3-3 方法




「何やってんだよお前…」

「……え?」

 藤は守を連れて店を出た。

 そのまま歩みを止めることはなく、ズカズカと人通りのない裏路地へと入って行く。

 そこでようやく手を離した藤は、開口一番にそう言った。

「何でこんなことすんだって聞いてんだよ!答えろや!」

「え?何でって何?!依頼だからでしょ?どうしたんですか急に、何を怒ってるんですか?…てか近いんですけど!?」

 そんな守の言葉も聞かず、藤は尚もグイグイと詰め寄ってくる。

 しかも何故か、べらぼうに機嫌が悪い。

 守はできるだけ彼と距離をとるように、一歩、また一歩と後ずさる。だが残念な事に、この路地は行き止まりで、すぐに背中が壁にぶつかる。故に逃げ場を失うこととなる。

「何?何なんですかこれ?!」

 今、何が起きているのか全く分からない。

 藤が急に怒り出した理由もさっぱりだ。

 分かるのは、目前に迫るヤンキーにガンを飛ばされている、という悲しい現実だけである。

 何これ?裏路地にヤンキーって、カツアゲなの?仮にも名付け親であるこの俺に?あ、それともリアル鬼ごっこ?だとしたら俺もう負けてない?あれって鬼に捕まったらどうなるんだっけ?カツアゲよりヤバい!?

 ご覧の通り、脳内ではスラスラと出てくる文言も、実際に口にする勇気は微塵もない。

 兎にも角にも、守はこの場を抜け出したい一心で、後ろがダメなら横からだとばかりに方向転換を試みた。

「あ?逃さねーよ?」

 だがそんな守に追い打ちをかけるように、彼の右手がダンッと音を立てて行き場を塞いだ。

 同時に、鋭い風がビュンッと目前を通り抜ける。

「ぎゃあああああああ!!」

 背後の壁と目前の藤。

 これがいわゆる『壁ドン』というものだと理解した時には、守のメンタルは悲鳴を上げていた。…いや、もしかしたら実際に声に出ていたかもしれない。

 それにしても何が悲しくて、イケメンに壁ドンをされなければならないのだろうか。

 温厚で真面目、保守的でありながら極度のお人好し。人に優しくスリーピースな守だが、そんな彼だって怒るときは怒る。そして現在、守の堪忍袋のは、切れるどころか爆発した。

