に毛布でくるんでいく。


「本当だったら、今すぐにでも救急車を呼びたいところだけれど、今呼んでも……」

「……先祖返り、ですよね」

「麦秋たち、大丈夫なのかね」


 氷漬けにされて低体温症になるまで放置されていたスタッフたち。その中で平然と陰陽寮の人間を招き入れた館長さん。

 どう考えても、犯人はひとりしかいない。

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