小さな嫉妬と要石

 全員、それぞれの得物は風呂敷に丁寧にしまい込んでから、それを担いでバスで移動する。多分周りからは、女子の旅行くらいに見えているだろう。

 いさらメディアパークは、地元民だったら遠足やら課外活動やらで出かけるものの、それ以外の人にはあまり知られてない場所だ。

 昔衣更市に妖怪の逸話収集に来ていたらしい作家さんがつくった私立図書館を筆頭に、何個も図書館を公立図書館とまとめて合併させて、公募でやたらと可愛い名前になってしまったものの、中身は至って真面目な図書館だ。


「このどこかに要石があるはずなんですけど……」


 地図を眺めながら桜子さんは、いさらメディアパークを見て戸惑っていた。

 名前からしたらテーマパークっぽいものを予想していただろうに、広がっているのは和風建築なんだから、そりゃそうだろう。公立図書館だけが、かろうじて現代の建物のままだ。


「あるとしたら、妖怪の逸話収集していた作家先生の私立図書館のほうだねえ。でも私たちも見て、すぐに要石だってわかるもんなのかい?」


 うらら先生に尋ねられて、桜子さんは頷く。


「わかると思います。見たら、陰陽師や先祖返りだったら、異様に霊力が篭もっているのが見て取れますから」

「なるほど。それを風花が修繕すればいいんだね?」


 そう言いながらうらら先生は風花ちゃんに振り返ると、風花ちゃんはムンッと手を握った。


「頑張ります」

「ただ……現状、先祖返りたちが活性化していますから、先祖返りたちが邪魔をする可能性もあります」

「先祖返りは……退魔師の体液を得ていない方々だったら、どうなるんでしょうか?」


 私が尋ねると、桜子さんは一瞬押し黙ったあと、口を開いた。


「霊力に引き摺られて、今まで眠っていた異形の血が起きて、先祖返りになってしまうおそれがあります。だからこそ、風花さんに霊力を入れてもらった上で、守りを固めてもらう必要があります」

「風花ちゃん、できそう?」


 私は心配して風花ちゃんを見ると、彼女は目尻に涙を溜めていた。

 ……風花ちゃん?


「……失敗したら、やだなあ」


 風花ちゃんはポツンと言った。


「わたし……人間に戻りたいのに、失敗したら……どうしよう……」

「風花ちゃん。風花ちゃん。大丈夫、大丈夫だから」


 私はグスングスンと泣き出してしまった風花ちゃんに、思わず手を伸ばしてポスンポスンと撫でた。風花ちゃんとみもざは本当によく似た性分なんだ。

 ただ違うのは、みもざは衝動が表に出たら狂暴になるのに対し、風花ちゃんは衝動が出たら自罰的になってしまう。……風花ちゃんは、人魚の衝動が表に出始めているんだ。

 私はおろおろと桜子さんを見た。今は普通に人通りもあるし、図書館に用事のある人たちだって歩いている。その中で熱烈的なキスは駄目でしょうと思っている中。

 桜子さんは黙って自分の手を紙でブチッと切ると、軽く血を流しはじめた。


「風花さん、落ち着いてください……こんな場所でごめんなさいね。舐めて」

「…………っ」


 風花ちゃんは気恥ずかしげに桜子さんを見ると、チロリ……と子猫がミルクを舐めるように、風花ちゃんは差し出された桜子さんの手の甲を舐めはじめた。しばらくピチャンピチャンと音を立てて舐めたあと、やっと顔を上げた。