「ちょっと!!本当にどうしちゃったんですか藤さん!いい加減にしなさいよ!!?」

 守は威嚇いかくをする熊の如く、両手を高く上げ、最大限に自身を大きくみせる。だが藤は、そんな小細工程度で怯む男ではない。

「うっせーなぁ、早く望みを言えよ!」

「望み?言ってやりますとも!どいてください!今すぐこの手を退けてください!」

「馬鹿か!離したら逃げんだろ!?」

「そりゃ逃げますよ!ダッシュですよ!光の速さで逃げますよ!そもそもね、Wi-Fiの光は光らないんですよ!!」

「はぁ?何の話だよ!?おい動くな!!」

 守は勢いに任せて、ここぞとばかりに理不尽に立ち向かう。ついでに先日の水との会話で、ぶつけどころの無かったツッコミをもぶち撒けた。

「そもそも今、依頼中だってこと分かってます!?」

「あたりめーだろ、だから逃げねーようにしてんじゃねーか!!」

「いや逃がしてよ!」

「バカか!?ふつーに捕まえるわ!」

「俺を捕まえてどーすんですか!!」

「お前じゃねーよそいつ!」

「そいつとは!?」

「こいつ!!」

「だからどいつ?!」

 するとこのやり取りに痺れを切らした藤は、守の肩口へと雑に手を伸ばす。そしてブツクサと小言をもらしながら、あっちへこっちへと手を動かしている。

「こいつが今回の犯人だ!」

 やがて気が済んだのか、彼はキレ気味にそう言うと、両手のこぶしを突き出してきた。

「……?」

 意味が分からなかった。

 守は自分も拳を握りしめると、原監督はらかんとくよろしく、彼の拳に勢いよくそれを合わせてみせる。

「イエーイ!ってなんかいる!?」

 その時、守はようやく理解した。

 藤は今、その手に妖怪を掴んでいるのだと。

「…はっ!!」

 そして悔いた。

 自分の愚かさを。

 少し考えれば分かることではないか…。

 藤は店内で、ずっと同じ場所を睨んでいた。そこに妖怪がいたからだ。それがあの突風と共に、守の元にやってきたのだろう。

 つまり今までの藤の奇行は、全て守の背後にしがみついていた、この妖怪に向けられたものだったのだ。

 守は瞬時に冷静になり、未だ苛立ちを隠さない藤に声をかける。

「…どちら様でしょうか?」

「……」

 そして訪れる沈黙。

 おやおや、どうやら彼もお忘れのようだ。ならば改めて教えなくては。

「俺、妖怪見えませんよ!」

 まあ、胸を張って言う事ではないけれど。

「……だる…」

 守の堂々とした態度に、藤は深くため息を吐く。すると今度は、どうしたものかとうなり始めた。

 現状から察するに、今回の妖怪も、『捕まえたらオッケー』という類の妖怪ではないらしい。

 という事は、望みを叶えるため、逃げないように藤が掴んでいる彼、ないしは彼女の話を聞く必要があるのだ。そこで守は、とある提案を持ちかける。

「あの、前に水くんが、雨音を利用して俺にも妖怪の言葉が分かるようにしてくれたんですけど、藤さんは出来ないんですか?そういう便利な血鬼術けっきじゅつ的な何か?藤さん鬼でしょ?」

「…血鬼術ってお前……あいつは妖怪の中でも、生まれが古いエリートなんだよ。俺には無理だ」

「なんだ、藤さんには出来ないんですね」

「あ?なんか文句あんのか?」

「ありません!すみません!」

 藤にギロリと睨まれ、守はすぐさま直角にペコっと頭を下げる。すると藤は舌打ちをしつつも、そんな守の頭をガシッと掴むと、顔を上げろとでもいうように引っ張り上げた。

「…別に怒ってねーよ」

 このツンデレめ。

「あぁ?」

 だがそんな心の声を察知したのか、上げかけた守の頭を再び押さえ付ける。

「痛たたたっ、ちょっ、ごめんなさい!」

「一つだけ、方法がないこともない」

 そしてそのまま力を緩めず、彼はこう続けた。

「これは極力、使いたくない方法だけどな…」

「なんだ、やっぱりあるんじゃないですか!もったいぶらないで言ってくださいよ〜!」

 できないと言いつつも、打開策はあるらしい。それに希望を見出した守は、やる気十分に藤の手から華麗にすり抜ける。そして今度は守の方から、藤にぐいぐいと詰め寄る。

 形勢逆転。

 どんな方法でもいい。策があるなら何だってやってみせる。そして一刻も早く、この事件を解決するのだ。

「さぁ!藤さん!」

「……」

「さぁさぁ!」

 だが藤はやけに渋っていた。それでも守のうるさいまでの絡みに屈したのか、ようやくその重い口を開いてゆく。

「……俺とお前のたましいを入れ替える」

「……ほう?」

 その方法は、守が予想だにしないものだった。

 もっとこう…何と言うか、具体例があるわけでは無いが、何かしらあるだろうと思っていた。もっとお手軽な、言葉が分かるアイテムというか、しいて言えば、『翻訳ほんやくこんにゃく』的な何かが。

 だが彼は何と言っていただろうか。魂がどうのと聞こえた気がする。

 策があれば何でもやる!と数秒前までは意気込んだものの、話が急に怪しげな方向へ行ってしまったことで、守の脳は現実逃避を開始する。それにより、使用量を超過したスマホの如く、守の通信速度は128kbpsの低速モードに切り替わった。