 気恥ずかしげに、顔を真っ赤に染め上げて。


「ご、ごめんなさ……こんな場所で、衝動を起こしてしまって……」

「気にしないでください。あなたにはこれからやってもらわないことがありますから。小草生先生、私立図書館のほうの案内お願いしてもよろしいですか?」

「私も図書館については、フィールドワークレベルでしか知らないけどねえ。それじゃあ、行こうか」


 さっきまでの湿度の高い雰囲気は、一気に霧散していってしまった。

 私は風花ちゃんを見ると、風花ちゃんは完全に初めて家族として迎えられたばかりの小動物みたいに、挙動不審になってしまっていた。


「風花ちゃん、本当に大丈夫……?」

「大丈夫です……あの、みもざちゃん」

「はい?」

「……わたし、みもざちゃんを怒らせましたか? 眉間の、皺」


 そう言われて、私は思わず眉間に手で触れた……そこはツプンと指が埋まるくらいの皺が出来上がっていた。

 ……私、馬鹿じゃないのか。自分の節操のなさに愕然とした。

 私、仲春くんに失恋したばかりだっていうのに。もう助けてくれた桜子さんに惹かれていて、勝手に親友の風花ちゃんに嫉妬している。

 仲春くんのことだって、私が勝手に好きになって、なにもしていない間に照日さんに取られただけ。

 桜子さんだって、風花ちゃんに嫉妬しなかったら気付かなかったくらいの、うっすらとした感情だったのに。

 浅ましい浅ましい浅ましい。自分に思わず嫌悪する。

 なんのアプローチもしてない人間が、勝手に嫉妬する権利すらないのに。だって、誰も土俵に上がってないのに、恋でもなんでもないじゃない。


****


 私がぐるぐると考え込みそうになりながらも、使命は続く。

 着いた場所は私立図書館の中庭。中庭は山茶花以外は木々ばかりで、今は色彩が失われている。寒い中、庭木を鑑賞する人たちもいなくて、私たちだけが集まって会議をしていた。


「とりあえず、これじゃないかっていうものを見たら、すぐに連絡をください。とりあえず今回は私と小草生先生、みもざさんと風花さんで」

「この組み合わせの意図は?」

「みもざさんでしたら、なにかあった際に風花さんを抱えて移動できるからです。それでは、小草生先生、行きましょう」

「はいよ。あんたたちも、もし先祖返りが出たら、すぐに対峙するんじゃなくって連絡するんだよ?」


 うらら先生にそう言われ、残された私たちも庭木を眺めはじめた。


「要石って言われても、見ただけでわかるっていう以外に情報がないのが、アバウトだね」

「そうですね……あのう、みもざちゃん?」

「はい?」


 風花ちゃんは、私のほうをおずおずと眺めていた。……嫌だなあ、私は風花ちゃんに嫉妬なんかぶつけたくないのに。自分でも節操なさ過ぎて嫌悪感覚えてる中、親友とまで喧嘩したくないのに。

 風花ちゃんはおずおず私を眺めてから、口を開いた。


「……みもざちゃんは、仲春くんのことがずっと好きだって思ってたんですよ」

「……はい。私もそうだと思います」


 風花ちゃんは知っているんだ。どのルートでも……それこそ風花ルートですら、みもざは仲春くんのことが好きだったってことを。

 だから、私が心変わりしたのに気付いたら、普通に違和感を持ってもおかしくはないんだ。やだなあ……もし、私が前世の記憶があるっていう話をしないといけなくなったら。みもざは気が弱過ぎて、前世の私に全部押しつけて死んじゃったのに。

 そんな中、風花ちゃんは口を開いた。


「だから……少しだけ安心したんです。まさか、桜子さんだとは思いませんでしたけど」

「え……? 風花ちゃん、どうして……」


 そこまであからさまだったっけと、私は自分自身に問いかける。

 だって、昨日の今日で自覚したって、早過ぎる上に、昨日仲春くんに捨てられたばかりなんだ。心変わりが早過ぎると罵られてもしょうがないのに。

 風花ちゃんは続けた。


「わたし、照日さんが仲春くんとだんだん仲良くなっていってから、不安だったんです。みもざちゃんのほうが先に好きだったのに。みもざちゃんがもし、照日さんに仲春くんが取られちゃったら、死んじゃうんじゃないかって心配でした……」


 ……本当に風花ちゃんは、みもざの親友なんだ。その通りだよ。みもざは仲春くんと照日さんのラブシーンを目撃したショックで、死んじゃったもん……前世の私になんもかんもを押しつけて。