「…と、言いますと?」

「俺の身体にお前の魂が入り、お前の身体に俺が入る」

「…と、言いますと?」

「中身だけ入れ替えるってことだ!」

「…と、言いますと?」

「あ?だから、要はあれだ。『俺たち、入れ替わってる〜?!』ってやつだよ!」

「…と、言いますと…!!」

 するとその分かりやすい説明に、守の通信制限はあっさり解除された。不覚にも、楽しそうだと思ったのである。

「ええすごい!やりたい!可能なんですか?」

「やりたいって何だよ…。まぁ、お互いの許可があれば可能ではある。俺の身体うつわに入れば、俺の五感を通して妖怪を捉えることができるはずだ」

「なるほど!でもそれだと藤さんは、俺の身体だから見えなくなるって事?」

 もしそうであるなら、一人で謎の妖怪と渡り合わなければならない事になる。不安しかない。

「…いや、俺も魂の資質ししつで妖怪は見えるはずだ。そこは問題ない」

「良かった!じゃあお願いします!」

 唯一の不安が消えた守は、「バッチ来い!」と言わんばかりに両手を広げる。だが一方で、藤は何故か守から距離をとるように一歩下がった。

「お前な…。すげー簡単に言うけど、そもそもこれには問題点もあってだな、」

「なーに言ってんですか!ちっちゃい事は気にするな!ですよ!ほら!」

「ワカチコすんな!そして近付くな!」

「ワカチコとは?」

 後ずさる藤を、守は両腕をリズミカルに振りながら、先ほどの復讐とばかりに追い詰めてゆく。

「とにかく、これで解決するなら入れ替わるくらい安いもんでしょ!」

「安くねーよ。お前は何も分かってない!何でもかんでも許容しすぎなんだよ、もっと自分を大切にしろ!」

「してますよ!保守的な守くんとは俺のことですよ!守の守は守備の守です!かなり守ってます!」

「ゲシュタルトしてくるからそればっか使うな!」

「藤さんが言い出したんでしょうが!!」

「慎重に考えろって言ってるだけだ!」

「考えてますよ!てか逃げないで下さいよ!」

「逆に何でお前はそんなに乗り気なんだよ?」

「楽しそ…佐々木さんのためですよ?」

「おいふざけんな本音出てんぞ!」

「出てない!話を逸らさない!」

「事実だろ!お前こそ真実から逃げんな!」

「逃げてない!藤さんこそ逃げるな!」

「逃げてねー!お前が逃げんな!」

「逃げてる!逃げてない!」

「逃げ…逃げねーから近付くな!!」

 互いに引かぬ攻防が続く。

「一旦落ち着け!お前は今、冷静じゃない!」

 現状、少々不利な立場の藤は、なんとか守に説得を持ちかける。

「俺は落ち着いてますよ!!」

 だが守は、その名に反して攻めの姿勢を崩さない。故にこのまま続くと思われた攻防だったが、守のひょんな一言から終焉しゅうえんを迎える。

「てか俺がどうこうよりも、藤さんが日和ひよりすぎなんですって!」

「はぁ…?今何つったよ…?」

 すると藤は低い声でそう呟くと、あれだけ逃げていた足をピタリと止める。そしてその鋭い眼光を飛ばし、こう言うのだった。

「尊敬するマリノさんがやられてんのに…、ひよってる奴いる?いねーよなぁ??!」

「!!」

 そんな東京をまんじれそうな、究極のヤンキー発言に守は圧倒される。

 しかしそれも束の間。

 彼の要望通り、一旦冷静になった守は、本当に一瞬で立ち直った。先程までの、明らかに日和っていた藤の姿を思い出したからだ。そんな彼が凄んだところで正直、雑魚感が半端ない。

「うっせーわ!」

「おー、安定の心を読んでくるスタイル!」

 そしてこの時。

 守はもうひとつ、あることに気が付いた。

 藤の背後には、先程自分が追い込まれた壁がある、という事だ。

 つまり藤が立ち止まったは、彼の意志というよりも、物理的な要因の方が大きかったのかもしれない。

「…ふっ」

 そう思った守は、渾身のドヤ顔を決める。

 一方で追い込まれた残念なヤンキーは、チッと舌打ちをすると、半ばヤケクソに覚悟を決めた。

 途端にギロリと、ガーネットの瞳に力がこもる。

「やるぞ!タイミングがずれると、魂が抜けた瞬間、意思をなくした身体が倒れる。その前に全力で中に飛び込んでこい!俺の身体を地面につけたら……、そん時は覚悟しろよ?」

「何ですと?!」

 それだけ言うと突如、藤は守の胸ぐらを掴む。

 かと思えば、間髪入れずに守は勢いよく前に投げ飛ばされた。

「えええええー!?急す」

 ぎるじゃん!あんだけ渋っといて何なの?せーの!とか、さんにーいち!のちの時に行くよ!とかあるでしょ!?掛け声って大事よ?もっと俺のタイミングも尊重して下さいよ!!えええー?!


 そんな守の絶叫は、どこまで口に出ていただろうか。

 守の目の前には、すでに倒れ掛かる藤の身体がある。それを絶対に倒すまいと、守は死ぬ気でダイブした。

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