 私はなにかを言おうとすると、風花ちゃんは笑った。


「でも、みもざちゃんは死ななかった。他に執着できるものができたから」

「……風花ちゃん。私……そんなに綺麗なものじゃないよ? 失恋したからって、誰かを代わりにするのは……なんか節操ないし、気持ち悪いんじゃ……」

「どうして? だって、失恋したら痛いでしょう? 怪我はわたしが治してあげられる。それこそ、ずっとみもざちゃんの怪我はわたしが治してたけど……でも、心の痛みだけは、わたしは治してあげられないもの……わたしは、みもざちゃんが失恋して、痛い痛いって泣き叫ぶよりも、誰かを好きになって、そこで痛みを埋めてくれたほうが嬉しいなあ」


 その風花ちゃんの優しさに、今度は私のほうがポロリと涙を溢すところだった。


「……風花ちゃん。ごめんなさい。ごめんなさい……」

「どうしたの、みもざちゃん。いきなり好きな人のこと指摘して、恥ずかしかったんですか?」


 そうじゃないんだよ。もうみもざは、死んじゃったんだよ。失恋したつらさのせいで、あの子が死んでなきゃ、前世の私は出てこなかった。申し訳なさ過ぎて、私が謝るしかないんだよ。

 謝ったところで、死んじゃったみもざが蘇る訳でもないんだけれど。

 私たちはしばらく抱き合い、私がおいおいと泣いたところで、やっと泣き止んで、ふたりで再び要石を探しはじめた。

 最初は恥ずかしくて情けなくてぎこちなかったけれど、風花ちゃんの時間制限を思えば……彼女だけはなんとしても人間に戻さなければという使命感を思えば、真面目にだってなる。

 やがて。

 私たちは「え……?」と目を奪われる場所に来てしまった。

 元々ここは、冬だからこそ庭木は山茶花くらいしか咲いてなかったはずなのに、この場だけは異様だった。

 白梅、紅梅、桃、桜、鬼灯、芙蓉、桔梗、彼岸花、山茶花……。

 ここだけ季節が出鱈目で、咲いている花も滅茶苦茶になっていたのだ。


「これ……」

「どう見ても要石のせいですよね。霊力のせいで、花が……」

「私探すから、風花ちゃんは急いで桜子さんたちに連絡を!」

「はい!」


 私は係員がこちらに来てないのを確認してから、急いで庭の飛び石に跳んだ。そして、庭にゴロンゴロンと転がっている石のひとつひとつを確認する。

 この私立図書館の庭師の腕がいいんだろう。どの石も綺麗な苔の付き方がしていて、咲き乱れている花とも融和していた。

 その中で、ひとつだけ苔が全く付いていないものを発見した。別に取り立てて綺麗なものではない。これだけ異様な光景が広がってなかったら目も向けないようなものだけれど。


「……これだ」


 霊力に当てられて植物が活性化している中、これだけ影響を受けていない以上、これしか考えられない。私は「風花ちゃん!」と声をかけたとき。

 風花ちゃんはちょうど桜子さんたちに電話をかけてこちらに寄ってこようとしている中、この場に場違いな人が歩いてきていた。

 本当は係員の方だろう。スタッフカードをぶら下げて歩いている。でも。その歩き方はゆらゆらとしていて、なんだか不気味だ。

 ……まるで、獣が得物を見つけたときのような、足の忍ばせ方。


『霊力に引き摺られて、今まで眠っていた異形の血が起きて、先祖返りになってしまうおそれがあります』


 桜子さんが言っていたのは、このことか。


「風花ちゃん、逃げて……!」

「はい?」


 途端に、その係員は弾けた……いや違う。体が膨張して、服が裂けただけだ。


「うううううううううう……………」


 既に先祖返りとして、完全に異形に乗っ取られた声を上げて、その人は嗤った。

 上半身は冬には寒い裸ながらも、下半身が完全に蜘蛛のような毛深い足が何本も。そして腹部は異様なほどに膨らんでいる。

 土蜘蛛。よりによって土蜘蛛の先祖返りが、正気を失った目でこちらを睨んでいたのだ。

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